へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

救急患者の受け入れ先が見つからない

2007年10月27日 03時36分43秒 | Weblog
今、救急車を呼んでも、「患者を受け入れてくれる病院がなかなか見つからない」と言う問題が頻発している。
「起こるべくして起きた問題」と言うほか無い。
「起こるべくして起きた問題?」、と思う人も多いだろう。
それでは何故、「起こるべくして起きたのか?」。
先の地震で、自動車部品メーカーの一社が、生産を停止した時のことを思い出してほしい。
自動車メーカーは、コスト削減のため「カンバン方式」を取り入れている。
在庫を持たず、必要な分だけを発注しているから、タッタ「一つの部品」が入らなくなっただけで、「生産停止」になってしまう。
一種の「自転車操業」と同じである。
それと、患者受け入れ問題と、一体「どんな関係が有るのか?」と思われるだろう?。
「大有り名古屋の金の鯱」である。
冗談はさて置き、大分前の話ではあるが、「医は仁術では無く算術だ」と言われた時期が有った。
しかしながら、現在の医療は「全く別な意味」で、「算術」になってしまっているのだ。
「健康保険の収支」が、「年々悪化」する中で、保険料の引き上げより、医療費の引き下げ(コスト削減と同じです)を中心にしてきた。
「当然の結果」として、医療機関には「余裕」と言うものが無くなってしまったのである。
「余裕=コストアップ」と言う事になるから、「何時来るかわからない救急患者」の為に、ベッドを開けておいたり、医師を待機させたりする事など、出来ない相談である。
かつて、「医者は儲かる仕事」などと言われていたが、最近では、その様な事を言う人は殆どいない。
万一何かあれば、「医療ミスだ」などと言われ、告訴される事も多い。
これまた「当然の結果」として、「危険の伴う部門」は敬遠され、医師のなり手が減っている。
医療の現場に「商業原理」を持ち込むのは「オカシイ」のではないだろうか?。
大切な命と健康を守る医療の現場には、「ある程度の余裕」が必要だと思うのだが・・・・。
その為に、保険料の負担が増えるのは仕方ない事であろう。
「保険料をケチって命を無くす」のと、「保険料を増やして命が助かる」のと、どちらを選ぶかである。
「税金で補填」と言うのは、その分がほかの財源を圧迫して、結局は「同じ結果」になってしまう。
払うものをケチれば、「当然の結果」として、何処かに「しわ寄せ」が来るのである。
「負担が増えたら生活して行けない」と言う人もいるだろうが、「否応無く」時代(社会情勢)は変わっているのである。

コメント
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