ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

【ざーっと むかし・・・】

2022-07-26 06:45:02 | 日記
ひ孫のUちゃんの通う幼稚園近くを散歩しました。
夏休みに入りましたから、園児たちの姿もなく、園庭はひっそりと静かな佇まい。
周囲に広がる青々と成長した稲の彼方の遠景には那須連峰の茶臼岳、中景には安積山が臨めます。
 『安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに』
                 (万葉集巻16 3807)
思わず口ずさみました。
私の住む郡山地方には「采女伝説」の悲恋物語が残されています。
伝説にまつわる沼や橋の名前も残されています。
3年ぶりに、「2022年 郡山うねめまつり」が、8月4日(木)~6日(土)の日程で開催され、お祭りの屋台も出店、「踊り流し」も行われるとのこと。

【ざーっと むかし(※)
今から 千三百年も むかしの話だ
安積(あさか)の里、山の井っていうところにな 小糠次郎という若者と 美しい女房のお春が 仲むつまじゅう暮らしていたんだと・・・】

で始まる伝説です。
二人は大変仲むつまじく、夫の次郎は、野良仕事にも、妻の絵姿を木の枝に掲げておくほどだったそうです。
ところが、ある日、絵姿が風に飛ばされ、その絵姿が奈良の都から奥州巡察使という名目で、この地に下向した葛城王の目に留まることになって・・・
と、悲恋物語は展開されます。

そんな昔ばなしの「語り」や朗読などから、すっかり離れてしまってから20数ほど経ちました。
再度始めようという気持ちはありません。
でも、散歩で浅香山の姿を眺めたり、ひ孫のUちゃんの通う幼稚園脇を通ったりしますと、まるで、昨日、幼稚園で語ったみたいに様々な伝説などを思い出すのです。
そんな自身の心の内を覗き込みますと、単に昔日への懐かしさだけではなく、「語ってみたい」、そんな願望がうごめいているのかもしれません。
コロナ、コロナで自粛を余儀なくされている鬱積が、きっと折に触れ、事に触れて表出するのかもしれません。
そして、「想い」の行き先は、過去に向けられるのでしょうか。
ばーばの、くだらない本日の「語り」はお終いです。
【ざーっと むかし さぁけだ】(※)

  ※「ざーっと むかし」 「ざーっと むかし さぁけだ」は、
   当地方の昔語りの際の初めと、終わりに多く用いられる「詞」です。
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未だに熟さない「知恵の木の実」

2022-07-25 06:51:32 | 日記
日曜日でしたので、先週に倣って自宅での主日礼拝を一人で行いました。
コロナの新規感染者数が少なくなっていた7月の初め頃は、そろそろ教会での礼拝に出席を、と考えていたのですが、ここに来て全国的に爆発的な感染者の増加が見られますので、後しばらくは自宅での礼拝にさせていただくことにしました。

コロナも治まる気配が見えませんし、ウクライナの戦火も未だ止まず、ロシアが侵攻してから5か月にもなりました。
国内のコロナ新規感染者数は、23日、初めて20万人を超えました。
《政府はワクチン4回目接種の対象を医療従事者らに拡大するほか病床の追加確保を行うなど「保健医療体制の確保」に万全を期す構えだが、政府は現時点では新たな行動制限は行わない考えだ。》
と、報じられています。
各自が、それなりの置かれた環境下で対策を考える他ないのでしょう。
熱中症などに罹らない様、十分注意して過ごさなければ、と意を決しました。

