豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2014年08月31日 11時26分31秒 | 日記
 ( Vol 1119 ) 福島原発事故避難者自殺遺族の 訴訟判決 勝訴 は 責任の重さを 示すもの

遺族は 東京電力の責任の明示を 要求

この行為は 日本人に 自己主張という風が吹いているのではないか と映る

その中で 企業の責任というのが 問われる 時代になってきている

自動車業界では その点においては リコールという形で 先行している

すべてにおいて 責任を持つ 

その姿勢を いま 求められている

その結果が この訴訟ではないか

報道によれば 賠償については 国による原子力損害賠償紛争解決センターの和解仲介手続きによることがあったようである

しかし 遺族は それを拒否 あくまでも 訴訟という道を選んだ

この行為は 勇気ある行為である


政府 東京電力は 責任を曖昧にしてきた という経緯の結果である


この裁判で 東電側は ストレスへの耐性が弱かった と主張した 

ということであるが 

個人差を 平均の中に組み込む考え方は どうか

いじめの問題に例をとると 個人差を無視することはない


日本の自殺者は 3万人を越えるほどで 先進国の中で 自殺率は トップである

その自殺の原因の第一位は 経済・生活 第二位は 健康問題 

と警察庁発表の統計資料から判る

自殺に至るには 原因による悩みから「うつ」へと変化し 自殺へと至る 経緯がある


このことからも 今回の判決の意義は 大きいのではないか


日本社会は ことを大きくしない 泣き寝入り状態が続いてきた

しかし ここに来て 日本人の意識は 生活の変化によって 考え方行動が国際基準になってきた

今後も 国際基準の中で 責任の追及 訴訟が 起きてくるのではないか


東京電力は 今回の判決を 重く受け止めて 責任意識を持ってもらいたい


このような訴訟を認め 保証していては 資金が底をつき 倒産する という懸念の恐れを抱き 抵抗するが その姿勢は 問題である

責任の自覚を持てば 企業全体で 事故の回避 その損害賠償に 前向きになる はずである


日本の企業 政府の 責任感のなさが このような 損害賠償訴訟が 起きたのではないか

企業 政府は 責任ある 姿勢をもってもらいたい


原発再稼働についても 責任ある姿勢から 判断してもらいたい

事故が起きれば 損害賠償請求訴訟が 起こされるということを 重く受け止めてほしい

政府 自民党政権の掲げる 強い日本 とは 責任ある行動 言動が 基本にあるのではないか

強い日本の 意味を 重く受け止めてほしい ものである









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豊前善三のつれづれ日記

2014年08月30日 08時54分43秒 | 日記
 ( Vol 1118 ) 差別的な憎悪表現 ヘイトスピーチの対応に乗じて 国会周辺のデモを 禁止しようという 対策案は 表現の自由を脅かすものだ

ヘイトスピーチの対策の問題が 話題になっている

その中で デモについても 制限を加えようという動きが出ている

どうも 問題解決の 対処方法を 拡大していないだろうか

差別対策は 国連の人種差別撤廃条約によるものだ

デモは デモである


どうも 自民党政権は 力で何事も 押さえ込もうとしている

表現に対しては 憲法で 表現の自由が 保証されている

その自由を 束縛するようなことがあってはならない


デモに対する制限は 極力少なくするべきである

国会周辺のデモ禁止は 政治への国民の表現という場として 奪ってはいないか


国会への 国民の表現としては 国会デモは 有効である

その意味で 国会周辺のデモ禁止は 表現の自由を規制するものであるといえる


ヘイトスピーチは 規制されなくてはないらない

人は 人種 出身 肌の色 階級で 差別されてはならない

人は 皆 対等な人間として 扱われる ことが必要である

しかし 現実 差別的な 表現が 横行している

国連が進める 人種差別撤廃は 大きな意味を持つ

日本政府は 本腰を入れて 人種差別禁止の行動をとる必要がある


先日は スポーツの場で 人種差別表現が 行われ

問題ついて 取り上げられた

表現の自由と 差別的発言 は 区別する必要がある

ハラスメント ヘイトスピーチ と 人格を無視した 言動には 断固禁止の態度が必要である


国会議員自ら 戒め 国民に模範を示す 必要がある

また プロスポーツにおいても 差別撤廃の 運動を広げる必要がある


分からないから 見つからないから いいだろう という 甘い考えは問題である

とくに 権力を持った者に 多くこのような言動がある


怒りの感情を 冷静にし どう対処したら良いのか 考え 行動してもらいたい




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2014年08月28日 17時39分14秒 | 日記
 ( Vol 1117 ) 朝日新聞の 慰安婦問題 吉田証言 虚偽に対する 社会の朝日新聞社への批判への 反論記事は 社会批判の意図を 汲んでいない


