豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2016年11月28日 14時48分50秒 | 日記
r ( Vol 1518 ) 自民党安倍政権は 数の力と屁理屈で 国会を強行運営している このようなことで 民主主義は守ることはできない


いま 自民党安倍政権は 国民不在の 政治をしているのではないか

そうした中で 報道にも 無言の圧力をかけて 批判すらさせないようにしている

まるで 独裁への道へと 進んでいるように映る


詭弁と屁理屈 方便を 権力を 駆使して 国民 大衆を 欺いている


民衆の欲望を うまく使って 現実だけを重視させ 未来を正しく想像させないようにしている


そんな手法を 自民党は 政権をとるたびに 行ってきた


国民の 政治への無関心となる素地を つくり 国民を無能化させてきた



その手法を これからも 使おうとしている ようにみえる


憲法改正を推し進めるのにも 同じ手法をとろうとしている



力を持った安倍政権は どのような行動をとってきたか 振り返ってみるとわかる


言うことには いつもいつも 裏があった

表面は 良いことづくめ しかし 実行に移すときは 裏を表に返す 隠していた 真に行おうとしたことを 国民の負託を受けたと 屁理屈を並べて 強行してきた


自民党安倍政権には 裏がある ということを 意識しなければらない


本当に 信たるに値するか 疑問を持つことが大事なのではないか


それには 自分たちの未来を 描くことが必要である


未来像なしには 語れない 考えられない ことを国民は いま意識すべきではないか


他人事 あなた任せでは 自分たちのための未来は築けない


権力者たちのための未来で あってはならない



いま 日本の政治は どこへ進もうとしているのか


その岐路に立っている


政治を正すのは 国民の力 有権者の力しかない


憲法にうたわれている 主権在民を いまこそ 意識して 実行するときではないか








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豊前善三つれづれ日記

2016年11月28日 09時31分27秒 | 日記
( Vol 1517 ) 自民党のいう年金改革は 屁理屈 憲法にうたわれている 国民の最低限の生活の保障を無視しているのではないか

自民党政権は 年金改革の答弁で 若い世代が年金受給者を支えている その上で 若い世代との年金受給の不公平を是正するために 年金受給額を変える という

聞いていると 一見 妥当ように聞こえる

しかし じっくりと考えてみると 矛盾を感じる ことに気づく

どこがか

それは 政府としての責任という点だ

憲法にうたわれている 生活の保障

この重みを軽視してはいないか

今までの 自民党政権の福祉政策を 顧みると 場当たりすぎていた

高度成長に頼り切った 場当たり的政策で 遠い未来像を 描いてこなかった

経済成長期では その論理 政策でもよかった

しかし 経済の成長が 鈍化した時代には 場当たり的では だめだ

未来像を描けなければだめだ


慣習に頼ってもだめだ



年金政策を考えるとき いままでの仕組みの 延長線上で物事を考えている 自民党政権


その論理では あっていても 未来を見ると どうだろうか


まず 国として どう 高齢者の人生生活を 安心できるものとするかが 問われる

そこが 軽視されている


いつもいつも 政権の維持に 終始するあまり 未来像が描けないでいる


安心して暮らせる という 単純な未来像を なぜ 描けないのだろうか



場当たりでいこうとするから 屁理屈の論理を使い続けるのだ


不安ばかりを 国民に抱かせていないだろうか


明るい未来を 国民に抱かせてほしいものである




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豊前善三つれづれ日記

2016年11月24日 13時53分54秒 | 日記
( Vol 1516 ) オリンピック施設の変更は 原案の経費削減でという案のようだが 本当にそれが アスリートファーストなのだろうか 疑問を抱く


会場の変更は いますでに動き出している企業への 賠償という問題から 変更ではなく 経費削減によって 現行のままでという 考え方になってきているようであるが どうも納得がいかない


