豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2019年09月30日 09時42分47秒 | 日記
  ( Vol 2477 ) 人間社会の利益配分は すべて強者の論理 グレタ・トゥンベリさんの 訴えに賛同 

人間社会がピラミッド社会を形成して以来

人間社会の方向は 権力者によって 決められてきた

現代社会においては 権力者と企業によって 利益至上主義が 重視され 環境については 軽視されてきている

過去を振り返ってみても 歴然

産業革命以降 環境は軽視されて 常に 自然破壊 環境破壊を 繰り返してきた

そこには 投資をいかに 利益還元するか ということを 重視

グレタ・トゥンベリさんが 訴えた 環境問題についても

そこには 権力者 強者の論理が 立ちはだかっている といえる

京都議定書の 目標は 反古にされている というのが 現状である

その原因は 権力者と企業の利権による癒着 にある


良識では 環境に配慮すべきだ と思っても 

投資と利益 という天秤から 環境よりも 利益重視 という 論理がなされ 環境軽視


その国の 法律に 違反していなければ 良い という論理で 問題が起きても 改善対策ををしない

このことが 環境破壊を 生じさせている

その責任は 権力者と企業 にある

しかし 合法だ 想定外 という言葉で  ごまかして 責任を逃れ 環境対策を放置


一番困るのは 底辺に生きているものたち


そこを 配慮すべき時にきているのではないか

その意味で グレタ・トゥンベリさんの 訴え行動は 称賛に値する


一人の訴えが 大きな波紋になることを 願う

声なき声に 権力者 企業は 耳を傾けてもらいたい

利益分配は 弱者に配慮した分配を 考えるべきである













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豊前善三つれづれ日記

2019年09月19日 12時17分01秒 | 日記
 ( Vol 2476 ) 台風15号に見る 危機管理対策は 民主党政権も自民党政権も 変わらない

福島原発事故のときの危機管理対策に対して 当時の自民党は 民主党政権を批判

自民党ならば 上手くできると 豪語


だが 今 台風15号の被害に対して 福島原発事故と同じように 何ら 決定的な対策ができていない

なぜ 福島原発事故のときも 台風15号も 危機管理が的確にできないのか


そこには 電力会社任せの 対策


丸投げ 対応だからである
自治体も 国も 電力会社頼み

ここに 危機管理対策が 不十分な 原因がある


過去の 経験がいかされていない


災害時には 日頃からの 国家主導による 対策という 考えを持つ必要がある

その自覚が 政治家には ない

いつも 責任逃れ 良いとこどり の言動 思考をしてきた

ここに 日本の政治家の 問題点がある


憲法にいう 国民の最低生活の保障 という観点から 考えると

どんなときでも 国家として 危機管理対策をとっていなければならない

今の政治は あなた任せ

無責任 である


批判はすれど いざ 自分の責任としてというときに なにもできない


これが 日本の政治家たちの 姿勢 ではないか


まず 政治家 本人 政党団体が 危機管理対策について いかに 国民の生活を守るか ということを 真剣に考える必要があるのではないか


安倍政権は 官僚の人事権を握って 危機管理対策意識は 軽薄になっている


自分の利益に対する 効率 金 を第一に考える 政治家 

自分にとって 好都合なものは 自分の手柄

自分にとって 不都合なものは 他の責任

このような 政治家の多いことが 国民の最低生活保障を 守ることができない 状況を生んでいる

企業と政治家の癒着

これが 危機管理対策の 低さを生んでいる


最低限の危機管理対策で 済まそうとする 思考が 政治家 企業に存在する

ここにも 危機管理対策が 不十分になる要因となっている


もう一度 憲法のいう 国民の最低限の生活保障 とは 何か を考えてもらいたいものである














  





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豊前善三つれづれ日記

2019年09月17日 13時06分41秒 | 日記
 ( Vol 2475 ) なぜ 台風15号による 被害状況が 即座に 把握できないのか ライフラインの遮断だけが理由ではない 自治体の 日頃からの 住民からの意見に傾聴するという 体制がとれていないからである

