blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

もったいない本舗3回目

2021年09月13日 | 日記
若いときは書棚に本が増えていくのが嬉しくて、嬉々として買い漁っていたものだが、30歳を超えたあたりから、部屋が本や雑誌で溢れかえる状況に恐怖を覚えるようになった。そこで、2012年02月02日の日記にあるように、スキャナーを買って漫画や古い雑誌をスキャンしてかなり断捨離した。それでも本が溢れかえっているので、2013年に段ボール5つ、2020年に2つ、もったいない本舗に本を売った。そして今回段ボール5つを売った。前回同様、買取金額は寄付にした。

この度は、寄付をご選択いただきありがとうございました。ご商品の買取金額は、5218円となりました。買取金額につきましては、災害で両親をなくした子供たちへの支援として、「もったいない本舗」を通して「コラボ・スクール」に全額寄付させていただきます。
ぼくが死んだら、部屋にあるものすべてがゴミになる。ミニマリストになるつもりはないが、なるべく持ち物は減らしていこうと思う。もう53歳だしね。

とんぼ DVD-BOX

2021年08月29日 | 日記

長渕剛 伝説ドラマ「とんぼ」同窓会 31年ぶりに出演者が集結 - 動画 Dailymotion

長渕剛 伝説ドラマ「とんぼ」同窓会 31年ぶりに出演者が集結を見る - DailymotionでPink Dragonを視聴

Dailymotion

 


2010年01月31日の日記に「とんぼ」(黒土三男脚本)について書いているぐらいこのドラマが好きなんだけど、不覚にも2019年9月にDVDが発売されていたことを知らなかった。よく観ているYouTubeのギターチャンネルでそのことについてのコメントがありはじめて知った。もうDVDを買うことはないと思っていたが、思わずポチってしまった。そのあと「とんぼ」「DVD化」で検索してみると上の動画を見つけた。この動画はマジで感動! 植木等は無理だが秋吉久美子にも出てほしかった。「とんぼ」の放送のあと、同じ1988年にNHKで主演した「うさぎの休日」(黒土三男脚本)というドラマもかなりよかった。こっちはDVDを買うほどじゃないけど、もう1回観てみたい。

これまでDVD化の話はあれど、なかなか実現しなかった。過激な暴力シーンのため、監督との不仲説などいろいろ噂されていたようだけど真相は不明。ただ今回のDVDには暴力シーンはそのままノーカット収録されてるみたいなんで、それが問題だったわけではなさそう。

おそらく唯一オリジナル版と違うところは、出所後のクルマの中でラジオから、サザンの「みんなのうた」が流れた時に長渕剛演じる小川英二が、「そんなクソみてえな歌消せ! このヤロー!」と哀川翔演じる常吉にキレる場面。なんと長渕剛の「純恋歌」差し替えられているという。当時は長渕と桑田の大喧嘩が話題になったが、これがきっかけになったとも言われている。

実はまだDVDが届いてない。明日届く予定。1988年放送で、おそらく翌年の1989年に再放送された分をビデオ録画していた。ことあるごとに観ていたが10年ぐらい前にテープが切れてしまってそれからビデオ自体観ることがなくなった。十数年ぶりの「とんぼ」を観るのがとても楽しみ。

もったいない本舗2回目

2020年08月25日 | 日記
いらない本が溜まったので、もったいない本舗で本を売った。前回2013年は段ボール5つだったが、今回は2つにした。だいたい120冊ぐらい。全然足りなかったので4つにすればよかった。今回は寄付の項目があったので、「子供たちへの未来への活動資金」を選択して申し込んんだ。昨日メールが届いた。

ご商品の買取金額は、440円と成りました。
災害で、不意にも両親をなくした子供たちへの未来への活動資金として
「もったいない本舗」を通して「コラボ・スクール」に全額を寄付のお手続きをさせて頂きます。

とのことだ。サイトで段ボールの請求をすれば翌日届くし、当日15時までに連絡すれば印字された伝票とともにヤマトの人が引き取りに来てくれるのでかなり便利。近々また頼もうと思う。

岡江久美子

2020年04月23日 | 日記
岡江久美子のコロナによる死亡は、正直志村けん以上にショックだ。もちろん志村けん世代ではあるが、連想ゲームでの岡江久美子はめちゃくちゃ面白かった。立て板に水。そして美しかった。

ご冥福をお祈りいたします。

────合掌!