何のために 会場施設をつくるのか

そこが ぼやけている


その原因は 利権ではないか


受注した企業への補償 という弁明は 聞こえがいいが これは利権ではないだろうか


損害賠償をしても アスリートファーストを考えるべきではないか


経費節減と施設を残すということを 両立させて考えるべきではないか


ボート会場についていえば 東京海の森会場を仮説として建設というが 巨額の費用を投じて 後には残らないでは いかがなものか

むしろ 宮城県長沼ボート場を ボートの聖地化するくらいに充実させたらどうか


東日本大地震の復興という考えに対して 野球の競技会場という案を浮上させているが あまりにも小手先ごとではないか


会場選定に ビジョンがなさすぎる


ここには 東京オリンピックを主体的に決定に係る人たちの無責任さが見え隠れする


権力と利権の具になっているのではないか



真にアスリートファーストを 経済的な面と スポーツ環境の未来を含めて 考えてほしいものである



ボート会場の選定において 選手の宿泊施設を問題視しているが 海の森会場への固執ではないか


海の森会場を仮説で行うより 長沼ボート場を整備して 恒久化して 聖地としての役割をもたらしたほうが もう一つの顔である復興オリンピックとして相応しいのではないか

ボート会場で言うならば 300億近い国費を投じて オリンピック開催のためだけに 使うというのはどうかと思う


無になるより 有になることを 考えてほしいものである


会場変更を生じさせたのは オリンピック開催運営に深くかかわった組織の 計画の甘さが原因である

その代償は 大きい

それを招いた人たちは 深く反省し 責任をとらなければならないのではないか

保身のための綱引きでは困る










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豊前善三つれづれ日記

2016年11月23日 05時27分22秒 | 日記
( Vol 1515 ) 昨日の福島沖地震による 福島原発における 冷却ポンプ停止 報告が 1時間以上遅れて 報告されたのは 東京電力の保身体質を表している この体制では困る

昨日の福島沖地震によって 福島原発において プール内の水冷却ポンプが止まったと 東京電力は 報道陣に対して発表した

ただ この発表時期が問題である

発表は 1時間以上も遅れていた

なぜ このように遅れたのか

その点について 説明がない


少し前に 東京電力幹部は このようなことがいよう 企業としての姿勢を示したが その実行はなされなかった


東京電力は 原発の持つ危険性を 最重要視していないのではないか

福島市民 福島原発のある自治体への通報義務について どう信頼を得ようとしているのか

どんなことがあっても 原発における状況をリアルに 地域住民 自治体に 公表してこそ 住民から信頼されるのではないか


東京電力は 信頼という 原点を見失ってはいないか


東京電力は いま 巨額の国費が投入されていること 福島原発事故によって多大なる犠牲を住民に 与えたこと を忘れてはならないのではないか


信頼ということについて 原点に返ってもらいたい



原発の扱いは 危険性を含んでいることを認識し 異常が起きた時に 間髪を入れずに 関係機関 住民に通報する 行動をとってもらいたい








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豊前善三つれづれ日記

2016年11月17日 08時48分27秒 | 日記
( Vol 1514 ) 東京オリンピックの施設選択には 施設をシンボル化という考え方があるのではないか


オリンピック委員会の森氏は 選手本位で 施設選定を行ってきた というが それは真意であろうか

森氏特有の 論じ方ではないだろうか

統計手法に似ている 方便を使っているように思う

統計では 全体の数量が減少した中で ある種のものが変化していないとき 占める割合は 変化前より 割合が増えたと捉えて 示すことがある

これは 正しいか

ここには 意図をもって 統計を使っている

割合は 増えてみえているが 数量的には変化がない

正しくは 全体が減少しているが これだけは 変化がない と示すべきなのであるが

変化がないことを 別の形で 問題として捉え 取り上げようとする 表現手法


このトリックと同様なことが 政治家たち 権力者たちは 方便で使う

森氏も 同様である


選手本位という言葉は 聞こえがいい しかし 実態は違うはずである


今までの経緯から判断すると 東京オリンピックの施設は 国力を示す機会として捉えていたのではないか

そこには 権力者 と 利権が 多く絡んでいたのではないか


いま 日本の財政は 疲弊している その中でも 莫大な金額を投入して オリンピック施設を作るべきか 考えなければならない


今後のオリンピックにおいての施設建設費用のありようを 提起する機会に捉えることではないだろうか


ただ単に シンボル化することは 考え直さなければならないのではないか


そのようなことから 今回の オリンピック施設選定 建設は どこか歪んでいるのではないか


選手本位 というのは 詭弁でしかない


利権と 見栄 で決定していくようでは 情けない


オリンピック開催 について 基本から 考えてほしいものである



方便で 話を はぐらかしては困る





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