豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2020年04月30日 23時23分53秒 | 日記
  ( Vol 2551 ) 学校の入学時期の変更は 政府の決定次第  安倍政権は 決定する というリーダーとしての責任感があるか 試されている

今 新型コロナウイルスの関係で 学校は休校状態になっている

そこで 9月入学 ということが 出てきた

9月推進 と 9月反対 と意見が分かれている

9月入学を進める 論拠は 世界の多くの国が 9月入学である 

この状況を捉えて 9月入学にしたらどうか 

という 考えが出た

9月入学を反対する 論拠は 移行への時間が足りない 現場が混乱する

という 論理展開

ここで 問われるのは 将来の日本教育にとって 9月入学良いのか 4月入学が良いのか

選択の理由を 明確にすることである

ここで 注意することは いままで そうしてきたから という 慣例の考えは禁止である


安倍政権に 思想があるか ということが問われる


選択の決定は 政権にある


制度の変更は いつでも起きる

移行への時間が足りない というのは 保守的な思考からきている

どんな移行でも 大きな努力 大きな犠牲 混乱が伴う ものである


人は 決まれば なんとか動くものである


移行を 繰り返して 現代社会はある

伝統は 「守 破 離」を経て 時代を生き抜いている 

伝統も 変革している

そのときには 犠牲を伴っている


決断をする という 安倍政権は リーダーとしての 責任感があるか 試されている

ここのところの 安倍政権は リーダーとしての 技量は 皆無に等しい

リーダーとして 責任ある 行動ができていない

この件に関して どうリーダーを発揮するのか


 



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豊前善三のつれづれ日記

2020年04月30日 23時04分32秒 | 日記
  ( Vol 2550 )  大学を中退したら 就職のときの 学歴種別は 高校卒 という 種別になる 大学中退 という 種別はない


立憲民主党 蓮舫副代表の 「大学をやめたら 高卒になる 」 これは 事実である

採用における 受験種別は 高校卒業 大学卒業 

採用側の基本的な基準は 卒業という 基準で採用を考える

しかし 途中で退学した場合 企業によっては 在学した期間を考慮する こともある


基本は 卒業 で考える


話は飛ぶが 

国勢調査における 学歴区分には 中退という 区別はない

すべてが 卒業 という基準である

大学中退は 高校卒 という区分になる


企業に採用されたときの 給与は 高校卒のランクになる


これは 事実である


中退が悪いわけではないが

中退するということは それなりの リスクは生じる ということである


中退すると決めたときは それなりのリスクが伴うことを 覚悟する必要がある


自分の人生は 自分が責任を持つ という意識を 持つことが大事である

学歴を気にするか

学歴を気にしないか

それは 自分次第 である


大事なのは 中退を解消する 実力をつけることである




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豊前善三のつれづれ日記

2020年04月30日 09時59分12秒 | 日記
 ( Vol 2549 )  新型コロナウイルスへの対応は マズローの欲求の5段階説の 人命という安全の欲求を重視しすぎている  生理的欲求と安全の欲求 の比重を 生活を維持するというための 生理的欲求へと 舵を切る段階に来ている 早急に 非常事態の解除を行うべきである

マズローの欲求の5段階説 として
第1段階 生理的欲求  (生命を維持するための睡眠欲・食欲・性欲など)

第2段階 安全の欲求  (病気や不慮の事故などを含めた 安心・安全な暮らしへの欲求)

第3段階 社会的欲求  (友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求)

第4段階 承認欲求   (他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求) 

第5段階 自己実現欲求 (自分の可能性の探求)

