blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

ワットラボ

2004年03月18日 | 音楽
PIXYSの池袋AleHousでのライブに、会社でアルバイトをしている佐々木麻衣のバンド「Watt Labo」をご好意で参加させてもらった。PIXYSの1ステージと2ステージの間に3曲のみ演奏。17:00入りということで、あまり使わないフレックスを利用し、ぼくもその時間に行った。リハはPIXYSの楽器セッティングの後、Watt Laboが15分程度行った。その後、PIXYSはほぼ全曲を演奏した。そういうものなんだね。

20:00からの本番。いつもの感じで始まったが、この日、オリンピックの出場が決まるかどうかのサッカーの試合があったためか、客足は伸びなかった。20:40ごろ終わり、Watt Laboの登場。たった3曲だったが、ぼくにはPIXYSをすっかり喰っているように見えた。とにかく素晴らしかった。後でNormanさんに訊いたところ、対バンがあったことで、少し燃えたらしい。確かにいつも坐って演奏するのだが、2ステージ目の最初は、いきなり立ちで演奏したりしていた。今後、店長の目に止まれば、この店で演奏できるかもしれない。頑張れ!

駒忠

2004年03月18日 | 呑み
前の会社の同期2人と秋葉原で呑んだ。この2人とは昔バンドをやっていた。キーボードをやっていたポップンポールは会社に残っているが、ボーカリストとギターのぼくはずいぶん前に辞めている。再び結成しようという呑み会だった。

いい感じになっていた頃、前の会社の営業課長が乱入してきた。前の会社は今は、別なところに移転したが、ぼくらが入社した年は秋葉原に事務所があった。新入社員は総務研修を2週間くらいした後、本来の配属先に行く前に、営業部で研修する。当時係長だったその課長のもとにポップンポールとぼくはついた。むかし話に華が咲いた。いま会社で威張っているぼくも新人の頃はずいぶんアホなことをしていた。二軒めはよく行っていた秋葉原の「駒忠」に行った。懐かしかった。

中川屋

2004年03月17日 | 遊び
19:00ごろ会社を辞めた後輩から電話があった。夕飯を喰おうということで、御徒町まで行った。入った店は「中川屋」というカレーうどんの店。何を隠そう、ぼくは「カレーうどん」の大ファンなのである。子供の頃、うどんにカレーをぶっかけた「カレーうどん」をオフクロによく作ってもらったが、高校時代に「箱根そば」が「カレーそば」を始め一時期凝った。しかし、やっぱりカレーにはうどんの方が合う。しかもオフクロの作るカレーとは違い、片栗粉などを使い、トロトロとしたカレーだ。これが旨いのだが、熱が冷めにくく、すぐ唇を火傷する。

「中川屋」の「カレーうどん」はメチャクチャ旨かった。これは癖になりそうだ。今回は、「ナス天カレーうどん」680円と「生ビール」500円を頼んだ。次回はカレーの辛口にも挑戦してみたい。

自転車

2004年03月15日 | 遊び
印刷屋のおやっさんが、最近自転車に凝っていて、ずっと誘われていた。運動不足なこともあり、休日に自転車に乗るのもいいかなと、ここ2週間くらい思っていた。今日、そのおやっさんが、古い自転車を5000円で売ってくれるというので即オッケーした。そうしたら、仕事のついでに、会社まで持ってきてくれた。普通に買ったら5万円はする代物なのだそうだ。折りたたみ式で、スタンドやスピードメーターが付いている。おやっさん曰く、自転車と言ってはいけないそうだ。バイクと言わなくてはならない。メーカーはよくわからない。「MONOS」と書いてあるが……。
 

ライトが付いていないので、上野のバイク街で900円のものを買い、世田谷の家まで帰る決意をした。19:20に上野の会社を出発。タクシーではよく帰る道を滑走した。新宿辺りで根を上げそうになった。甲州街道沿いには多くの中華屋があり、ビールと餃子でも喰って休憩しようとしたが、取りあえず時間を計ってみたかったので、勇気を出して素通り。やっとこさ、桜上水を過ぎ、いつもの経堂の上海料理屋に辿り着いた。そこまでで約21km、1時間半。太腿がぴくぴくして、身体全身に脱力感が走る。ビールを2杯呑んで帰宅。右の写真は証拠。スピードメータには距離を計る機能もある。22.89kmを走りきった。疲れた!!