《ウクライナとロシアは、ウクライナ産の小麦などの輸出再開に向けて合意しましたが、合意の翌日の23日、南部にある輸出拠点の港がミサイル攻撃を受けた》
とも報じられました。
今後、輸出が円滑に再開されるものかどうか心配です。
日本国内でも、食料その他の値上がりをひしひしと感じています。
主食の米と、お味噌があれば当面は生きていける・・・などと考える人間は私の年代でも少ないことでしょう。
お米や野菜、畜産においても肥料代の値上がりで生産者は悲鳴をあげていますから、米があれば大丈夫などと言ってはいられません。
思わぬ宇宙規模の気候変動で、地球上の農産物の殆どが収穫できなくなった、とかいう理由ではないのに、世界的な食糧危機が起こるなどとはあってはいけないことだと考えます。
人間社会の「知恵の木の実」は、未だに熟してはいないようです。
でも、「明日」はやって来ます。
「日はまた昇る」
思い煩わず、一歩、一歩、歩むほかありません。
最近、名実ともに歩幅が狭くなっては来ましたが。
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《だいじょうぶ だいじょうぶ ですよ》と。

2022-07-24 06:47:00 | 日記
今朝は4時近くに目覚め、その後ウトウトと朝を迎えました。
湿度は70%に届きませんでしたので割と過ごしやすい一日でした。
本日辺りから、また暑さが戻って来るようです。
短い時間でしたが散歩に出ました。
稲は元気に、田んぼを緑色の絨毯のように染めあげていました。
「元気だね もう少しで出穂し 花が咲き お米になるんだね」
と、声をかけた私です。
こんな時、私は井上神父さまが「風の家」の集いで教えてくださった「風の家の祈り」を、自然に、歌う様に、呟くように祈るのです。

  アッバ。(※)
  利己主義に汚れている私たちの心を、
  あなたの悲愛の息吹きで、洗い浄めて下さい。
  空を行く雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が捧げる祈りに合わせて、
  私たちの祈りを、あなたの御前で澄んだものとしてください。
  人々の弱さ、欠点,罪を裁くことなく、
  まずこれらを受け入れられた、御子イエスの悲愛の心に、
  私たちの心を近づけてください。
  また,御子イエスが、深い哀しみと痛みを背負って、
  重い人生を歩んでいた人たちの心を映しとり,受け入れ,友として
  生きられたように
  私たちにもそのような人々の心を映しとれる、
  友の心をお与え下さい。
  苦しみも,哀しみも、喜びも、
  すべてをあなたの御手から受け取ることによって、
  私たちの日々の生活が、
  あなたの悲愛の息吹きの
  働きの場となることができますように。
  主キリストによって、
  アーメン。

井上神父さまが帰天されてから8年にもなりました。
心が傷ついた時、体が痛む時も、神父さまの優しい声を、ふっと思い出します。
《だいじょうぶ だいじょうぶ ですよ》と。

 ※  井上洋治(1927.3.28.~2014.3.8.)
   日本のカトリック教会司祭
   日本人の心情でイエスの教えをとらえようとする「風の家」を主宰
 ※  アッバ   アラム語で、「父」の意味。
          幼児の神さまへの呼びかけ“お父ちゃん”の意。
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哀悼の意は捧げますが、

2022-07-23 06:34:38 | 日記
重たい雲に覆われ、湿度は80%超え。
気温は25度程度。
不快指数の高い一日でした。
でも、昨晩の私の睡眠状況は3段評価で「優」。
よって、体調も「優」という一日を過ごしました。

朝から、冷蔵庫の中で保存期間が迫っている食品や、残っている野菜などを使って、何品かの「おかず」を拵えました。
「料理」などと表現するには気恥ずかしい「食べ物」ですが。

あっという間に午前という時間帯が過ぎてしまいました。
午後一番に長男や甥の家庭に桃をUパックで送るべく郵便局へ申し込みをしに行って来ました。
夕方は、ほんのちょっと散歩へも。

夜を迎え、ブログの更新などなど・・・
ブログを始めてから、間もなく9年となります。
何人かのブロガーさんは、知人である様な認識になっていることが分かります。
事実、どの様な仕事をなさっているのか、家族構成は等々、お会いしたことはありませんのに旧知の間柄でもあるような錯覚さえ抱いていますから。
そうした方が、急にブログへのアップが無い日が重なりますと、〈どうしたのかしら、お体の具合がよくないのでは・・・〉などと気にかかります。
〈入院加療のため暫くブログへのアップをお休みいたします〉
予め、そうした文言に接しました時は、「早く快復いたしますように」と祈る私です。
今、気になっている方は三人。
お一人は、もう六か月以上ブログへのアップがありません。
後の方に関しては、トンと消息がつかめません。
元気でいて下されば、と願っています。

