2015年8月28日(金) 今年の終戦記念日 1
◎戦後70年談話
今年は、戦後70年という節目の年に当たる事から、色んなTV番組等が放映された。
その中で、先日8月15日の終戦記念日に当たって、8月14日夕刻、「戦後70年談話」が、総理大臣から発表され、記者会見が行われたが、その様子を、NHKテレビで観た。
談話を作成するにあたり、事前に、識者から意見を求める等、鳴り物入りで纏められた談話である。談話は、日本語の他、英語に加え、韓国語、中国語にも翻訳されて公表されている。
そして、この談話に対して、その後、内外から、数多くの反応があったが、ここでは、これらの論評は控えたい。また、これまでの戦後の節目の年に、時の総理による、50年談話、60年談話が公表されたが、これらと、今回の70年談話との差異等についても、省略したい。
当ブログでは、先月、
明治産業革命遺産 (2015/7/8)
の記事を投稿したが、その中で、登録に反対した韓国との間の、ごたごたに触れている。
その折、明治以降の日本の近代化については、今回の談話がヒントになるのではないかと期待して、取り上げることを保留して来たものだ。
今般、ネット経由で、改めて今回の談話全文を入手して、読み返してみた。
今回の談話の狙いは幾つかあるだろうが、その中の一つは、近隣諸国、とりわけ、韓国、中国との関係を如何に捉え、今後の関係改善に資するか、であると考える。
この観点を主にして、以下に、筆者の率直な印象を述べたい。
◎韓国との関係
○朝鮮併合
今回の談話では、幕末を含めた明治初期から終戦までの内外の動きについて、歴史の教科書のように述べられている。大綱に異存はないのだが、その中で、韓国との事が、一言も触れられていないのは、筆者には、可なりの驚きである。
日本は、日清・日露戦争勝利の余勢をかって、明治39年(1910年)に、朝鮮半島の大韓帝国を併合し、統治下に組み入れて朝鮮総督府を設置した。
朝鮮併合以降、半島は日本の一部として扱われたが、決して、対等な関係では無く、差別的に扱われてきたのは事実だろうか。
朝鮮併合については、日本には、相手側から併合を要請されたとか、大金を費やして、朝鮮半島の人達にしてあげた事を強調する意見等もあるようだ。(小名木善行 ねずさんの ひとりごと 日韓併合の理由 など)
一方で、朝鮮併合については、韓国では、日本とは、評価が180度異なるようだ。(韓国併合 - Wikipedia)
筆者の見方は、客観的にみれば、日本による植民地化であり、朝鮮を手に入れるという、秀吉以来の「欲求」を実現した、ということだろうか。
日本による朝鮮半島の領有は、終戦まで続いた訳だが、当ブログの下記記事
祝日と休日 (2014/11/24)
で触れているが、日本の終戦記念日の8月15日は、韓国では、光復節という独立記念日で、国民の祝日になっているようだ。(光復節 (韓国) - Wikipedia)
朝鮮半島は、長年の抑圧から解放され、己の道を歩めるようになった訳だ。
総理談話にもあるが、己の生き方は己で決める、という民族自決の原則と、力による支配、被支配の関係はあってはならないという方向は、全てに優先されるべきものだ、と言うことだろう。
日本からの、明治産業革命遺産の登録申請に当たって、対象範囲を、幕末から1910年の、韓国併合以前までで区切ったことは、やや奇異に感じたのだが、これはどんな理由からだろうか。韓国で問題になった、端島(軍艦島)などでの徴用工への強制労働は、太平洋戦争の時で、明治期を対象とした登録とは無関係で問題は無い、という逃げをうつ狙いのようにも見える。
○従軍慰安婦問題
一方、韓国と日本との間では、従軍慰安婦問題がくすぶっている。
これに関しては、70年談話の中にある、
「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」
と言う下りは、慰安婦という言葉は使わず間接的に触れているが、相手に謝罪しているとは言えないが、事実があったことを国民へ呼びかけている、ということだろうか。
