久しぶりに郷土史研究オジイサン的な地味な話です。この写真は府中の押立の由来を書いた碑で、例によって細かいことは現地で読んで頂くとして、要するに、押立の村はもとは一つだったが、江戸時代の多摩川の洪水で村が分断されて、今のように府中の押立と稲城の押立に分かれた、とのことが書いてあります
それで押立という地名も洪水で水田が押し切られたのに由来するという説もある、とも書いてあります。だったら押立でなく押し切りか押し分けにしたらよさそうなものだと、またまた何を書きたいのか分からなくなりました
分からなくなったついでに書きますと、府中というところはやたらと碑を建てるのが好きと見え、他にも色々ありますので機会があればご紹介します。それとこういう碑を興味を持って読むのはやはり郷土史好きのオジイサンでしょうけれど、人間はいろんなことに興味を持つもんだなあ、と思いながら自分も読んでしまいました
ご意見・お問い合わせは→ genyomikai@nifmail.jp
それで押立という地名も洪水で水田が押し切られたのに由来するという説もある、とも書いてあります。だったら押立でなく押し切りか押し分けにしたらよさそうなものだと、またまた何を書きたいのか分からなくなりました
分からなくなったついでに書きますと、府中というところはやたらと碑を建てるのが好きと見え、他にも色々ありますので機会があればご紹介します。それとこういう碑を興味を持って読むのはやはり郷土史好きのオジイサンでしょうけれど、人間はいろんなことに興味を持つもんだなあ、と思いながら自分も読んでしまいました
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