朝日新聞は 慰安婦問題に関して 吉田証言は 虚偽であったと 先日報道した

しかし その後 朝日新聞の反論は 謝罪ではなく 慰安婦問題報道が 河野談話に影響しなかった と主張

この報道内容を見る限る 朝日新聞の姿勢に 疑問を感じる

朝日新聞は 日頃から 政治・社会に対して 厳しい視点から 批判・警鐘を促す 報道をしてきた

その姿勢は 賞賛されるが  しかし 自分のことになると その姿勢が 弱まるのは どういうことか

朝日新聞が 築いてきた信頼性というものが 失われるのではないか


朝日新聞は 慰安婦報道に対する 誤報を重く受け止めた 報道をすべきではないか


朝日新聞の 弁解報道は 報道によって 受けたであろう影響をも 否定しているように映る

誤解を 受けないためにも 謝罪をはっきりと表明した 報道をして その上で 記事の検証を すべきではなかったか


今回の 朝日新聞の 対応 行動には 不信を抱く

報道の持つ責任を 真剣に考えてほしいものである

週刊文春に対する 新聞広告掲載拒否の理由についても 了見が狭い ように映る

この行動は 冷静さを 失っている


批判は批判として受け止め 国民に広く考えてもらう機会と捉えて 扱うべきではなかったか

終始 自社弁護の姿勢では では困る  

朝日新聞の 情報に対する信憑性に対して 疑いを持つ気持ちになる

信頼の失墜に繋がっていることを 重く受け止めてほしい



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2014年08月28日 00時37分39秒 | 日記
  ( Vol 1117 ) 原発再稼働にあたり なぜ30km内の自治体に 再稼働に対する 同意の権利が与えられないのか 不備の中の再稼働は 不合理

国は 原発から 30km以内の自治体に 避難計画の策定を求めている

この考え方からすると 30km圏内の自治体に対して 原発に対して 同意する権利が発生するのではないか

その権利が 与えられていないのは 不平等ではないか

政府は 原発再稼働を 進めるために 障害を少なくする という 意図が見えるように映る

原発事故は 世界的な問題である

慎重に 慎重に 原発再稼働に対して 対策をしなければならない

それなのにである 慎重さが欠けている


原発が 福島原発事故のような 事故を 起こしたらどうするのか

福島のとき 放射性物質の放出に対して なんら対応ができなかった

現状でも 対策はできていない

なのに 再稼働をするという

あまりにも 無謀 無責任 である


もし 首都東京に 原発があったら どういう対策をとるのか

また 再稼働に対して どう判断するのか


たぶん 首都東京 での 原発再稼働に対しては 大変厳しい 規制基準が策定されるのではないだろうか

首都から 遠い 人の少ない過疎に設置するからこそ 安全対策が おろそかになる

再稼働の判断においても 不十分な判断がなされる


事故対策としての 避難策定を 自治体に委ねている ことこそ 問題である

本来 政府 国が 責任を持つべきものである

事故が生じたとき 被害が出ることを 想定した 再稼働に対する 安全対策は 自治体への責任転嫁

原発の再稼働は どう考えても 不十分な対策の中で 行われている としか映らない


原子力規制委員会のメンバーは 国民に対して 責任をとる覚悟を持って 審査しているのだろうか 

この点については 疑問

政府に対して 忠誠を誓っている としか思えない

政府と切り離した 関係になっていない

いかに 政府の意向に沿って 再稼働を認めるか という行動をとっている ようにしか映らない


原子力委員会の 独立性は 保たれていない のが現状ではないか


原発に対する 対策を しっかりと策定してから 原発の再稼働を 考えるべきではないか

原発保有企業も 国民に対する 責任を意識した 行動をとってもらいたいものである

政府が 認可 許可 したから お墨付きをもらったから 稼働するでは 責任不十分である


影響を受ける 住民の許可を 受ける必要がある

事故を起こして 不可抗力だったと 責任をとらないような 行動を とることは 決してしてはならない

原因者としての 責任意識を持ってほしい

その上で 原発企業は 住民に対して 稼働の合意 と避難対策に対する 協力をすべきではないか


福島原発事故の際 放射性物質の放出範囲は30kmを越えていた

だが そのことに対する 責任は うやむや

政府も 原因者である企業も 責任を表さない

そのような 中 原発再稼働は 時期尚早

もう一度 原発に対する 対応を見直すべきではないか








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豊前善三のつれづれ日記

2014年08月27日 12時54分05秒 | 日記
  ( Vol 1116 ) 芸術表現は 学歴も 肩書きも 必要ない

芸術表現は 限られた人に与えられたものではない

万人に 与えられている

芸術と認める行為は ある権威者によって 牛耳られているが それは 偏っている

権威者の 個人的思想に基づいている


そもそも 表現とは 個々人のもっている 人生観で 社会を感じ表現されるもの

それが 芸術表現になる

時代が求めるものだけが 芸術ではない

表現されたもの すべてが芸術


美術雑誌 美術館 で取り上げられる芸術は ごくごく 限られた範囲

もっと もっと 広く捉える ことではないか

学歴も 経歴も 関係ない

いま という時を どのように表現されているか

いま という時の中で 作者は 作者自身の感性で どのように感じ 表現しようとしているのか


そのことを 限られた基準で 見ようとするのは 偏見に他ならない

すべての思考規制を 解放してこそ 芸術は活きる のではないか

その人ならではの 表現

個性 独創性 という 個人の持つ感性を 捉えることではないか


芸術表現は 個人の中の 叫びでもある

その叫びを どう受け取るのか

権威では それは受け取ることはできない

すべての規制を 取り払ってこそ 受け取れる


芸術表現には 学歴 肩書きの 添え書きは必要ない

必要なのは 表現されたもの 作品 だけである

どれだけ 作品が 一人歩きできるか


発表されたときから 作品は一人歩き


作家から 手を離れ 人々 社会の 間 空間を 彷徨う


どんな人にも 自分の人生観はある

その人生観を持って 表現する

そのことが 大切ではないか


いかに 自分を出せるか 

批判をものともせず  表現できるか

個性ある 独自性ある 自分の視点で 表現できるか


芸術というのは そういうものであってほしい


商業主義の中の 芸術評価は 芸術を 堕落させる


芸術は 作家の 叫びである

だれにも だれにも 止めることはできない


賞をとったものだけが 芸術作品ではない

賞賛されたものだけが 芸術作品ではない






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