blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

製作部

2024年03月05日 | 想い
出版社には製作という特殊な部署がある。小さな出版社だと編集が兼務することもあるようだが、うちの会社は昔から製作部が存在する。ぼくが入社したときは仕入製作部という名称だったが、2006年に取締役になったときに独断で製作部に変更した。

最初に勤めた会社の製作部は、人数は部長1名、製作課7名、資材課4名、供給課6名という規模で、僕は資材課に配属され、相当な紙の知識を仕入れた。いまの会社に転職したとき、あまりにも紙の知識がないのに驚いた。印刷や製本のことを学び製作の人間としてはそれなりになったと思う。

1995年にいまの会社に入り、17歳上の女性上司とアルバイトの3人体制でずっと回していた。2004年に取締役になり上司が部下になったが、2006年にその元女性上司が退職、製作部の部下はアルバイトのみという状態で回す羽目になった。2007年に営業にいた10歳下の後輩を製作部にコンバートした。3〜4年はかかるだろうという知識を1年でモノにする優秀さだった。2020年には新人の女の子を入れて3人体制になっていた。ぼく自身は編集のほうが忙しくなり、最近は新規事業などもやるようになり、製作業務から遠ざかっていた。

今年に入りその女の子から退職願が提出され、つい先日には10歳下の後輩からも退職願が提出された。初の1人体制。かつしばらく離れていたのでだいぶ知識を忘れている。はて、どうしたものか……。

ケンジさん

2023年12月15日 | 想い
1992年に社会人になった。とてつもない大出版社でぼくのような三流大学出身の人間が入れるような企業じゃないが、バブルの影響と総務の面白そうな人間も入れないとという気まぐれのお陰でなんとか入社できた。2週間ぐらいの研修を経て最終日は野外研修と称して同期全員・総務・一部の先輩と湯河原に出かけた。そこに2期上のケンジさんがいた。

ケンジさんとは馬が合い、ぼくが秋葉原の本社、ケンジさんは駒込の支社だったのにも拘らずしょっちゅう遊んでいた。すでに編集局を中心とした野球チームが存在していたが、あまりにも団塊の世代が多く、自由にモノを言えない雰囲気だったので、入社1年目の秋頃に若手中心で野球チームを作る話になった。ぼくもケンジさんのすすめでその新チームに入ることになった。そのこともありさらに親密な関係になっていった。入社2年目になると本社ビルが王子に竣工した。秋葉原本社と駒込支社の人間が王子に集合した。ケンジさんとの関係はこれによりさらに深まっていった。ぼくは10階のフロアでケンジさんは2階のフロアだったがしょっちゅう2階に遊びにいっていた。

2008年12月25日にブログに書いたが、1993年の社会人2年目の年、組合専従の委員長が野球部の仲間の人になり、ケンジさんは青年部の部長になった。その頃の青年部は婦人部と比べまったくやる気のない組織だった。委員長と青年部長のケンジさんに呼び出され、10万円使っていいからなにか大騒ぎしろと指示された。あまりお祭り騒ぎは好きではなかったが断れないので、ぼくが主導でクリスマスパーティを開催した。それは大成功に終わった。ただこの時のぼくの活躍がのちに営業局への異動のきっかけになるとは思わなかった。

そう、それから1年後の9月の人事異動でぼくは栃木県担当の営業職になった。とてもやる気になれない業務だったため、異動後すぐに退職してしまった。退職後も野球チームの合宿や試合には参加していた。ある日ケンジさんとケンジさんの同期のホリウチさんが退職したと連絡があった。この2人は同期結婚でぼくは結婚式にはもちろん出席している。聞くところによるとホリウチさんはぼくと同様に営業局に異動になったのだが、一緒の部署で働く先輩と不倫していたことが発覚したらしい。ケンジさんは彼女をボコボコにしたらしいが、結婚式で誓った通り別れるという選択はしなかったようだ。そのかわり、今までの会社の関係を全て絶つと宣言。ぼくとの関係も解消するとのことだった。

