2014年2月13日(木) ジャンケン遊びの広がり
当ブログでは、以下のように、指文字の文化シリーズの後、ジャンケンシリーズが、暫く続いたが、
指文字の文化 その1 ~ 指文字の文化 その5
(2013/11/14) (2014/01/25)
ジャンケンの実際―3人のジャンケン~ n人のジャンケン
(2014/1/30) (2014/2/8)
本稿の、ジャンケン遊びの広がりに関する話題で、打ち上げとしたい。
◎ジャンケン遊び
ジャンケンは、日常的には、少人数で勝敗を決める時に利用されるが、イベントなどで、大勢でジャンケンをやって、盛り上がる事もある。壇上にいる司会者と、フロアの参加者間で、手を上に上げて行い、勝ち抜きで、最後に残った者が景品を貰う、といったものだ。
日曜日夕方の民放の人気番組 「サザエさん」の最後に、テレビ画面中のサザエさんと全国の視聴者間で、ジャンケンをやるのは、子供だけでなく、大人にとっても楽しいものだ。
幼稚園等では、ジャンケンの動作を取り入れた、手遊び歌もあるようだ。
(ネット画像より)
聞き慣れたメロディー(原曲は、フランス民謡とか)で、♪グーチョキパーでなにつくろう♪ と歌いながら、両手を動かして、
右手○ 左手● ⇒つくるもの
グー チョキ かたつむり
チョキ チョキ かにさん
グー パー ヘリコプター
をつくるようだ。 つくるものは、他にも、ちょうちょ、アンパンマン、ドラエもん、めだまやき、ボクシングなど、色々工夫されているという。
歌いながら、
“右手は○で、左手は●で”、
と、右・左の手形をそれぞれ言う事で、幼児期での、右と左の呼称も身につくのだろう。
前稿などでの、数学的なジャンケンの確率論では、どの手形も、同じ確率で出てくる、という大前提に立っているのは言う迄もない。でも、以下のように、そうとも言えない状況もあるだろうか。
◇指や手の動作上からは、各手の出しやすさは、同等とは言えない。
出しにくい チョキ<グー<パー 出しやすい
となろうか。
◇各人の日頃の癖や好みもあろう。
◇アイコになった時には、前に出した手(自分/相手)との関係の読みもある。
このような、心理的要因等も加わる余地もあるところが、ジャンケン遊びの楽しさでもあると言え、ゲームとしてのジャンケンも行われているようである。
◎ジャンケン遊びの国際化
ジャンケンに類するやり方や遊びは、筆者は、世界各地に存在する、民族文化のように思っていたのだが、そうでもないようで、日本で生まれた方法が世界に広まった、という話もあるのは、驚きである。(じゃんけん - Wikipedia)
現在の日本の標準的な拳遊びであるジャンケンについては、以前の記事
指文字の文化 その4 (2014/2/5)
に載せた下図のように、グー石、チョキ鋏、パー紙は、順序としては、強い順(反時計回り)に呼んでいることとなる。
日本や世界の拳遊びには、以下に例示するような、色んな意味の手の組み合わせがあるようだ。 不等号>は、強い>弱い を表している 。(世界のじゃんけん)
・日本 ジャンケン グー石>チョキ鋏>パー紙 (GCPと略記も)
虫拳 カエル>ナメクジ>ヘビ
狐拳 庄屋>鉄砲>狐
・タイ パオインチュプ 金槌>鋏>紙
・インドネシアGam sut 人>象>アリ
・中国 猜拳 石>鋏>布
・カナダ RPS Rock<Paper<Sissors (RPSと略記)
(石 紙 鋏)
以下に、インドネシアとカナダの例を示す。
●インドネシア
ネットには、日本のジャンケンのインドネシア版とも言える、「Gam sut」と言うやり方が出ている。下図のように、3通りの手形は、それぞれ、人差し指、親指、小指を1本づつ使い、手形の譬えは、人、象、アリとなっていて、強い順で、人>象>アリとなっている。(インドネシア式じゃんけん Gam sut! )
インドネシア式 ジャンケン Gam sut
大きな象が出て来ると思えば、小指で表す小さなアリが、人に勝つ等で一役買っていて面白い。 “Gam sut!”と声を出しながら、手を出し合うのだろうか。 ネットの他の情報では、インドネシアのジャンケンでは、全く正反対に、弱い順に、人<象<アリ、となっている。どちらが事実なのか、不確かである。(世界のじゃんけん )
●カナダ(国際)
日本から、ジャンケンが伝わったとも言われる、カナダや欧米では、国際RPS大会(RPS:Rock石 Paper紙 Scissors鋏)なるものが、結構盛んに行われているようだ。
この大会では、どんな競技種目があるかは不明だが、ポーカーのように、相手の表情や癖や心理を巧く読み取る等を行うと、勝負は、純粋な確率論では済まされなくなる、ということだろうか(じゃんけん - Wikipedia)
このRPSとは、上記にあるように、石、紙、鋏の意で、手形の譬えが、日本と同じなのは嬉しいのだが、順序をよく見ると