監察医 朝顔

2019年09月03日 | 日記


いまやっているフジテレビのドラマ『監察医 朝顔』は、ひさびさに琴線に触れるドラマだ。同じくフジテレビで2011年に放送していた『それでも、生きてゆく』以来。出演している俳優が時任三郎、柄本明、風間俊介など共通点も多いので、同じ脚本家・演出家かなーと思ったけど違うみたいだ。

くだらない恋愛ドラマは量産しないで、こういうのを作っていかないと、ますますテレビ離れが進行するんだろうね。出版業界もやばいけど、テレビ業界もやばそう。N国党なんてのも登場してるし。出版も新聞もテレビもぼくが就職活動した時代では花形職種だったんだけどね。

弟が怪我

2018年12月22日 | 日記
1:40……そろそろ寝ようかと思っていたところ、iPhoneに知らない番号から着信。出てみると「ヒデキさんのお兄様ですか?」と相手は尋ねてきた。「そうですが」と応える。どうやら弟は病院に緊急搬送されたらしい。

かなり動揺したが、詳細を訊くと、かなり酔っ払っていて三田駅のホームで人にぶっかり転んだという。ただ、わざわざ身内に連絡してくるということは相当な怪我を負っていると思い、取るものもとりあえずタクシーで搬送先の第三北品川病院に向かった。

30〜40分ぐらいでたどり着いた。受付で事情を話したが、すでにカネを払って帰ったという。詮無い受付のオッさんの対応に途方に暮れ、弟にも電話をくれた緊急隊員にも電話をしたが繋がらない。ロビーのソファーにはサラリーマン風の若者が寝転んでいた。よくみると疲れたオッさんがソファーで坐りながら寝ていた。弟だった。

額の右を縫ったらしい痕があり、着ていたコートには血糊がベットリ付いていた。しかし呼びかけるとすぐに反応があり、いたって元気そうだった。もっと重傷かと思っていたので安心した。タクシーを拾い、年老いた両親と暮らす光が丘まで向かった。ぼくに電話がある前に両親の元に連絡があったようなので、車中電話で安心するように伝えた。

3:00ぐらいに着いて、弟の財布やiPhoneがあるか確認させ、すぐに寝かせた。両親もひと安心ということで就寝。ぼくは仮眠をとり、5:00の始発で帰宅。今日は土曜日だが、ある団体の10周年記念のパーティに出席しなくてはならない(泣

あけました!平成30年

2018年01月01日 | 日記
今年80歳になる昭和13年生まれのお袋は、2007年3月21日に高血圧で倒れたことがある。また2011年には4月3日に救急車で順天堂大学医学部附属練馬病院に運ばれた。脳梗塞だった。古い人間なんで、救急車を呼ぶなんてと断っていたみたいだが、居合わした弟が救急を呼んだ。大変危険な状態だったが、4月11日に退院することができた。

そして、去年の8月6日の日曜日寝ていると朝8時過ぎに親父から電話がかかってきた。胸が痛いと言っていたが次第に眠り出し大いびきをかくようになったお袋を不審に思った親父が救急を呼んだ。メチャクチャ早く到着してくれて家から一番近い練馬光が丘病院に搬送された。ぼくが大急ぎでたどり着いたのが9時半ごろ。10時から手術をする手はずになっていた。手術前のお袋に会うことができたが、子どものように怯えていた。