報道を見ていて 腑に落ちないのは 現状批判ばかりである

冷静な俯瞰した 思考によって コメントしているとは 映らない

テレビの ワイドショーから流れる情報は 視聴率稼ぎ という一面を感じる

本当に 当事者のことを考えているのだろうか と疑問を抱く

なぜ 被害状況を 把握できないのか

その事に対する 視聴者の疑問には 答えていないように感じた

すべてが 現状体制肯定の上にたった 意見

過去のたの地域では どのように 対処したのか そして どのような課題が出たのか

そのような ところまで 深掘りがされていなかった

では なぜ 被害状況が 把握できなかったのか

そこには 自治体の被害に対する 現況把握体制が 今の時代に合った 体制になっていない ということである

常識という 範疇 慣習 経験という 範疇でしか 考えてこなかった ということではないか

自治体の日頃の 情報収集体制を 考えるとき 市長への手紙 という 言葉が浮かぶ

しかし 現状では それは 成果の上がるような 状況になっていない

なぜ そのような 状況に陥っているのか

住民からの意見に対して 差別的な分別 作業をして 真摯に取り合おうとしない 対応していない ということではないか

日頃からの どう 住民からから 些細な情報 意見に対して 聞く耳を持つか

その課題 が鍵になるのではないか


今の時代 SNS時代 そして 携帯 スマートフォンの個人所有率は高い という状況にある

その機能を使っていないところに 問題がある


携帯の基地局が 被災し 稼働できていなければ SNSは利用できないが 稼働していれば 情報は十分に 収集できる


そして その情報を 被災回復に 関係する企業 国 自治体 報道機関との情報交換を可能にすれば 効果がでるのではないか

復旧対応も 被害状況の把握を 点から 線に そして 面で 把握できるようになるのではないか

その中で 把握できない地域も把握できることによって 対策もとれるのではないか


日常の中で SNSは活用されている

その事例として 天気予報の報道において ウェザーニューズが行っている 地域住民からの現状天気情報がリアルタイム取り上げられ 細やかな地域の天気情報が流されている


このように 災害対策にも利用することではないか


報道機関は 大きな貢献をするとができるのではないか


被災地で 何が起きているのか 何が必要なのか その把握には 情報重要である


このことを 重視し対策をしてもらいたい


経験から 単純な反省ではなく 根本的な考え方についての改善を 考えてほしい


いろいろな 被災による調査結果を 調べてみると 現状の範囲 常識の範囲での考察 思考に終わっている

これでは 根本的な改善はできない

「常識を疑う」という 考えをもって ある枠の範囲にとどめずに 自由な発想を持って 思考してほしいものである












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豊前善三つれづれ日記

2019年09月17日 12時46分52秒 | 日記
 ( Vol 2474 ) なぜ 日本では 理想を掲げた 政策ができないのか そこには 既得権益 強欲な権力者が 存在し 国民一人一人の政治意識が低いからである 理想を具現化するには 国民一人一人が 自分の将来の利益について 考え 意見を言う という場を設け 重視し 国民一人一人を尊重することである