日本 → グーG、チョキC、パーP→ 石、鋏、紙→ カナダ式表示では RSP
カナダ→ Rock Paper Scissors→ RPS→石、紙、鋏
と、順序が異なっているのはどうしてだろうか。
この理由は、よくは分らない。先述の、日本のジャンケンの図で言えば、カナダや西欧のRPSという呼称は、弱い順(時計廻り)に呼んでいる、と言う事となる。
◎ジャンケンを利用した組分け
本稿の最後に、日頃、お世話になっている、ジャンケンを利用した組分け方法を紹介したい。
長年、4人1組のスポーツである、ビーチボールバレー(Beach- Ball Volley)を、毎週、地域で楽しんでいる。
集まってくるメンバーの数には、毎週、変動があるのだが、4人づつにチーム分けする場合、人数が多くない時は、ジャンケンが簡便な手段となる。
●分りやすくするために、4の倍数の人数、例えば、12人が集まった時を考える。
全員が円形に集 まって、グー、パーだけのジャンケンをする。 出された手のグー、パーが、丁度4人が同じ手で揃うと、そのメンバーでチームを作る。同じ手が4人揃うまで繰り返されるが、人数が多い時は、なかなか、手が揃わない事も多い。
こうして、1チームが出来ると、残った8人で、再び、グー、パーで、4人が揃うまでやる事となる。
3チームが出来ると、試合の順序は、それぞれの代表3人のジャンケンで決める。
決まった3チーム相互で、2チーム毎に試合をやり、第1ラウンドのゲームが終了すると、休憩等を挟んで、第2ラウンドになる。
第2ラウンドは、各チームのメンバーはそのままでやっても良いが、組替えすることが多い。組替えの場合、最初からやり直す方法も、勿論可能だが、でも、この手間を省くためにやっている方法がある。
第1ラウンドが終了し、チームを解散する前に、ジャンケンで、各チーム毎に1~4迄の順番を決めるのだ。
こうして決まった各チームの、1番が新しい1番チーム、2番が2番チーム、3番が3番チームとなる。各チームで最後に残る4番の3人同志でジャンケンして、1~3番を決め、それぞれが、対応するチームに分れれば、組替えが完了し、第2ラウンドでの、新しい3つのチームが出来ることとなる。4と3との関係を上手に調整する方法だろうか。
●ここまでは、集まった人数が、丁度、4の倍数になる、理想的なケースだが、実際には、殆どの場合、過不足が出る。メンバーが、途中で帰ったり途中から参加する事もある。
BBVは、4人制のバレーボールだが、1人多い、5人で交代しながら試合をすることが出来る。5人目の人は、コートの外で待機し、チームにサーブ権が廻って来た時に、中に居た選手がコートの外に出て、代わりに、待機していた選手が中に入ってサーブをやり試合が続けられる。これを、試合が終了するまで繰り返すのだ。対戦する同士が5人づつになっても勿論可能である。
5人目は、通常は、コート付き(コートを固定し、そこに廻って来たチームのメンバーに入る)になる場合が多いが、チームの中に入って、5人チームの一員として、一緒にコートを廻っても良い。
例えば、人数が、1人多い13人の時など、4の倍数にならない時は、上記の、5人制も入れるのだが、ジャンケンを使ってどの様にチーム分けするのだろうか。
先ず全員で、グー、パーだけのジャンケンをやって、手が揃った4人が抜け出す。残った9人で、再び、このジャンケンをやって、同様に、手が揃った所で、4人を決める。最後に残った5人で、グー、パーをやり、4-1になった所で、1人が、コート付きになる。(或いは、5人のジャンケンで1人を決めてもよい。)
この例の場合、試合が1ラウンド終了した後の組み換えについては、多少、ややこしくなる。最初から始めて、4、4、5人の3チームに分けることは勿論可能である。
でも、実際に使っている簡便法は、こうだ。
前述した組み替えと同様、チームが解散する前に、チーム内で、1~3(4)番迄の順番を決めるジャンケンをやる。1~3番までは、その番号のチームに分れる。結果、4人が残され、この4人のジャンケンで順番を決め、それぞれが、該当するチームに分れる。最後の最後に残った1人は、1番チームに入り、コート付きとなる。
出来るだけ、コート付きの機会を公平にする、と言う配慮がなされていると言えようか。
過不足が起こるケースとして、例えば、11人で1人足りない場合なども起こるのだが、これらについては省略する。
●ジャンケンを、上述のように、組分けに利用する場合、組分けが出来るまでの、ジャンケンの平均回数は、確率的には、どうなるだろうか。 その場合、
・参加者数の多少の違い
・手形として、GCPの3種を使う場合と、2種(例GP)だけを使う場合との違い
・12人を、3人、4人、6人づつに分ける場合の違い
等でどのように変化するのか、は興味のある所だが、又の機会の楽しみとしたい。