日本としては、公的には、両国間の交渉の後、1965年の日韓基本条約と関連協定の成立によって、多額の経済協力金を支払う等、戦争に関わる請求権の問題は解決済みとなっている。 従って、形の上では、従軍慰安婦の問題も含めて済んでいる、ということだが、交渉の段階では、韓国側からは、従軍慰安婦については何の問題提起も無かった、というのは、どうしてだろうか。
慰安婦問題で、軍の強制の有無を調査し、その結果を公表した、1993年の「河野談話」もあってか、韓国側は納得していないようで、韓国の裁判所では、民間から、従軍慰安婦関連の賠償の訴えも出ているという。
又、国際の場でも、韓国は、重大な人権問題としてアピールを行っているようだ。
上述の、太平洋戦争当時の徴用工の件でも、当時の日本の企業が、民事案件として訴えられているという。
このあたりの、公的レベルと、民間レベルでの、国家が絡む賠償に関する国際的なルールはどうなっているのか知りたいところだ。
公認の公娼制度の中での慰安婦は、Confort Womenだが、拘束度が強い、戦地での従軍慰安婦は、性的奴隷(Sexual Slaves)とも呼ばれるようで、調査・確認はしていないが、日本軍特有のものではなく、何処の戦場や駐留地でも、つきもののようだ。
当事者にしてみれば、個人の尊厳もあり、表沙汰にはしたくない気持ちもあって、名乗り出るには大変な勇気が要ることで、実体を把握するのは困難だが、日本軍には、韓国人、中国人など、数万人の慰安婦がいたとも言われる。
“彼女らは、今になっても、なんでもゴネれば金になると思っているだけだ、当時はいい稼ぎになるので喜んでいた”、といった捉え方もあり、更には、高給を稼ぐ、戦時売春婦と呼ぶ向きもあるが、このような見方は如何なものか。(慰安婦 - Wikipedia)(【よくわかる!】従軍慰安婦とは高給取りの戦時売春婦です。)
韓国にしてみれば、現在は、立派な国として、国際的にも認められていればいるほど、苦しめられた屈辱的な過去を齎した日本は、許せないということだろう。
加害者側は、疾うに忘れてしまっていることでも、苦しめられた被害者側は、何時までもそのことを、忘れないのは、世の常だ。
先の経済協力金等で全て済んでいて、彼女達に救済が行き届いていないのは、韓国側の責任だ、と杓子定規に決め付けるのではなく、蒸し返しのようにはなっても、過去の被害当事者の気持ちに立って、彼女らの納得のいく措置(謝罪と賠償)が講じられる必要があるだろうと考える。
謝罪したり、反省していることを、口先で表すことは簡単だが、こちらの誠意を相手に伝え、それを具体的な行動で示すことは容易なことではない。
談話にあるように、反省と謝罪を、次の世代に残すのでなく、今の世代で解決することは重要だが、戦時行動の一環として、このような過去があった事実は、世代に亘って忘れてはならないことである。
終戦前の日本地図 (ネットより)
◎中国との関係
中国との関係についても、談話では、日清戦争や台湾領有には触れておらず、満州事変とだけ出ているが、その後の中国大陸での日本軍の横暴ぶりについては、曖昧である。
でも、ここで改めて、これらに触れることはしないが、ごく最近の話題について述べたい。
○中国の抗日戦争勝利イベント
この9月3日に、中国は、「抗日戦争勝利・世界ファシズム戦争勝利70周年記念式典」なる行事を行うようで、各国の首脳に、出席の招待状が送られ、日本にも届いたようだ。日本の総理は、国会審議等を理由に、欠席し、村山元首相が出席するようで、西側諸国の首脳も、軒並み欠席し、代理が出席するようだ。
でも、中国と関係を持つ、世界30カ国程の首脳が出席し、ロシアは、プーチン大統領に加え、パレードに参加する軍隊も派遣するという。また、韓国の朴大統領も出席すると公表されている。
このイベントは、軍事力を含めた中国の力を、世界や周辺諸国に誇示するのが狙いの様で、現指導部の体制固めも意図しているだろうか。 戦後50年、60年の節目の年には、この様なイベントは無かったが、今年、70年にして開催するのは、やや影が薄れた反ファシズム闘争の戦勝国を旗印に、国連での地位を確かなものとする狙いもあるだろうか。韓国出身の、ハン国連事務総長も出席という。
日本の70年談話では、力の行使を否定し、積極的平和主義の姿勢を強調しているが、このイベントを、敢えて、「抗日戦争勝利」としたのは何故だろうか?
