ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

他者への敬意を。

2015-01-18 06:24:14 | 日記
『表現の自由か宗教への冒とくか』
フランスの週刊紙「シャルリーエブド」への襲撃事件をきっかけに、議論が起きています。
それぞれの国の歴史と文化、個人の思想信条の違いなどから、異なった見解が出てくることは
やむを得ないことかもしれません。
言論や表現の自由は民主主義の根幹をなすものです。

でも、言論や表現は、他者への敬意を忘れてはいけないのだと思います。
卑近な事例ですが、自分が応援しているチームの悪口を言われただけで、
本気で怒り出すサポーターさえいるのです。

他人が大切にしていることは、信念であれ、モノであれ、お互いが それなりに
尊重するというのが、平和に暮らすための知恵ではないでしょうか。
『価値』とは、人それぞれによって異なっているもの、他人がとやかく言うものでは
ないでしょう。

『だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である』
と、新約聖書(マタイによる福音書 7章12節)に記されていますが、これは、
〔自分が されたくないことは、他人(ひと)にもするな〕
という意味だと思うのです。

そして、AかBの二者択一ではなく、AでもありBかもしれないから、互いに距離を
置きながら考えてみましょう………そんな立場というか領域を認めることも大事だと思うのです。
《根本的な解決を》と論じ、『悪』の根絶のためには正義のための「武力」をも辞しない。
そうした考え方もありますが、人間、そして その集合たる社会構造、「根本的な解決」などは、
なかなか見つからないのではないでしょうか。

  ※ カレル・チャペック作『園芸家12カ月』から。
   
   ≪何かと言うとすぐに、根のことに話をもっていきたがる人たちがいる。
   おもに評論家と、聴衆の前で講演をする人たちに、それが多い。
   われわれは根源にさかのぼらなければいけないとか、
   禍根をのこしてはならないとか、
   物事の根本をきわめなければいけないとか言う。
   ところで、そういう先生方に、三年生のマルメロを一株、
   根こそぎ掘り上げて見せてもらいたい。
   おそらく、先生方は しばらく掘ってみて、
   そのあとで腰をのばしてながら言うだろう。
   ただひとこと、
   「ちくしょう」と。
   かならずだ。
   ちがっていたら首を差し上げてもいい。≫
コメント (4)
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