その後、ぼくはいまの会社の仕事が忙しくなり、野球にも行かなくなり、同期の人間にも会うことが少なくなっていった。2015年の「CEATEC JAPAN」に出かけたときに、前の会社のブースがあり何気なくイベントを見ていたらケンジさんが突然現れた。「さいとうー、何やってんだよ!」と言われ仕事で来ていることを伝え、名刺交換なんかをした。辞めたあと自分で会社を立ち上げ社長をしているという。しかし仕事のほとんどは前の会社からもらっているとのことだった。奥さんの不倫で会社の関係を全て絶つと見栄を切って宣言したわりには、情けないやつだなと思わざるを得なかった。さらにガングロで茶髪というルックスにも辟易した。早々に挨拶を終えその場を去った。

長々とケンジさんのことを書いてきたが、今日同期のポップンとある会合で久々に会った時、ケンジさんが亡くなったことを聞いた。──57歳の若すぎる永眠。食道静脈瘤破裂という病気で入院していたらしい。尋常じゃない量のビールを呑む人だった。なんだよ、それは、という感想だ。────合掌!

引っ越し

2023年02月22日 | 想い
2004年9月から18年半住んでいたマンションをようやく引っ越しした。引っ越し先は隣町。昨年末からつらつらネットでマンション情報を探していたら、1月中旬にいい物件を見つけた。とんとん拍子に引っ越しに至った。2月20日月曜日通常勤務だが、この日にアート引越センターで引っ越し。22日水曜日に旧マンションの退去の立会いがあったが、ぼくが最も古株になっていたそうだ。改めて古い部屋を眺めるとこんな汚いところに住んでいたのかと唖然とした。

2004年はぼくが36歳の年で会社の取締役になった年だ。思えば旧マンション時代の18年半はあまりいいことがなかった。本来ならもっと早く引っ越して気分を変えるべきだったかもしれないが、環境が良すぎて怠ってしまった。やはり4〜6年おきに引っ越すべきかなぁと思うに至った。

エリザベス2世

2022年09月09日 | 想い
エリザベス2世女王陛下が96歳で崩御されたとのこと。9月6日には、トラス氏を首相に任命したばかりでまだまだ元気なんだと思っていた。ぼくの生まれる前から女王だったんだからホントスゴい。笑顔が素敵な女王陛下だった。どうぞ安らかに。

それにしてもチャールズ皇太子もぼくが生まれる前からずっと皇太子だったな。やっと国王になれるんだね。もう立派な爺さんだけど。

────合掌!

安倍晋三

2022年07月08日 | 想い
憲政史上最高の政治家、安倍元総理が暗殺されたことは本当に残念だ。SPと奈良県警の人間は切腹するに値すると思うが未だその報道はない。本当に許せない蛮行である。

────合掌!

石原慎太郎

2022年02月01日 | 想い
石原慎太郎が鬼籍に入られたとのこと。2012年に都知事の石原慎太郎が尖閣諸島購入のために募金し、1万円を寄附したことが思い起こされる。石原慎太郎名義の返答書もいただいた。日本のために尽くしてくれた国士。ご冥福をお祈りします。

────合掌!

堺屋太一

2019年02月08日 | 想い
2017年に渡部昇一が亡くなったが、8日の今日、堺屋太一も亡くなったようだ。2017年04月17日のブログにも書いたが、この2人に若いぼくは相当影響を受けた。ぼくの卒業論文「江戸時代の経済」は堺屋太一の『峠の群像』を元に仕上げたものだ。「巨人・大鵬・卵焼き」「団塊の世代」という言葉のの生みの親でもあり、1970年の大阪万博の成功を成し遂げ、「大阪都構想」を考案し橋下徹を担ぎ出したのも堺屋太一だ。

ここ数十年はほとんど彼の本は読んでなかったが、20代のころは貪るように読みまくっていた。

────合掌!

50になりました!

