NHKで 、15分のニュースをはさんで7時半から10時半まで、3時間に渡って放送していた番組の題名である。
民放ではまず「放送不可能」な番組である。
果たして、どれだけの人が見たのであろうか?。
出演者は、様々な分野の人たちが揃った為、「千差万別な意見」が飛び出し、何となく「まとまりの無い」結果に終始した様に感じた。
私も参加して、意見を言いたかったのだが、残念ながら出来なかった。
そこで、ここに「九牛の一毛」ならぬ、「九万牛の一毛」程度にしかならないかとは思うが、私の意見(考え)を書いて見たい。
主題が「どうする?私たちの主食」となっている為か、「議論の幅」が狭くなってしまっている。
全体的に見て、「農業による食料の生産」が、「工場で製品を製造する」のと、同様に考えられている傾向がある。
その為に「重要な問題」が「なおざり」にされてしまった。
「日本の農業」と、アメリカ、オーストラリア、中国などの「大規模な農業」とは、「同列」に論じてはいけないのである。
アメリカ、オーストラリア、中国などの「大規模な農業」は、殆どの場合、元々は「不毛に近い土地」に「灌漑設備」を整備して出来たものである。
一種の「食糧生産工場」と言っていいだろう。
一方、「日本の農業」は、全く違うのである。
「食糧を生産する」と言う役割以外にも、「幾つかの役割」があるのだ。
「環境保全」などは、その代表的なものであろう。
「単なる食糧生産工場」とは全く違うのだ。
「大規模化して競争力を付けろ」と言う意見も有るが、日本の農地は幾ら大規模化しても、一桁どころではない違いが有るのだから、太刀打ちなど出来るはずがないのである。
「大規模化出来ないところは止めれば」と言う意見も有るが、「耕作放棄」された農地は、やがて荒廃して「環境悪化」につながるであろう。
「転作」と言う手も有るのだが、何を作ればよいのだろうか?。
仮の話し、「有利な転作作物」が有ったとしても、皆が作付けするようになれば「生産過剰」と言う問題になる。
「地産地消作物の作付け」にしても、皆が始めれば同じ事になる。
「地産地消作物」の多くは、「じいちゃんばあちゃん」たちが、「採算を無視」して作っているものが多いのである。
「付加価値の高い農産物を」と言う意見にしても同じである。
「付加価値の高い農産物」=高価格、と言う事になる。
しかし、供給が需要を超えてしまえば、「供給過剰」になり、当然の結果として「値崩れ」を起こして、「同じ結果」になってしまう。
「通常の方法」では、「日本の農業」を立て直す事は難しいだろう。
別な観点から考える必要があると思う。
「別な観点?」とは、「環境保全」と言う役割である。
農家が廃業して、耕作放棄した農地は、やがて荒廃してしまう。
荒廃した農地は、病虫害の発生源となり、周辺の農作物に被害が及び、場合によっては「農業の継続」さえ難しくしてしまう。
一度荒廃した農地を、元の農地に戻す事は、「非常に困難な事」であろう。
林業の衰退により、森林の荒廃が進み、新たな問題(土砂崩れ、洪水など)が発生しているのと同様の事が起きるであろう。
「日本の農業」は、単に「食糧生産」と言う役割だけのものではないのだ。
日本の農業の問題だけでなく、あらゆる問題は、単に、「一次的」に考えるのではなく、「総合的」に考えなくてはいけないのだ。
気を付けないと、「予想外」なところから「しっぺ返し」を食う事になる。
安い「外国産の農産物」に頼るのも問題がある。
「余剰農産物」が有る間はいいかもしれないが、無くなってしまったらどうなるのだろうか?。
それ以外にも、「輸入する為の外貨」にも問題が出てくるであろう。
現状では貿易は「黒字」であるが、年々減少してきている。
輸出が増える見込みは少ないが、輸入は確実に増えるであろう。
原油や穀物の価格高騰は、避けることは難しいだろう。
