ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『汚れっちまった悲しみに……』

2014-03-01 07:44:39 | 日記
大雪で、出入りもままならない日が続きました。
本日晴天。
青空が東の阿武隈山系から西の奥羽山系まで いっぱいに広がっています。
重ね積まれた道路脇の雪は 夜の寒さで凍ってしまうので、陽に当たってもなかなか溶けません。
メインの道路は除雪車が入ったので、もう乾いています。

ブーツではなく、ウォーキングシューズで出かけて来ました。
時々立ち寄る公園脇のティールームです。
羽が生えたように心も足も軽やかでした。

ケーキセット \500円。
ケーキは選べるのですが、ついつい単品で 値段の高い方を選んでしまいます。
ティールームの大きく外に向って開かれた窓からは、公園の土手と桜の樹がみえます。

この辺りは、昭和20年 太平洋戦争末期、避難訓練でよく来たところでした。
真っ暗な夜、ランドセルを背負って防空頭巾を被り、途中はぐれないように、
子どもたちは一本の縄につかまって歩かされました。
夜の闇は怖いし、歩いている誰かの足を踏んだり、踏まれたり、半分泣きべその行進、
5キロの往復距離でした。

訓練が「嫌だ」と言えなかったのは、自分だけ取り残されはしまいかという不安と、
爆弾で死にたくない、そうした気持だったと思います。
国民学校3年生の私は、6年生の兄の手を しっかり掴んでいたことが忘れられません。

ティールームの窓から見える駐車場には、雪が まだ、うず高く積み固められています。
表面は、もう泥土や埃で 斑(まだら)に黒ずみ うす汚れていました。
そんな雪を眺めていたら、中原中也の詩が浮かんで着ました。

      『汚れっちまった悲しみに……』
       汚れっちまった悲しみに
       今日も小雪の降りかかる
       汚れっちまった悲しみに
       今日も風さえ吹きすぎる

過ぎて来た月日は、振り返ると「悲しみ」も「喜び」も数多くありました。

戦争の記憶は、悲しくて おぞましい記憶です。
20歳で逝ってしまった姉は、記憶の中では歳をとりません。
病み伏せっていた姉に、母が卵を 二つ手に入れて来ました。
その卵が食べたくて、恨みがましく
「私も病気になりたい」と言った私。
誰も かれも飢えていた時代の、「汚れっちまった悲しい」記憶です。

      『汚れっちまった悲しみに
       いたいたしくも怖気づき
       汚れっちまった悲しみに
       なすところもなく日は暮れる……』

「なすところもなく……」
などと、想いに耽っていましたら、陽が傾きはじめました。
「大雪」あがりの、明るい青空のもと、
雲もないのに、心が 陰りました。
                               〈ゴマメのばーば〉
コメント
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