blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

社葬

2011年03月31日 | 日記
29日に前社長が76歳で亡くなった。毎日やっている役員会の最中に8:48に鬼籍に入ったと現社長から連絡が入った。2002年に始めたこのブログは、奇しくも前社長との麻雀話からスタートしている。

社葬というのは1998年12月の当時の副社長以来だ。前社長はその副社長の兄で現社長の父。2006年に息子に社長職を譲り何の職にも就かず退いた。2008年社屋を移転した際に顔を出してくれたが、その後長年の不摂生がたたり糖尿病で入院。一度広尾病院に見舞いにいったが、あまりの激痩せ振りに愕然とした。29日夜、亡骸が安置されている上野の旧社屋の真ん前にあった葬儀屋に行った。見舞いにいった時よりもさらに痩せていた。

戦前に初代の社長が会社を神田でおこしたのが我が社の発祥だが、前社長は昭和33年に学生アルバイトから卒業と同時に社員に(確かいきなり部長だったとか聞いたことがある)になったが、会社の資金繰りがおかしくなった際に資金集めに奔走し会社を救ったとのことである。その後それらを評価され31歳の若さで社長に就任。以後40年以上社長で居続けた。もう過去の人であることには変わりないが、出版界では知らない人はいないだろう大物だ。JCの会頭をはじめ様々な会長職を歴任し、政界・経済会でも顔の広い人だった。1995年のぼくの入社当時はほとんど会社にはおらず、弟の副社長が社長代わりで様々な決裁権があった。後半は老害でしかなかったが、出版の電子化という面では先見の明があった。

葬儀は芸能人や大物政治家でおなじみの青山葬儀所が空いていたので、亡くなった翌日に通夜、翌日告別式という段取りで執り行われた。役員・社員とも葬儀の手伝いをし、会葬に訪れる人たちの対応をした。通夜には懐かしのOBOGがたくさん来てくれてちょっとした同窓会のようになった。もちろんぼくの知らない上の人もいて、同窓会は2つのグループに別れた感じだ。告別式には麻生太郎や小泉純一郎が会葬。改めて大物だったと思い返される。書籍の電子化を20年以上前にいち早く提起し、大失敗したわけだが、その思いがようやく実りつつある今年に息を引き取るなんざ、因果を感ぜざるを得ない。

葬儀解散後、13年前に亡くなった副社長の奥様としばらく話すことができた。無鉄砲に前社を退職したぼくを今の会社に拾ってくれたのは副社長だ。何度も会社を辞めようと思ったが、副社長が亡くなる直前に「会社を頼むぜ」と言われたひとことが引っかかりいつも懊悩しながら今日に至っている。副社長のことはいつかまた語りたいと思っている。

とにかくこの兄弟にはホントお世話になった。完ちゃんに────合掌!