がある

今回の新型コロナウイルスに対する 非常事態宣言は 

マズローの欲求の5段階説 を借りて言えば 「安全の欲求」 という ウイルスに対する 感染の恐怖から逃れようとした 行動である

この行動に重点を置きすぎた結果 

市民の生活という 生理的欲求が 満たされなくなるという 状況を生んでいる


俯瞰してみるならば 仕事場を追われ 仕事を失い 失業率の増加 企業倒産

日本経済の破綻 という方向に向かうことになる


そうならないためにも 非常事態の解除 を早急に実施すべきである


通常の状態でも ウイルスへの対応は 可能である

非常事態の解除と 感染対策のための 医療体制の充実と 感染予防に対して各個人が 責任を持つことを 図る ことである


なお「死亡」という点に 力点を置くと いうことは 得策ではない

「死」は悲しいことである

今の日本は 「死」ということを真正面から見ようとしていない

「死」を恐れ 延命治療 重視の医療処置 が主流である ことも そのー要因となっている

一体 今回の新型コロナウイルスによる 死亡者数は 他の病気や 事故に比べて 突出しているのか

そんな状況にはない


先日 ウイルス感染で亡くなった 女優 岡江久美子さんの 葬儀を報道したことも 志村けん氏の葬儀とは 違った 取り上げ方である

ここにも 「死」を 異常なことと思える 過剰反応をしている という 国民性がみられる

これは 核家族化によって 「死」を身近に感じることが なくなっている 日本社会 といえる

「千の風になって」の歌詞 を考えてみてほしい 


「死」を受け入れる という ことが必要なのではないか

「死」を身近なこと と捉える ことではないか



新型コロナウイルスへの 対応は

スウェーデンの 対応策を 見習うべきである

















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2020年04月29日 12時07分25秒 | 日記
  ( Vol 2548 ) 安倍政権は なぜ 「アビガン」は認可が難しく アメリカの製薬会社の開発新薬 「レムデシビル」認可するのか そこには 納得できないものがある  安倍政権は 論理が一貫していない 腐りに腐りきっている


「レムデシビル」については 海外での承認などを条件に審査の手続きを簡略化する「特例承認」を適用

5月にも利用可能にする
国内で最初の新型コロナ治療薬となる見通し


「アビガン」は日本の製薬会社が開発したもの

審査する機関が違うというだけで 認可が違うというのは どうか

なぜ 特例承認 をしないのか

安倍政権は その場その場で 論法を変えている

論理が一貫していない

その例は
検察官の退職年齢変更 これは 解釈の仕方を変えて 変更

アビガン認可は 解釈厳格にしている

またマスク調達の依頼についても 判断基準が不明瞭

どうも 安倍政権は 何でも 金次第 力次第 ということか

これでは 国民は納得しない

内閣主導と言っていながら 官僚の意見を取り入れている

安倍政権は 総理大臣の意向を強く なぜ出せないのか

あまりにも 責任が重いので 官僚に責任転嫁しようとしている

これで 強い内閣と 言えるのだろうか


なぜ 透明性のある 政治をしないのか


安倍政権は 腐りに腐りきっている といえる



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豊前善三のつれづれ日記

2020年04月27日 20時20分22秒 | 日記
  ( Vol 2547 ) 安倍政権 政治家 官僚 は平和ボケ だから 緊急事態での対応はできていない  「有事」対応とは何か 考えてほしい 

軍事アナリスト 小川和久氏は 平時 有事の違いを述べ 

緊急事態において 官僚は 

阪神淡路大震災の政府の対応を 例にあげて 

あの時の 政権の対応は 政治家は 官僚に頼り 官僚は平時対応であった

原因は 政権ではなく 官僚の有事対応が できていない ということを 指摘していた ことが 印象的であった


日本の政治は 官僚に頼っている と言える

以前にも 自民党の国会議員官僚出身者と官僚の関係 について 取り上げたことがある

日本の政治は ずっと 官僚に頼ってきたと言える

もっと言えば 東大に頼ってきた とも言える


戦争という非常事態を 経験していない日本 「平和ボケ」 とよく言われる 


安倍政権 官僚は 「有事」 とは 何か ということが実感できない

「有事」とは 調べてみると 

戦争などの一大事 事変 非常の事態が起こること

と記されている


それから考えると
阪神淡路大震災  東日本大震災 福島原発事故 新型コロナウイルスの感染拡大

は「有事」 という範疇になる

だから 安倍政権は 時間はかかったが 非常事態宣言を 出した

ただ そこで 有事 という考えに 立つことできるか ということが 問われる

残念ながら 安倍政権は 考えは 平時 

政治家も 官僚も 報道も 国民も 

すべてが 平時 という 考えにになっている


「有事」 という言葉は 知っているが 有事という考えがない


政治家 官僚 は 「有事」 という言葉は知っているが 

実行に現すという 知識としてはない


知っているだけ 机上でしか考えられない


仮想現実の世界 のように捉えている


ここが 問題なのである

軍事アナリストの小川和久氏 も そこを案じている のだと思う



有事とは 何か

政治家 官僚 は 有事対応という ことを 実行するにはどうするか 考えてほしい 


いままで 平和ボケの中で 乗り越えてきたのは 国民一人一人が 自力で立ち上がって来たからである

上司がだめでも 部下は現状を打開するために 頑張る

それに 似ている

政府を頼りにしない 国民一人一人 努力によって なんとか乗り越えてきた ことを忘れてはならない

安倍政権 官僚 は 国民に 甘える 時ではない  

安倍政権 官僚 は  国民をいかに守るか を 実践を通して 示すことである

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