外貨が無ければ、幾ら安い農産物でも、輸入する事は出来ないのです。
民放ではまず「放送不可能」な番組である。
果たして、どれだけの人が見たのであろうか?。
出演者は、様々な分野の人たちが揃った為、「千差万別な意見」が飛び出し、何となく「まとまりの無い」結果に終始した様に感じた。
私も参加して、意見を言いたかったのだが、残念ながら出来なかった。
そこで、ここに「九牛の一毛」ならぬ、「九万牛の一毛」程度にしかならないかとは思うが、私の意見(考え)を書いて見たい。
主題が「どうする?私たちの主食」となっている為か、「議論の幅」が狭くなってしまっている。
全体的に見て、「農業による食料の生産」が、「工場で製品を製造する」のと、同様に考えられている傾向がある。
その為に「重要な問題」が「なおざり」にされてしまった。
「日本の農業」と、アメリカ、オーストラリア、中国などの「大規模な農業」とは、「同列」に論じてはいけないのである。
アメリカ、オーストラリア、中国などの「大規模な農業」は、殆どの場合、元々は「不毛に近い土地」に「灌漑設備」を整備して出来たものである。
一種の「食糧生産工場」と言っていいだろう。
一方、「日本の農業」は、全く違うのである。
「食糧を生産する」と言う役割以外にも、「幾つかの役割」があるのだ。
「環境保全」などは、その代表的なものであろう。
「単なる食糧生産工場」とは全く違うのだ。
「大規模化して競争力を付けろ」と言う意見も有るが、日本の農地は幾ら大規模化しても、一桁どころではない違いが有るのだから、太刀打ちなど出来るはずがないのである。
「大規模化出来ないところは止めれば」と言う意見も有るが、「耕作放棄」された農地は、やがて荒廃して「環境悪化」につながるであろう。
「転作」と言う手も有るのだが、何を作ればよいのだろうか?。
仮の話し、「有利な転作作物」が有ったとしても、皆が作付けするようになれば「生産過剰」と言う問題になる。
「地産地消作物の作付け」にしても、皆が始めれば同じ事になる。
「地産地消作物」の多くは、「じいちゃんばあちゃん」たちが、「採算を無視」して作っているものが多いのである。
「付加価値の高い農産物を」と言う意見にしても同じである。
「付加価値の高い農産物」=高価格、と言う事になる。
しかし、供給が需要を超えてしまえば、「供給過剰」になり、当然の結果として「値崩れ」を起こして、「同じ結果」になってしまう。
「通常の方法」では、「日本の農業」を立て直す事は難しいだろう。
別な観点から考える必要があると思う。
「別な観点?」とは、「環境保全」と言う役割である。
農家が廃業して、耕作放棄した農地は、やがて荒廃してしまう。
荒廃した農地は、病虫害の発生源となり、周辺の農作物に被害が及び、場合によっては「農業の継続」さえ難しくしてしまう。
一度荒廃した農地を、元の農地に戻す事は、「非常に困難な事」であろう。
林業の衰退により、森林の荒廃が進み、新たな問題(土砂崩れ、洪水など)が発生しているのと同様の事が起きるであろう。
「日本の農業」は、単に「食糧生産」と言う役割だけのものではないのだ。
日本の農業の問題だけでなく、あらゆる問題は、単に、「一次的」に考えるのではなく、「総合的」に考えなくてはいけないのだ。
気を付けないと、「予想外」なところから「しっぺ返し」を食う事になる。
安い「外国産の農産物」に頼るのも問題がある。
「余剰農産物」が有る間はいいかもしれないが、無くなってしまったらどうなるのだろうか?。
それ以外にも、「輸入する為の外貨」にも問題が出てくるであろう。
現状では貿易は「黒字」であるが、年々減少してきている。
輸出が増える見込みは少ないが、輸入は確実に増えるであろう。
原油や穀物の価格高騰は、避けることは難しいだろう。
外貨が無ければ、幾ら安い農産物でも、輸入する事は出来ないのです。