つれづれの記

日々の生活での印象

戻ってきた手帳

2010年07月03日 22時20分09秒 | 日記
2010年7月3日(土) 戻ってきた手帳


 昨年暮の本ブログに、
   来年の手帳を買いました(09/12/16) 
と題して、記事を載せた。この1月以降、その手帳を使ってきたのだが、先日、その愛用の手帳を、全くの不注意から、紛失してしまった。それが、幸いにも見つかって、無事、手元に戻ってきたという、ハプニングがあった。以下は、その顛末記である。

 自分の場合、通常の財布は使わず、手帳の表紙裏のポケットを、財布代わりにしている。6月初めの土曜夕方のこと、北千住駅前で、夕食にカツ丼を食べ、手帳を出して、代金を払った事までは、良く記憶している。何故かと言えば、同じ店で、以前に食べた時に貰った、100円割引券と千円札を一緒に出したら、つり銭と一緒に、またまた、割引券を貰ったのだ。割引券を使った時は、新たには割引券は、貰えないと思っていただけに、へエーと驚いたことを、良く記憶していたのだ。
 その後、帰宅するバスの時間までには間があるので、駅前の丸井ビルの奥にある、フードコートで時間をつぶそうと、入ったら、トイレに行きたくなり、しかも大だったが、空いていたボックスに入り、じっくり用を足した。そのボックスの中に、赤ちゃんを座らせる道具があったのも良く覚えている。用を済ませ、バスの時間もそろそろなので、いつもの店で、鯛焼きを買おうとして、金を入れた手帳が無いことに、初めて気がついた。衣服のポケットや、カバンの中をひっくり返して調べたが、手帳は見つからない。

 思い返せば、カツ丼屋で支払いを済ませて以降、駅前の信号を渡って一寸歩き、丸井の中に入り、フードコートの奥のトイレで用を足し、鯛焼き屋に来るまでの間、距離にして、200m位、時間にして、30分弱の間なのだが、手帳をどうしたのか、仕舞ったのか、手に持っていたのか、全く記憶がないのだ。
 トイレの中に忘れたかも知れないと、急いで戻ったのだが、何と、運悪く、誰かが使用中で、閉まったままである。暫く待ってみたが、空きそうに無い。余程、入口をノックし、
  すみません、手帳を忘れていませんか?
と聞いてみたかったのだが、使用中のところをびっくりさせては申し訳ないと、ためらって、結局10分位待ったが、諦めた。一つ前のカツ丼屋に戻って聞いてみたが、忘れ物は届いていないとの返事だった。手帳を無くしたショックは隠しきれないまま、次のバスで帰宅した。
 金が入っていることから、結局は戻ってこないだろう、と半ば諦めつつも、拾得した人が、手帳の大事さを分かってくれて、連絡してくれるかも知れない、などという、都合のいい期待もあったのである。この様な時のために、手帳には、所持者の住所、氏名、電話番号は、きっちり記入してあるからである。
 しかし、待っていた電話は、土曜の夜も、翌日の日曜になっても、かかっては来ず、問い合わせるために、丸井ビルの事務所の電話を調べても、良く分からない。近日中に、事務所に出向いて聞いてみることとし、気持ちを落ち着かせた。

 現役の時以来、長年、愛用してきた手帳は、言わば、日記代わりの、自分の人生記録のようなもので、数十年にわたって、手帳を保存している。これまで、2度だけ、手帳が消え失せた事がある。1回目は、大分昔だが、12月になって紛失し、結局出てこなかったので、其の年の記録は殆ど無い。
 2回目は、昨年の事だが、数万円の現金も入っていたが、近隣で拾ってくれた人の好意で、戻ってきた。今度は、3回目の出来事である。
 今回は、金額は1万円程で、大したことはなかったが、手帳が急に無くなると、時間が自分の物でなくなるような感じで、精神状態が、不安定になる。手帳の後ろの方に自分で用紙を貼り付けて、かなりの量のメモを書いているが、その情報が無くなるのも辛いのだ。

 日曜日は、気分転換を兼ねて、手帳が出てこなかった時のために、A4版の臨時の手帳を作成した。今年に入ってからこれまでの、主要なスケジュールと、9月一杯までの今後の予定を、思い出しながら復元してみた。現役ではないので、大したスケジュールもないのだが、日頃、未だに、手帳に頼り切っているため、意外に思い出せず、資料や、メールの記録などを頼りに、何とか復元して、臨時手帳が出来た。自分の時間が戻ってきたように感じ、少し、落ち着いた。
 臨時手帳 123月 456月 789月
紛失した手帳が戻ってこない場合は、当面、この臨時手帳を使い、近いうちに、新しい手帳を買う積りであった。