親父と弟と一緒に看護士から10時から4時間ぐらいかかる大手術と説明された。病名は大動脈解離。大動脈の内側に亀裂が入り、その裂け目から血液が大動脈の壁を裂いて壁内に流れ込む病気とのことだ。おそらく前の2つの病気も関連しているのだろうと思われる。手術はそうとう難しいもので生存率も高くなく20〜50%だと聞かされた。たとえ生きることができたとしても後遺症が残る可能性が高いという。それは植物状態なのか言語障害なのか半身不随になるのか? どうなるのかわからないが、ぼくたち3人は相当な覚悟をした。

待合室はなく廊下のソファーで待機することになった。適宜食事などしていいとのことだったが、誰か必ずソファーにいてほしいとのことだった。病院内のコンビニでおにぎりやサンドイッチを買い待ち続けた。昨今の病院には喫煙所というものがなく、弟と代わる代わる病院の敷地外に出て一服して戻るという状況だった。親父は緊張してるからと何度もなんどもトイレにいくという有様だった。

4時間ということだったが結局5時間かかり、15:00過ぎに執刀医の先生から話を聞くことができた。とりあえず手術は成功したという説明とどういう手術をしたかという説明を受けた。ICUの中に入ることができ、人工呼吸器をつけた寝たままのお袋を見送り3人で帰宅した。

緊急手術をした6日は日曜だったため、翌日7日に会社を休んで入院手続きのために再び病院に赴いた。手続きしたあとICUのお袋に会うことができた。すこし話すことができたが、まだ頭が朦朧としているようでまともな会話はできなかった。長居すると疲れてしまうだろうということで早々に引き上げた。朝方は看護士と会話ができたそうだ。夕方親父がひとりで行ったときはだいぶ話せるようになったいたみたいだ。

お袋は後遺症を心配することなく回復に向かっていた。しかし逆に親父のほうが参ってしまったようだ。心配なので9日の夜、仕事帰りに親父の様子を見に行った。血圧が上がって苦しくなってしまってかかりつけの主治医に血圧の薬を特別に処方してもらっていた。お袋のほうは10日にはICUから一般病棟に移ることができた。11日に見舞いに行ったが元気そうだった。ふだんはそんなことを言うようなキャラクターではないのに6人部屋のウザさをしきりに訴えていた。その後親父から電話がかかってきて、本人がどうしても6人部屋に我慢ができないので個室に移してもいいかという内容だった。とりあえずカネの心配はしなくていいので本人の希望通りにしてあげれば、と答えでんわを切った。16日に個室に移って、20日に様子を見に行った。そうしたら6人部屋のときのようにずっと病院の不満を口にしていた。ドアのすぐ前が食事の搬出口で食事時になるとガラガラうるさいとか看護士の会話がうるさい等々……。はやく退院したいとしきりに訴える始末。常に物事を我慢するタイプのお袋なのにヘンだなと思っていたんだけど、調べてみると大量の薬を摂取のせいか錯乱状態になって看護士に暴言を吐いたりする事例はよくあることのようだ。

しかし病院側も回復を確信したらしく早くも24日に自宅に帰ることが許された。たぶんこんな早くの退院は珍しいのではないだろうか? 急性大動脈解離を発症した人の約2割は病院に到着する前に亡くなってしまうという。お袋の場合は、家からクルマで2〜3分のところに練馬光が丘病院があったこと、その病院にこの病気の権威がいたことが幸いした。この偶然がなければ昨年末に喪中ハガキを出しているところだった。最近でいえば、11月16日に首都高速でハザードランプをつけ停車していた車内で死んでいるのが見つかったアンパンマンのドキンちゃんの声優鶴ひろみも死因は大動脈解離だった。57歳。彼女もはやく見つかりいち早く病院に搬送されていれば助かったかもしれない。

とまあ、今日ひさびさに実家に帰ってお袋の回復ぶりを確認してきた。今年はいいことがありますように!

粗大ゴミの捨て方

2016年03月04日 | 日記
粗大ゴミの捨て方のシステムがいまいちわからなかったんだけど、わかってしまえばチョー便利だった。今まではポストに投げ込まれていたチラシの怪しげな業者に高価な料金で処分してもらっていた。今回ダイニングテーブルと4脚の椅子を捨てた。回収日の前々日にメールが届くし、よくできている。これからバンバン捨てよう!

