blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

コリアン・リポート

2006年10月01日 | 遊び
【9/28】

韓国語の著者M田先生と8月に呑んでいる時に誘われ、韓国へ行くことになった。もちろん自腹だ。かなりハードな仕事の状態だが、まあ9月末なら大丈夫だろうとたかをくくっていたが、予想を裏切り、仕事をかなり残したままの旅立ちになってしまった。

先生が立川のコミュニティーサークルで韓国語を教えている生徒さんたちと合わせ6人の旅行だが、安く仕上げるために、成田空港に朝8:00集合という中国のときを彷彿とさせる地獄の待ち合わせ時間。40分遅刻してしまった。初めての人ばかりだったので、ホント申し訳ないことをしてしまった。先生はぼくよりひと回り上だが、他の人たちは親父お袋の世代より上だ。75歳前後のSさんは剛直真面目なお爺さん。70歳前後のNさんはトボケたキャラだが世界を股にかけた仕事をしていたらしい。一番若いYさんは67歳。韓国語は一番できる。几帳面な性格で今回は会計を担当。紅一点のKさんは76歳で今日が誕生日。日暮里生まれの江戸っ子だ。

アシアナ航空10:00成田発。アシアナは韓国の航空会社だから差別されているわけではないだろうが、搭乗口が成田空港で一番端の46番。老人を引き連れて歩きに歩いた。人のことは言えないが、遅刻ヤローがいたようで、15分ほど遅刻して離陸。滑走路までも時間がかかった。12:45に仁川(インチョン)空港に到着。2001年3月にオープンとのことで、なかなかキレイだった。空港では●さんが出迎えていてくれた。今回の旅行最大の目的はソウルと釜山(プサン)のあいだぐらいにある安東(アンドン)河回村という田舎町に伝わる伝統芸能「安東国際仮面劇フェスティバル」を観に行くというものだった。

●さんは日本への留学経験もあり日本語が話せ、河回村 で民宿をやっている。今回は彼の民宿には泊まらないが、運ちゃんとして出迎えにきてくれた。M田先生は「バス」と言っていたが、クルマは「バン」だった。狭い! そして、時間は高速をメチャクチャ飛ばした速度で4時間。1回パーキンングに寄っただけで、かなぁ~り辛かった。窓から町並みを観たが、韓国人は集合住宅に住むのが好きみたいだ。そんなのばっか。
  

紅一点のKさんの戦時中の話を聞かされる羽目になった。あの当時、東京の人間はその日喰うものも困っていたのに、地方の人は割と喰えていたというのだ。疎開した子供にも食料を与えず、差別していたらしい。それが全てだとは思えないが、一部そういうこともあったのだろう。戦時中の話は、親父お袋ともにあまり話したことがない。ちょっと時間があったので、和紙ならぬ韓紙工場に立ち寄った。大したものはない。

18:30にようやく河回村に到着。古い貴族の町並みがそのまま残されていて、現在は観光に使われているところみたいだ。真ん中に庭があるジャッキー・チェーンの映画に出てくるような古い家。風呂なんかない! さっそく食事。この地域はさばの塩漬けが有名らしく、それも出たが、田舎料理のせいかわからないが、かなり辛くとても喰えたもんじゃなかった。そのあと、縁側で宴会をした。ものすごい田舎なので、犬の鳴き声以外は何も聞こえない。三日月を肴にウイスキーと日本酒で乾杯した。年の差はかなり離れているが、打ち解けた話ができた。
 

そうこうしているうちに、M田先生の学生時代の友人で、現在、安東駅のすぐ目の前にある観光案内所の所長の崔(チェ)さんが息子2人と●さんとで現れた。奥さんを去年亡くし、一人で子供達を育てている。腹はいっぱいだったが、宿のオバさんが、肉を焼いてくれた。肉を肴にまた一杯。1時過ぎまで呑んでいたのだが、最年長のKさんは最後まで付き合ってくれた。M田先生の唯一の欠点は酒好きということだ。呑み過ぎで、鼾がかなりうるさかった。

つづく