 週明けの月曜日の夕方は、新聞販売店から貰った入場引換券で、後楽園球場での巨人―楽天戦を見ようと夫婦で出かけた。開場のかなり前に着いたものの、座れる席はとっくに出払って、立見席しかないとの事。諦めて帰ることとし、帰路、北千住駅前の丸井に立ち寄った。ビルの中で、日頃、駐車券の処理などをしてくれるカウンターに行き、手帳の忘れ物のことを尋ねたら、何と、それらしいものが届けられている、というではないか。トイレのあるフードコートの管轄は別になっているからと、応対してくれた若い人は、親切にも、同行してくれて、フードコートの管理担当の人に引き継いでくれた。担当の人に、改めて、紛失した手帳のことを話し、手帳の色と、自分の名前を言って、電話で聞いてもらったら、確かに、その手帳が届いていると言う。その人が取りに行ってくれ、暫くして、手帳が戻ってきたのである。
 一旦、諦めかけたものが、元に戻ったのである。忘れ物や落し物をして、戻ってくると、なんともいえぬ嬉しさを覚えるのは何故だろうか? 何も増えたわけではないのにーーー。
 拾得物の記録簿を見せていただいたが、それによれば、ビルの清掃の人が、土曜の夜に、トイレの中で、手帳を拾得し、届けてくれたようだ。届けてくれた人は、中に金が入っていることは、全く気がつかなかったようで、そのことが却って良かったかもしれない。人間誰しも、金や財布を拾うと、届けるかどうか、迷うものだからだ。
 担当の人からは、特にお礼等はいらない、と言われ、重ね重ね感謝し、お礼を申し上げた次第。後楽園球場での野球観戦が出来なかったことが幸いして、早めに手帳が戻ってきて、平静を取り戻すことが出来た、というわけである。
 無事戻った手帳
 戻ってきた手帳と、臨時手帳とを比較すると、過去のスケジュール分はかなの精度で合致したが、今後の予定については、未確定の予定や、口頭での連絡事項のメモなど、幾つか抜けがあったことが判明した。

 今回、忘れ物をするまでの行動経過を、改めて推測すると、以下のようになる。
カツ丼屋で支払った後、手帳を手に持ったまま、丸井のフードコートに行き、大のトイレに入った時は、台の上にカバンを乗せ、その隣に手帳を置いて、用を足したと思われる。終了後は、カバンを肩に掛けるなり、後を見ないで出てきて、鯛焼き屋に来たと思われる。
 このような行動経過から、原因を推測し、以下のような再発防止策を考えた。
   防止策1 貴重品は、元に戻すなり、ちゃんと収納し、手に持って歩いたりしない。
        やむをえず仮に置くときは、口で言って強制的に記憶する
   防止策2 席を立ったり、移動する時は、元の場所を振り返って確認する
        これは、乗り物では、必ずやる習慣なのだがーーー。
 6月末のニュースによれば、勤務中の警察官が、あるトイレで用を足す時に、ベルトごと拳銃を外し、床に置いたが、其の侭にして出てきたという。次の人が見つけ、警察に届けて、事なきを得たそうな。極めて大事な拳銃ベルトを、床に残したまま出てくるとは、自分の場合よりも、有り得ないケースと驚くのだが、トイレでの自分の失敗と共通する要素も多く、決して笑えない話ではある。

 今回の忘れ物から、まだ、1ヶ月も経っていないのに、つい先日、またまた、やってしまい、危うく手帳を無くすところだった。近くのスーパーで買い物をし、手帳を出して代金を払い、自分でレジ袋に入れ、店先に置いた自転車で、帰りかけた所で、先刻のレジの人が飛び出してきて、
  お客さん、手帳を忘れてますよ!
と言われた。其の人の手にあるのは、まさに、あの手帳ではないか! ありがたく受け取った。
 今回の再発の原因を考えてみた。この店に来る前に、2軒で買い物をした。買ったものを自転車に残しておくと、置き引きで持っていかれる危険性もあるので、その袋も抱えたまま、買い物をしたので、都合3つの袋になったのである。レジ袋に詰める時、手に持っていた財布代わりの手帳を、仕舞わずに台の上に置き、その隣に3つの袋を置いてしまった。別に急いでいたわけではないが、3つの袋だけを持ち上げて、後を確認しないで、店を出たようである。
 この忘れ物では、先ず、手帳(財布)を、きっちり収納しなかったことが、防止策1違反である。後の確認をせず店を出たのは、防止策2違反である。更に、再発防止策を付け加えるならば、
    防止策3 管理すべき持ち物は、できるだけ纏めて数を少なくする。
である。
 3つの防止策とも、極めて簡単な、当たり前の行動パターンなのだが、言うは易く、行なうは難し、なのである。

 昨夕、北千住駅前のバス停での待ち時間に、目の前を慌しく通る人たちの持ち物の数を観察させてもらった。身軽な人も居るが、2~3個は普通である。買い物袋など、5つもの持ち物を、肩に掛けたり、左右の手に下げているご婦人も見かけた。どうぞ、忘れ物をしませんようにーーーーと祈る気持ち。
 良くないニュースが多い世の中だが、立て続けに、手帳が戻ってくるというのは、運が良かった、というべきだが、人様の善意が、まだまだ、生きている、と思うと嬉しくなる。
 常に注意を怠らず、忘れ物はしないに越したことは無いのだが、年齢のせいもあり、ままならない。変な言い方だが、気楽に忘れ物が出来る世の中は、一つの理想なのかもしれない。
  










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