ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

お悔やみの手紙は、未だ出せないでいます。

2022-07-20 06:29:22 | 日記
朝から蒸し暑い日でした。
ムシムシする、という表現がぴったり。
線状降水帯が、あちこちでワルさをしています。
私どもにしては、「ワルさ」と言うほかはないのですが、地球規模にしてみれば浄化作用の一つであるのかもしれません。
こんな日の体調は、やっぱり「良」とは言えません。
買い物へ出たいのですが、降ったり、止んだりで、外出はためらってしまいました。

こんな日でも、近所に住む子ども達(小・中学生の兄弟)は、キャッチボールをしています。
若いいのちは見ているだけでこちらの気分も若返る思いです。
時々、ボールが外れて我が家の庭に落ちてしまう事がありますと、玄関のチャイムを鳴らし、
「こんにちは ボール 取らせてください」
と、挨拶し、ボールを拾い、
「ありがとうございました」
との声と共に戻って行きます。

いいなぁ 若い「いのち」って。
私にも「若い」時代はありました。
ずーと生き続けた「いのち」です。
今日も、谷川俊太郎さんの詩などを手許に置いて、食事の準備をしたり、ぼんやり外を眺めて居たりしました。

 『帰郷』
              谷川俊太郎
  私が生れた時
  私の重さだけ地が泣いた
  私は少量の天と地でつくられた
  別に息をふきかけないでもよかった
  天も地も生きていたから

  私が生れた時
  庭の栗の木が一寸ふり向いた
  私は一瞬泣きやんだ
  別に天使が木をゆすぶった訳でもない
  私と木とは兄弟だったのだから

  私が生れた時
  世界は忙しい中を微笑んだ
  私は直ちに幸せを知った
  別に人に愛されたからでもない
  私は只世界の中に生きるすばらしさに気づいたのだ

  やがて死が私を古い秩序にくり入れる
  それが帰ることなのだ・・・・・・
        (谷川俊太郎詩集 ハルキ文庫刊 より)


先だって、親しかった友人の奥さまが亡くなられ、新聞の訃報欄で知りました。
「家族葬での葬儀」と、過去形で載せられていました。
友人が写真の個展を開く度に、
「私、また お父さん(夫)に惚れちゃった」
と、ためらいもなく口に出せる可愛い方でした。
〈それが帰ることなのだ・・・〉
奥さまは、〈帰った〉のでしょうか。
友人も、ディサービスに行っています。
お悔やみの手紙は、未だ出せないでいます。
コメント
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