きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

小沢氏検察審査会に不快感

2010-10-08 10:40:43 | Weblog
小沢氏検察審査会に不快感       (010.10.08.)

小沢氏は記者会見で、「私が必要とされる限り、政治活動は続けてゆく」と主張し検察審査会に付いても、「平均年齢約30歳と言う事しか分からず、秘密のベールに包まれている。どういうことで“起訴すべき”の、結論が出たのかも全く分からない」と不快感を示した。

東京第5審査会から2回第1審査会から1回何れも「起訴相当」の決議が出された事は、明らかに「犯罪疑惑を其のままにする事は許されないとし、裁判の場で、明らかにするべきで、それを国民が知る権利がある」と言うことを審査会は示している。

検察側は、あくまで、刑事訴訟法に照らして、明確な罪状が無ければ起訴できないと言っている。
しかし、小沢氏の土地購入の問題も「政治献金を積み立てたもの」と言う説明が政治資金収支報告では預金を担保に銀行から融資してもらったと報告している。それが二転三転し、家族ぐるみの自己資金になり、その保管場所も「自宅」から「事務所」に変わっている。

政治資金規正法は、政治家が政治資金の流れの潔白を示すために、国民の監視と批判のもとに置く事が求められているものであり、其の流れが、二転三転、つじつまを合わせるように説明が変わる事に疑惑がもたれる事は当然である。

また、「陸山会」の政治資金収支報告書に付いても秘書に任せて、指示したり相談に乗ったりした事は無いと証言し、虚偽記載の責任からも逃れている。

しかし、秘書といえば、小沢氏の身代わり同然で、「監督責任」は当然小沢氏にあるわけで、秘書3人が逮捕されている事からも道義的責任は逃れる事は出来ない状態である。

その様な疑惑の状態が残る問題を、小沢氏は「何も悪い事をしていない」「潔白だ」と言い続ける事に、国民は無実で通すと事に強い抵抗を示しているのである。心ある政治家であれば、自ら其の責任に応えて、国民に詫びると同時に、自ら身の清算を決めるべきである。それが道義的責任に応える態度では無いでしょうか。

それが全く無い姿勢が、国民からの批判を浴びているのである。そして、審査会の決議に不快感を示して居ると言う事は、全く彼には政治家としての良心が感じられません。

民主党にしては「最大の邪魔者である」と思うのだが、その小沢氏を擁護しようとする小沢派が、居るから、党内事情を複雑にしている。

岡田幹事長は、12日の役員会で、「小沢氏の処分を論議する」としているが党の自浄能力を示すためにも明確な態度を示す必要があると思う。
(えびなたろう)