「国葬」。
政府は、安倍元首相の葬儀を国葬とする理由に「憲政史上最長の8年8カ月にわたり首相の重責を担ったことや、選挙中に突然の蛮行で逝去したこと」を挙げています。
松野博一官房長官は20日午前の記者会見で、安倍晋三元首相の国葬に対し野党から「弔意の強制だ」などと反対の声が上がっていることについて、「国民一人一人に政治的評価を強制するとの指摘は当たらない」と述べています。
また、同氏は午後の記者会見で、
「(安倍氏の)国葬儀は儀式として実施されるものであり、戦前の国葬令に基づく国葬のように、国民一般に喪に服することを求めるものではない」
と強調しています。
安倍元首相が凶弾に倒れましたことに、私個人としては哀悼の意は捧げますが、「国葬」には違和感を覚える者の一人です。
〈・・・国民一般に喪に服することを求めるものではない)
としていますが、ごく常識的に考えれば「国葬」とは国を挙げての葬儀、予算も使います。
国とは、国民全体を指すのではありませんか。
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私の散歩道

2022-07-22 06:42:07 | 日記
今朝も、昨日に引き続きNHK朝ドラ『ちむどんどん』に涙した私です。
ヒロイン一家の母が、暢子たち4兄妹に初めて明かした〈自らの壮絶な沖縄の戦争体験〉についてです。
家族のなかで〈自分一人だけが生き残った〉という淋しさと後ろめたさを持ち続けているヒロイン一家の母。
後ろめたい思いなどに責められる理由などなくても、生き残った者の殆どがその様な感情を持ち続けてしまうのでしょう、きっと。
戦後、過酷な戦場をくぐり抜け、生き残って帰還できた兵士の多くも、そうした思いに悩まされたと聞いています。
私の身近でも、そうした感情を時折、自虐的に語る特攻隊経験の若者を見ています。

私の姉は、終戦間近にして逝ってしまったことを昨日のブログに記しました。
その姉が余命いくばくもない状況下で、母は、疎開先の農家を拝むようにして廻り、ようやく手に入れた卵を姉に食べさせたのです。
その卵を、私は食べたい、食べたい、と騒ぎ立てました。
たった1個の卵。
当時3年生の私でした。
毎日、食べ物は粗末なもので、卵などクチにはできなかったのです。
そんな私を、母も姉も悲しい目つきで眺めていたのでした。
その情景は今でも、脳裏に濃くインプットされています。
時折、その映像が浮かび上がったりしますと、私は「どうして、もうすぐ死に赴く姉に対して嫌味なことを口走ったものか」と重たい気分に襲われるのです。
優しい姉、美人の姉でした。
今、もし姉に会ったとしたら、私をきつくたしなめたりはしないでしょう。
「あの頃、みんなヒモジかったものね」
と、静かに笑みをたたえるのではないかと。

私が、今散歩するコースで、お気に入りのコースは、「田んぼの在るコース」です。
ここは、私が終戦間近に疎開した場所の近くなのです。
今は、市営の「カルチャーパーク」となっています。
私の散歩も、歩いているのは田んぼ脇の農道であったりしますが、〈当時の心の風景〉を歩んでいることもしばしばなのです。

テレビのワイドショーで、ドローンの兵器使用について語られていました。
いかなる兵器であっても、人や、その暮らしの手段を攻撃するものである限り、「いい兵器」などと言うものは存在しないと思います。

  《彼らは剣を打ち直して鋤とし
   槍を打ち直して鎌とする。
   国は国に向かって剣を上げず
   もはや戦うことを学ばない。》
      (旧約聖書 イザヤ書2章から)

  『剣をさやに納めなさい。
    剣を取る者は皆、剣で滅びる』(マタイ26章52節)

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