理想的な国家をつくる政策を実現できている 国がある 反面 できない国がある

そこには 大きな意識の差が存在する

では どこに違いがあるのか

まず 国民一人一人の 政治意識 そして 自分への利益意識 である


理想的な国家つくりができている国は 国民一人一人の 政治意識が高い


また それを支える政策として 住民一人一人の利益を重視した 姿勢がある

このような 背景から 国民一人一人が 意見を言え 考える という力をつける という土壌をつくった


日本の政治を見ると どうであろうか

残念ながら 列挙したことは 政治家は行動していない

政治家は 国民の無能化 国民意見を無視 国民が考えることを否定

そのような 状況をつくっている


日本の政策は 一部の権力者によって 考えられている


これでは 国民にとって理想的な国家形成は 難しい


利益を得るのは 権力者 富豪 既得権益者 ということになる

国民はそのおこぼれに 甘んじる という状況


これが 日本の政治 現状である


政治家が 選挙で 国民が喜ぶ理想を掲げても そこには 国民不在

国民一人一人の 考え 意見 を聞くという 体制ではない

選挙に勝つ という 手法 

実現不可能なことを 平気で言う

なぜ 実現不可能なのか

そこには 既得権益 権力闘争 ということが 存在している

国民には見えない 暗闇で行われている 闘争が 実現不可能にしている


最近「 バカ正直な人ばかりになっちゃうと 世の中 面白くなくなる気がする ・・・」という CMが流されているが 

このコピーは  見方を変えれば 国民の政治への無関心 を助長している ようにも映る


日本社会は 閉塞感になったのは なぜか

そこには 国民不在

国民 一人一人の政治意識が低い 政治への無関心を生んでいる

国民一人一人が 政策による 自分の受ける将来的利益を 真剣に考えさせない 状況をつくっている

国民一人一人が 考え 意見を言う という 機会の場を奪っている


説明会を やっても 提案者側の工作によって 人数合わせ 参加者の意見を 特定の意見だけを汲み上げる という 手法


すべてが 形だけ 

真剣に 真面目に 国民一人一人 住民一人一人 が 将来自分にとって 利益があるのか 考え 意見を言わせ どこまでも納得するまで傾聴する という 姿勢をとろうとしない

時間を気にして 時間切れで 意見を聞いた として 提案を実行

ということを 政治家は 許してきた

これが 日本の政治の 現状である


これでは 理想を実現できない


理想を実現させるには 
政策 提案について 国民一人一人が 自分の将来の利益について 考え 意見を言う

ということが 重要である

主権在民 という 意味を 国民一人一人が 真剣に 真面目に 正直に 向き合って 考えることが 政治を正常化させ 国民一人一人の 将来的利益を保証する 社会をつくることができるのではないか

真の民主主義 を実現する という土壌をつくることができるのではないか

今 日本の政治に大事なことは 初心に立ち返り 「真の民主主義とは」 と考えることではないか












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豊前善三つれづれ日記

2019年09月16日 16時16分54秒 | 日記
 (Vol 2473 ) キャッシュレス時代の盲点 カードのICチップがカードリーダーに 機械的構造の問題で引っ掛かった 機械は万能ではない 即対応をいかにするか が課題である キャッシュカードのICの剥離が 生じないように構造を改良する必要がある

私は キャッシュカードを 使いはじめて かれこれ30年

お金を持たず カード一枚で 買い物 食事 ができる

この便利さは 捨てがたい

それが 最近 そうではないことを 体験

それは キャッシュカードで 精算し終えた ときのことである

キャッシュカードが カードリーダーから 取り出せなくなったのである

店では カードリーダーにカードが 引っ掛かる などということは 想定もしていない

対応は カードリーダーの製造会社に 連絡をとって 対応

店員が カードリーダーを 開けることはできない

製造会社の人が 来なければ 対応できない

店は 製造会社の職員が 来なければ 何もできない という対応

急いでいる 客は 困ってしまう


休日は 製造会社は 対応していない

カードリーダーに挟まった クレジットカードは 修理されるまで 客の手元に 戻らない

キャッシュカードは その間 使用できない


カードレス それは 便利であるが 

一度 不足の事態になると 不要なものとなる


カードレス時代を迎えて

どうこの欠点に対処するか


カードリーダーは 完全ではない

不足の事態に どう 即対応できるか


なぜ キャッシュカードが カードリーダーに 挟まったのか

その原因は ICチップにあった

ICチップとキャッシュカードは 一体のものであると 思っていたら

ICチップは 嵌め込みになっていた

その嵌め込みが なんらかの力が加わって キャッシュカード本体から わずか 一部が 剥がれるように 浮き上がっていた

僅か コンマ数ミリ これが カードリーダーに 引っ掛かって 取り出せなくなった 原因である


キャッシュカードは 便利であるが

構造的な欠点が 明らかになった 形だ

このような ことが 生じないように ICチップが 分離しないような 構造にする必要がある

また 店では 客へのサービスという面において 不足の事態に 即対応できる体制を構築する必要がある





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