1月29日(金)
今日は『天からやってきた猫』最終回だった。
整数道場をして、9時40分になっていた。
又、9時半を過ぎてしまった。
あ~あ~!
という言葉といっしょに心の底には、ちょっぴり…ううん、おおいにうれしさがあった。
主人公のねこ、パイに会えるのだ。
私はこの番組をなにげなく見たのではない。
新聞に 『天からやってきた猫』とかいてある。
『猫』という言葉にひかれて第一回目を見た。
はじめて出てきた その家のむすめ、のり子は気に入らなかった。
おみやげを見て、「ダイエット中」だなんて、にくらしい。
そんな、のり子や、動物をあまり好かない この家の主人。
何となく暗い感じの母。・・・で、この話は始まっていた。
つづきは明日。よろしく
1月30日(土)
私が この『天からやってきた猫』で一番印象的だったのは、父が猫のパイをもらってきて、母にシャムネコの名を何にするか、話し合っていた、その時の娘、のり子の言葉だ。
父は、「マージャンパイのパイ! なっ、パイ‼パイ‼」
又、母は、「いやだぁ、そんな名前」
…と、猫の名について話している。
そこへ、ろうかを歩いて来るのり子。
「あら、すてきよ。パイ! パイちゃん。ねっ」
と、のり子は両親の顔をのぞきこんだ。
いつも父に反抗し、言葉使いの あらかった のり子が…。
つづいて母も、「そうね。すてきね。パイちゃん」
その母の言葉は、感動でふるえていた。
目を大きく開いて ほっとため息をつく父。
そのため息は、安心したから出たのだろう。
のり子は ほんとうに明るくなった。
もしかしたら、父がどんな名前をつけても、
「すてきよ」
と、言ったのかもしれない。
まだまだ、番組を見て、感動させられる所は多くあった。
人間にとって大切なことも教えてくれた。
仕事のきびしさや、家庭の明るさ。
すべてがパイのおかげで、この一家は幸せになった。
一人一人の性格も変わった。
のり子は明るく、母は『まぼろしの猫缶』キャット、ママの会で一日一日をたいくつせず、楽しく暮らせるようになった。
又、父は人を愛し、ゆるすことをパイに教えてもらった。
そんなすばらしいパイは、あっという間に天へ去って行った。
のり子の花よめすがたも見ずに、のぼって行った。
パイはまるで、天からやってきた猫のようだ。
天からやってきた猫なのだ。
そして、一家を幸せにすると、天へ帰って行ったのだった。
1月31日(日)
この すばらしいパイの後をついで、シー(我が家の猫)は、天からやってきた猫になってほしい。
一家を明るくしてネ!
天からやってきた猫、シ~くん。
良い番組をみたんだね。
すばらしい感想文になっています。
シーくんも、パイみたいになったらいいね。
注:下線部は、当時の担任の先生が赤ペンで波線を引いた箇所です。
2月22日(月)
『天からやってきた猫』の本、今日は『まぼろしの猫缶』まで読みました。
テレビとちがう所は数多くありますが、本を読みながら、頭の中には、シャムネコパイがいて、のり子、母、父がいます。
最初から、もう一度、『天からやってきた猫』を見ているようです。
又、お父さんは仕事へ出かけるのも忘れて読んでいました。
テレビに出てくる猫は、パイだけ。
パイは、シーくんといっしょに忘れられない猫になりそうです。
ほんと猫ってすてき!
『天からやってきた猫』をずいぶん読んだんだね。
先生も そう思いました。いつか近いうち 先生も猫をかいたいと
心から思っています。
もう少し、今の生活に よゆうができたら、かうぞ。
そして、大切にするぞ。
原文のまま… 自分の記憶と微妙に違っていましたが、小学生の頃に書いた文章の方が上手でした。一部、ひらがなを漢字にしてあります。このくらい、漢字で書いてよねぇ~とつっこみながら…。寝る前に感動のあまり慌てて書きなぐった感じは分かりはしますが、もっと丁寧な字で書いて欲しかった…。
赤字は、担任の先生のコメントです。
シーくんは、間違いなく、この日記を書いた時点で、天からやってきた猫でした。
6年の担任に「あなたは小学校の先生になりなさい」と言われましたが、期待が大きすぎて避けてしまいました💧
すごく後悔しています
いい先生になれば許してくれるかしら?
本好きになったのが母のお蔭なら、
物書き好きになったのは、間違いなく担任のお蔭です。
(好きなだけ、ですけど。)
その担任ですが、漫画家になることが夢だったらしいのです。
小学校の先生に向いていると言われ、教師を志したのだとか。
なかなか夢実現!とは行かない中、凄いですよね。
でも本人の素質が一番ですよね。
双子だって性格が全く違ったりしますね。
先生とご家族と掛け替えのない宝の中で
素質がすくすくと伸びたのですね。
まだ人生半ばすずさんがこれからの半生をどんなふうにご活躍するのか楽しみですね
今日は、2度目の、コメントですわ~
見かけは、どんな先生だか、わかりませんが、
きちんと、生徒と向き合っている先生だったのでは・・・と感じましたね~👍
コロナの件で、密は避ける・・・が、しばらく続きそうですが、
子供達と、先生方は、どうか、心は、温かく・・・、通じ合える関係で、学校生活を、心豊かに、過ごしていただきたいなと、
現状の、子供達や先生方に・・・、願う感じですね~
素敵なエピソードと、昔の記録を、どうも、ありがとうございます~
私も環境が何より大事!だと思います。
とにかく厳しい母でした。
特に規則正しい生活を送る、という点において。
テレビもゴールデンタイムはNHKしかみせて貰えませんでした。
担任の先生が
生徒は「日記」を書く⇒ 学級通信に優れたものを掲載する! ということをルーティンのように実行してくれたことは、大人しい性格の自分には、とても合っていました。
45人前後のクラスメイト全員が、ノリノリで毎日、日記を書いて提出した訳ではありませんし…
これは必須課題ではなかったので、書きたい人は毎日、書きますが、書かない人は滅多に書かない、という状況だったと記憶しています。
みんなの前で発表する、という事が苦手だった自分にとっては、違った自己表現方法を教えてもらい、自分に対して少しずつ、自信が持てるようになっていった…
そんな小学校4,5、6年生の日々でした。
担任が生徒一人、ひとりの個性を見極めて、導いてくれたことが大きかったです。
昨夜は、20時、大河ドラマ『麒麟がくる』から韓流ドラマ、最後に『未来少年コナン』まで。
NHKにどっぷりつかり、テレビ三昧の夜だったため、
お返事は仕事から戻った今になってしまいますが…
先生の見かけですか?
これは かなり面白い質問‼
漫画家になりたかったくらいですから、
イラストが得意で、学級通信には自分の似顔絵をそっくりに描いておりましたっ!
その学級通信。
捨ててない、すなわち自分の机の引き出しにある筈なので、探せば見つかるかも?
私の担任になった時は、教師一年目の新米。
23歳という若さだったんだな、と驚き!
私も23歳で英会話学校の講師になりましたが、
(今現在のECCの前)
幼児から中学生まで留学するまでの2年間で22名に教えたものの、歳が近いので、お友達感覚でした…
威厳がなくて。💦
保護者の方が、ずっと年上で…
そう考えると、尚更、あの当時の担任の先生は、立派だったと思います。
小学校卒業までの数か月は、かけがえのない時間だったことを想うと、コロナの現状は…
気の毒としか言いようがないものの、先生方は きっと、
『離れていても心は繋がっている』
そう信じてがんばっていらっしゃるのではないかと…
ビオラさん同様、エールを贈りたいです。