相模大野

2004年03月12日 | 呑み
ぼくなどが主催している出版社の集まり「例の会」だった。今回はぼくが幹事。取次さんも来てくれ14名と大きな呑み会になった。二軒めも行って、比較的早めに帰った。

────しかし! 気が付いたら「相模大野」だった……。またしても、寝過ごした。12月もこの駅に来てしまったが、今回はビジネスホテルを見つけ泊まった。4,800円。タクシーだと12,000円もかかるので、まだましだ。このホテルが常宿にならないように気をつけねば!!

大沢たかお

2004年03月11日 | 想い
またしても年をとってしまった。年男。人に言われて判明したのだが、大沢たかおとぼくは生年月日がまったく同じなのだ。彼の出身も東京らしい。最近では、さだまさし原作・磯村一路監督の『解夏』に主演し、ここ数年太り気味のぼくとは違い、大人の渋さを出しているらしい。

3月生まれというのは子供の時、絶対不利だ。4月生まれと一緒に勉強や体育をやれば敵わないのは当たり前。身長も小さいため喧嘩にも必ず負ける。大学の時、心理学かなんかの授業で「3月生まれが4月生まれに追いつくのは17歳ぐらい」と言っていた先生がいたが、確かにそれくらいまで引きずる問題かもしれない。やはり高校受験というのは止め、高校まで義務教育にするべきではないか!? 高校受験で失敗し将来を棒に振る人間だっているかもしれない。

結局、今日は会社の後輩と呑みに行き、パチンコで勝利して帰宅。

噂の眞相

2004年03月10日 | 想い
ぼくが出版を志すきっかけとなった雑誌『噂の眞相』が今月号をもって休刊になった。恐らく復刊はしないだろう。サヨク雑誌で、有名人のゴシップ記事が中心になっている。芸能人だけでなく、有名週刊誌が書けないような政治家のスキャンダルも平然と載せている硬派な雑誌である。情報源は主に新宿の呑み屋だといわれる。名誉棄損罪を訴えられることなどしばしば。

"うわしん"といえば団塊左翼の残滓、岡留安則編集長なしには語れない。いつ刺されるかわからないということで、彼は独身を貫いている。まったく報道・マスコミの鑑だ。則定衛東京高検検事長の女性問題や森喜朗首相の買春検挙歴などで注目を集めた。「黒字だが、タブーはほとんど書き尽くした。名誉棄損賠償の高額化や個人情報保護法で(スキャンダル報道は)全く難しい状況になっている」とのことで、疲れ果てた彼なしにはやはりこの雑誌の存続はありあないだろう。確かに、ここ数年つまらなくなってきていた。特に田中康夫の「東京ペログリ日記」は田中の長野県知事選からくだらない日記になってしまったし、ナンシー関の死後、毒舌コラムニストもいなくなった。メインの記事もイマイチ。一行コラムのみまともだった。

勘違いして欲しくないのだが、この雑誌の姿勢は好きだったが、思想には必ずしも同調している訳ではない。ただしジャーナリストとしてのバイタリティーには今でも敬意を表す。お疲れさまでした。

大逆転勝利!

2004年03月07日 | 遊び
今日は今年初の野球の試合だった。強風と極寒の中の荒川の河川敷で北区の大会の1回戦。ぼくらのチームは平均年齢35歳ぐらいだが、相手のパルローズというチームも同じぐらいだった。7回までの勝負だが、90分の時間内というルールもあるので長引いたこの試合の最終回は5回。この時点で11対6で負けていた。最初のバッターがレフトフライでアウトになると、「あと2人!」と俄然相手チームは盛り上がった。こっちもダメだなと思っていたが、なんとそれからヒットの連打! ついに同点になった。相手は声もでなかったようだ。大会ルールのサドンデス方式で、延長突入。1アウト2-3塁から始まる。1点取られたが、その裏で2点取り、大逆転勝利だった。

試合後,赤羽の銭湯「ゆらら」に行く。1,890円というベラボウな料金。その後、寿司屋で打ち上げ。おおいに盛り上がった。