HEAD Technology: ASP Speed

2015年09月16日 | 日記
HEAD Technology: ASP Speed


全米オープンはジョコビッチが優勝した。だからというわけではないが、ジョコビッチが使っているラケット、HEADの「Graphene XT Speed」の2015年モデルを昨日買ってきた。4種類あるうち「MP A」というモデルを購入。もともと僕のメインラケットは同シリーズの2013年モデル「Speed MP」。今年発売の「MP A」モデルはガットを張る際にストリングパターンを16×19と16×16変更することができる。メインで使っている2013年モデルは16×19。今回16×16に張ってもらった。

今日のお昼に引き取りに行き、夜の練習で使ってみた。16×16だけあってメチャクチャスピンがかかる。なにより打ち心地がメチャいい! しばらくメインラケットになるだろう。このラケットなら二丁持ちにしてもいいかも。

ひさびさの高額買い物(約2万7000円)だ。そして明日iPad mini4が届く予定。

はい、47歳になりました。

2015年03月11日 | 日記
また歳を取ってしまった。でもそんなことより、今日の新聞に気になる記事があった。





パナソニックは10日、傘下の三洋電機の電子機器製造子会社(鳥取市)を投資ファンドのジェイ・ウィル・パートナーズ(東京・千代田)に今月中に売却する方針を固めた。ジェイ・ウィル・パートナーズは生産を継続し、約200人の従業員は引き続き雇用する見通し。鳥取の子会社は三洋が直接手掛ける唯一の事業だった。今回の売却で三洋のリストラが終了する。(2015/3/11日本経済新聞)

三洋といえば、オーディオなどよく買ったメーカーだ。SONYより安いが質はいいというイメージ。昔の新聞にこんな記事があったのを思い出し、検索して見つけた。





幻の「iPod」
米アップルが開発し、世界で大ヒットした携帯音楽プレーヤーの「iPod」。実は全く同じアイデアを iPod に先駆けて考案した日本人がいる。
三洋電機のオーディオ部門のトップだった黒崎正彦(65)がシリコンバレーを訪ねたのは 1997 年秋のことだ。アップル再建のために復帰したばかりのスティーブ・ジョブスに面会し、記憶媒体を内蔵する携帯音楽プレーヤーを使って、音楽コンテンツを配信するビジネス案を披露した。
黒崎の狙いはブランド力に優れるアップルとの提携だった。ハリウッドに強いジョブスを巻き込めば楽曲を提供する大手音楽会社への影響力も期待できた。
だが、構想はあっけなく頓挫する。「音楽?コンテンツ?あきまへん」「これからは情報システムでっせ」。黒崎は会長だった井植敏(75)からこう言われた。「なにわ版 iPod」構想はお蔵入りし、その後、復活したアップルと今も再建のメドが立たない三洋との差は余りにも激しい。(2007/2/28 日本経済新聞 朝刊一面『成長を考える』)

笑撃的?衝撃的?な事実だ。アホ経営者のせいで、三洋の斜陽が始まった。上記の記事を黒崎さんはどう感じただろう。

後藤くん

2015年01月20日 | 日記
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されている日本人2人。ジャーナリストのほうはぼくの中学の同級生。ネットでは「仙台市出身」となっているけど、紛れもなく中2の時、世田谷の中学校で一緒のクラスだった。その後同窓会で何度も呑んでいる。なんとか無事に帰国してもらいたいものだ。

菅原文太

2014年12月02日 | 日記

菅原文太も逝ってしまった。ほとんどの人は『仁義なき戦い』『トラック野郎』を挙げると思うけど、ぼくはNHK『獅子の時代』だ。はじめて菅原文太を知ったのもはじめて大河ドラマを観たのも『獅子の時代』。いまのぼくと同い年だがカッコいいねー! 合掌────。