へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

なぜよその国で出来る事が日本で出来ないのか

2009年09月03日 04時10分11秒 | Weblog
最近非常に良く聞く言葉であるが、これは「国によって事情が違う」と言う以外に言いようがなく、反対に「なぜ日本で出来る事がよその国で出来ないのか」と言う言い方も出来るだろう。
麻生総理が良く口にしていた「わが国は中福祉中負担」と言う言葉だが、福祉と負担は同じレベルでなければ成り立たなくなってしまう。
しかしながら、民主党などは「高福祉国家」であるヨーロッパなどを引き合いに出してあれこれ論じているのだが、「高福祉=高負担」だと言う事には触れようとしない。
「4年間は消費税を引き上げない」とも言っているのだが、日本の消費税が5%なのに対して、ヨーロッパの消費税(付加価値税)は20%前後の国が多く、日本と比べれば「ナント四倍!」と言う高い負担になっているのである。
これ以外にも様々な負担が日本よりはるかに多く、全体的に見れば「日本の倍以上?」と言う高い負担になっているのであるが、以外にもこの高い負担に批判の声は意外に少ないという。
これは「国民性の違い」と言うほかなく、ヨーロッパの人たちは、3%の消費税導入時や、3%を5%に引き上げる時の大騒ぎを冷ややかな目で見ていたそうである。
古くはヨーロッパの国々とのつながりが強かった日本であるが、それも徳川幕府が崩壊して以後は急速にアメリカ寄りに変化し、社会的基盤はアメリカが手本になっている。
このようにアメリカに倣った国作りをしてきた日本に「ヨーロッパを比較対象にする」と言う事自体がナンセンスと言わなければならないだろう。
「よその国で出来ること」を日本でしようとするのであれば、「その国と同じ税負担にする」と言う事も必要になってくるのだが、現実にはそのような論議などお構いなく、都合の良い部分だけで論ぜられているのである。
福祉・医療・その他諸々の問題が指摘されているのだが、それらを解決するためには「それ相応の負担」が必要なのであるが、麻生総理が口にした「中福祉中負担」と言う言葉にも少し無理があるようで、現在の日本は「中福祉低負担」と言った方が正しいのではないだろうか。
少子高齢化で、福祉や医療にかかるお金が増大している中で「負担は横ばい」では、現状の制度を維持する事さえままならないのではないだろうか。
「これ以上負担が増えては生きて行けない」と言う言葉も良く聞くのであるが、現状のままで行けば、やがては「福祉・医療制度自体が維持できない」と言う事態も覚悟しなければならないだろう。
正に「前門のトラ、後門のオオカミ」であるが、さてどちらを選ぶか難問である。
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