○台湾を巡って
台湾は、日清戦争の結果、清朝との間の下関条約で、明治28年(1895年)、日本に割譲されて台湾総督府が設置され、終戦までの約50年間、日本の統治下にあったこととなる。
ポツダム宣言受諾による日本の無条件降伏により、解放され、中華民国に復帰した10月25日を、台湾光復節とし、国民の祝日になっているようだ。
中国人民解放軍と中華民国と日本軍との相互の関係は、複雑だが、戦後間もない、1949年に、中国本土に中華人民共和国が建国されたことで、中華民国首脳は台湾に逃れている。
現在の台湾の国際的な地位は、ほぼ、独立国並みといえるだろう。中国政府は、一つの中国という建前のもと、台湾とは、デリケートな関係を保っているようで、力による統合・併合の意図は無いようだがーー。
先日の8月22日、BSフジで放映された番組、
新渡戸稲造の台湾~スーツを着たサムライ2015~
を観る機会があった。
新渡戸は、明治後期、派遣された台湾総督府の下で奮闘し、現地の製糖業の発展等に尽力したようで、日本で製作された番組のため、手前味噌は避けられないものの、現在も、現地の人達に敬愛されているというのは、やや、驚きであった。
彼の活躍は、日本の統治下での事だが、現在のODAのように、対等な関係の下で、国際的な援助の一環等として行われていたら、どうだったろうか。
◎韓国と台湾
筆者が、韓国と台湾を、それぞれ、複数回訪れたこれまでの体験では、日本に対する国民感情には違いがあるようだ。 台湾は親日的で、日本語も、年配者等には結構通じ、同じ漢字文化圏のため、看板等も理解できる。日本統治下にあった時間が長い事や、先述のような、先人の努力の御蔭でもあるだろうか。
一方、韓国は、どこか親しみにくい空気があり、緊張感がある。 日本と同じ漢字文化圏なのに、使用する文字で、漢字を禁止して、ハングルだけにしていることも残念だ。
でも、日本のTVドラマでお馴染の韓流時代劇に出てくるのは、以前使用していた漢字の名前や書物だけなので、少し、ほっとさせられる。
韓国出張の合間に、仏国寺等の遺産・遺跡を巡るバスツアーに参加し、そこで親しくなった韓国人親子と一緒に行動したのだが、忘れられない、ハプニングがある。
ある史跡を見た時、“日本の武将の、信長、秀吉、家康の3人の中で、誰が好き?”、とまともに聞かれ、一瞬、ドキリとしたのである。
“それぞれに個性があって好きだが、じっくり我慢し、戦の無い江戸幕府を作った家康かな”、と誤魔化して何とか凌いだことだ。あの時、朝鮮に2度も出兵した、“秀吉が好き”、などと言っていたら、その後は別行動になっていて、一緒に楽しんだ昼食もなかったかもしれない。
アジア諸国の中で、
韓国、台湾、香港、シンガポール
は、戦後、経済発展が著しい国として、「アジア四小龍」と呼ばれるようだ。
日本や中国は、言ってみれば、大龍になるのだろうか。 又、今は小龍の韓国だが、いずれ北朝鮮と統一が出来れば、これも、大龍になるだろうか。
韓国、台湾 どちらの国とも、今後、時間を掛けながら、理解を深め、融和していきたいものだ。