2018年03月11日 | 想い
とうとう50になってしまいました。しかもこの節目の誕生日は会社で1人で迎えることに。3時ごろ会社の戸締りをしてタクシー帰り。50になったら何かしよう!っとずっと考えていた。大学に行き直すとか大学院に行くとか。でもそれは同い年の同僚に先にやられてしまって断念。それで断酒をすることにした! ちょうど10年前に3か月ぐらい禁酒したが、今回は断酒だ! 今後は断酒の効果なども記録していきたいと思う。

Apple Watch

2017年08月01日 | 想い
20年以上使っていたTAG Heuer S/ELシリーズのクォーツがぶっ壊れてしまった。若い頃の写真には必ず写っていた腕時計だ。シャツもメガネも20年以上使うことはあまりないだろうけど、腕時計は長く使うことが多い。高校生の頃から、TAG Heuerが好きで、大人になったら欲しいと思っていた。カタログは常に注目していたが、28歳の頃、池袋でデートしている時、今は亡きさくらやによったらS/ELシリーズが売られていて、あまりにも美しいフォルムに衝動買いしてしまった。

故障状況は、針は正しい位置にあるんだけど、あろうことか文字盤が15度20度傾いてしまったというもの。日付表示も枠の真ん中に配置されなくなった。さっそく修理の見積もりを表参道店にお願いしたら、一週間後に郵送された。それを見てビックリ!76,000円。

とても修理する気になれず、Apple Watchを購入することにした。Apple Watch Series 2 の42mmスペースブラックステンレススチールケースとブラックスポーツバンドにした。今日会社に届いたばかりであまり吟味してないけど、かなりいい感じ。

地元の同級生

2017年07月31日 | 想い
バイトの女の子の体調が悪くなり、夕方最寄りの駅まで送って行くことになった。彼女は世田谷の喜多見の出身。ぼくは成城出身のため喜多見は地元だ。彼女を喜多見駅まで送った後プラプラしていたら、同級生のタカブーが手を振っていたので、彼が経営する床屋に入店した。彼の親父さんにはカットしてもらったことがあるが、タカブーには初めてだったので、せっかくなのでカットしてもらった。3600円。

そのあと、またしても同級生が経営する中華屋に寄り、餃子と炒飯を食す。やっぱり地元はいいねー!

渡部昇一

2017年04月17日 | 想い
渡部昇一が亡くなったようだ。渡部昇一を知ったのは、高校生の時に毎週観ていた「竹村健一の世相を斬る」でだった。そのほか、堺屋太一を知ったのもこの番組だった。毎週ビデオに録り、メモを取りながら観ていた。

渡部昇一をはじめて読んだのは『日本史から見た日本人 古代編・鎌倉編・昭和編』だったと思う。それ以降も大学時代は司馬遼太郎の歴史小説とともに、渡部昇一や堺屋太一の歴史論、政治・社会評論本を読み漁った。若い時に彼らの本を熟読したことはホント役に立ったと思う。

────合掌!

駒込散策

2016年11月14日 | 想い


取引先の会長の葬儀に参列するため、本駒込にある吉祥寺に行った。その足で駒込に向かった。27歳の時はじめて独り暮らしした土地。2年しか住んでないが、いろいろと思い出深い町だ。パジェロを買ったはいいが、あの辺りの駐車場代がメチャクチャ高く、駒込に住むのを諦め練馬に引っ越した。

引っ越した後もお気に入りのバーや鮨屋があったので、ちょくちょく駒込には来ていたが、東口ばかりで、住んでいた駒込南口には20年ぶりに訪れた。駅前はすっかりオシャレな感じに様変わりしていた。その中に昔住んでいた「グローリア駒込」は変わることなく存在していた。

その後、頻繁に通っていた「餃子の王将 駒込店」に20年ぶりに行き、餃子とモヤシ炒めをビールのツマミに食す。葬儀のおかげでちょっとした回顧旅行になった。

トランプ

2016年11月09日 | 想い
トランプがアメリカの第45代大統領になってしまった。彼の政策で興味深いのが「日米軍撤退の可能性」と「日本の核保有を容認」だ。もし日本から米軍が撤退したら、朝日新聞はなんて書くんだろう? 左翼は大喜びするのか? 大喜びするのはシナ国と北チョン国だろう! トランプ大統領にはぜひこの2つの政策を実現してもらいたい。そうすれば、アホアホ左翼もさすがに軍隊を日本に、となるだろう。