豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2015年04月26日 19時13分03秒 | 日記
( Ⅴol 1252 ) 福知山線脱線事故から10年 その後のJRの安全管理は強化されたのか


報道では その後も 安全課理に関係する 事故が起きているという

事故の 重さを どう考えているのだろうか

あの事故で 一番心を痛めているのは 事故にあった 当事者 遺族である

その人たちの気持ちを どう考え どう生かそうとしてるのか

公共交通という 立場を 常に 心に 置いて 安全管理はを 行ってほしいものである

これかの 交通手段において 公共交通機関の 役割は 大きいものである

是非とも 利用者が 安心して 利用できる 環境を作ってほしいものである



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三のつれづれ日記

2015年04月24日 07時34分43秒 | 日記
( Vol 1251 ) 戦争など 争いによる 虐殺について なぜ勝者側は 問われないのか おかしいのではないか 

先日 イスラム国組織による 大量虐殺について 批判的報道がなされていた

また 過去の事例をみると ナチスドイツによる 虐殺 日本軍による虐殺

敗戦国による虐殺は 糾弾されてきた

しかし 勝者による虐殺は 糾弾されていない

ベトナムにおける アメリカ軍による虐殺

第二次世界大戦による 日本の広島 長崎への原爆投下による 虐殺

これらは 勝者の論理で 糾弾されていない


虐殺は 勝者も敗者もない

すべて関わった者は 糾弾されるべきものではないか


特に 原爆投下の正当性は 詭弁でしかない


戦争 争いは 双方に 争いを起こす原因を持っている

相手だけの問題ではない


勝者は 敗者に 原因のすべてを 求め 謝罪させる

それが 今までの 戦争のけじめであった

しかし それが本当のけじめだろうか


戦争による 多くの犠牲者は 一般市民である

どう一般市民に対して 謝罪し 責任をとるのか


虐殺を 批難する 気持ちがあるのなら 勝者 敗者 関係なく 謝罪の意思を 一般市民に表明し 糾弾されるべきではないか


今の 戦争による虐殺に対する 糾弾は 偏重したものである

いまだに 勝者の論理を通し 糾弾から逃れているのは おかしい


真の世界平和を 実現するには 勝者も敗者も 過ちについて 謝罪すべきである


不核拡散防止条約はなぜ 効力を発揮しないのか

なぜ 争って核を保有しようとするのか

そこには 核兵器の使用による 大量虐殺行為に対する責任糾弾がなされていないためである


真に 核を廃絶するには 核兵器使用に対する 使用責任 被害者への保障 が絶対である 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三のつれづれ日記

2015年04月18日 05時49分54秒 | 日記
 ( Vol 1250 ) 自民党政権は 放送局に対して 牽制をして 報道の自由を脅かしている

最近の テレビ報道において 政権批判の声は トーンダウンしている

それはなぜだろうか

そこには 自民党政権の 報道への牽制が あるからではないか

放送局長の呼びつけ 報道番組 「報道ステーション」をBPOに提訴

などなど 報道に対して 過敏に反応

その反応が 政府批判報道の 自粛に繋がっているのではないか

国民としては 様々な面からの報道を 望んでいる

それを 一方向からの情報しか 発信できない状況にする ということは 国民の知る権利を 損なうことになるのではないか

憲法における報道の自由を 犯すことになるのではないか

自民党政権は むやみに伝家の宝刀を 振りかざすべきではない

まいしてや 力による 締め付けは もってのほかである

自民党の 報道への締め付けは 容認できない

国民の情報の 取得の権利を 奪うものである 


もっと もっと 報道の自由を 認めるべきである

闊達な報道が行われてこそ 良い社会 良い政治が 行われるようになるのではないか

今の自民党政権の 報道に対する反応行動は 報道の自由を奪うものである


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三のつれづれ日記

2015年04月17日 21時50分14秒 | 日記
 ( Vol 1249 ) 辺野古移転に対して 沖縄県人以外の日本人は 本当に沖縄のことを理解していると言えるのだろうか

自民党政権は 何が何でも 辺野古移転の正当性を訴える

しかし 沖縄の歴史を考えるとき その根拠は 薄れる

報道によると 戦後の日本は 復興に力点を置くあまり 沖縄を軽視した

沖縄は 米軍基地化となっていった という

日本の本土にある 米軍基地の縮小と共に 沖縄への移転を行ってきた

その結果 沖縄県民は 先祖伝来の土地を 取り上げられるという事態を招いた

沖縄県民の 大きな犠牲の上に 沖縄の米軍基地は 成り立っている

その経過を 真に 沖縄県民以外の 日本人は知っているのだろうか

また 沖縄に常駐する 米軍の海兵隊は 朝鮮半島に対して抑止力を持っているのだろうか


報道によると 騎兵隊の機動性は 期待ほどでもないようだ

米軍のなかでも 海兵隊は 海軍の傘下に置かれるようなったという

米軍における 海兵隊の役割に 変化が起きているといえる


日本政府は 戦後70年を迎えても いまなお アメリカのご機嫌を取っている

いつになったら ひとり立ちができるのだろうか


いつになったら 国民に嘘をつくのを止めるのだろうか

いま 自民党政権の 辺野古への移転の妥当性は 詭弁にしか過ぎないように感じる

過去の沖縄における 米軍施設の建設の経緯を 知れば知るほど 妥当性に欠ける


日本の政治家は 真に世界に通用する ひとり立ちした 政治家になってほしい


相手する世界は アメリカだけではない 相手する世界は もっと広い

そのことに 気づくべきではないか


辺野古移転の妥当性 正当性は どこにあるのか

いまの 自民党政権の答弁では その妥当性は 詭弁にしか過ぎないように映る

アメリカへの配慮 でしかない

アメリカ一辺倒の 政治姿勢に問題があるのではないか

安倍政権は 自衛隊の活動範囲を 拡大しようとしている

そのことが実行されるならば アメリカ軍が 日本に常駐する必要性は 薄くなるのではないか

ましてや 沖縄の米軍基地は 縮小されるべきではないか

その意味からも 辺野古移転計画の 妥当性はどこにもない



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2015年04月17日 06時18分49秒 | 日記
( Vol 1247 ) 愛川欣也氏の死を悼。

キンキンの愛称で親しまれた。
いまでもキンキンの語る口調、演技、仕草は、強烈に焼き付いている。
一世を風靡したスターが見れなくなるのは残念である。
ご冥福をお祈り申し上げます。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする