blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

深紫伝説

2006年05月22日 | 音楽
伝説のバンドDeep Purpleのライブに行く。あまりにも情けなくて涙もでないが、あのパープルが東京国際フォーラムという狭すぎる会場でのライブ.。なおかつ平日1日のみ。2001年のAC/DCの横浜アリーナにもかなりムカついたが、それは置いておいても、あのパープルが何故こんな扱いなのか!! この日本はいつからアホな国になったんだ。確かにリッチーのいないパープルなんてという意見はわかる。しかし、イアン・ギランもイアン・ペイスもロジャー・グローバーも来日してる。黄金期のメンバーじゃないか!!

音楽系の仕事をしているデザイナーさんに頼んでいい席を確保してもらった。ド真ん中の前から16番目。この日はどんなことがあっても行くと決めていた。いろいろ、仕事が入ってくるが、クビになっても行くつもりだった。16時半には会社を出て、元同僚のMと有楽町で待ち合わせ。会場18時前の東京国際フォーラムに着く。Mはキーホルダーとパンフを買っていたが、あまりいいものがなかった。

19時ちょっと過ぎに始まった。どうなるかと思ったが、やはりみんな立った。「Pictures of Home」だ。新曲もやりながら「Strange Kind of Woman」「Fireball」「Lazy」の名曲をやってくれた。ぼくは通路側だったので、踊り歌いまくった。新曲になるとさすがに会場のみんなも知らなくてトーンダウン。しかし、最後は「Space Truckin'」「Highway Star」「Smoke on the Water」と続き、気絶しそうになった。ギターはスティーブ・モーズだったが、「Highway Star」のギターソロはその通りに弾いてくれた。会場のぼくらもギターソロを「チャカラン、チャカラン、チャカラン」を歌いまくる始末。キーボードもあのまま。アンコールでは「Hush」とコマーシャルでも有名な「Black Night」。「Hush」は懐かしかった。実家にあるカセットテープに残っているはず。高校生以来に聴いた。

イアン・ペイスはなかなか元気だったが、イアン・ギランはもう終わりだ。咳き込む姿も度々。1945年生というからもう61歳だ。もう来日はないかもしれないね。ハードロックは年寄りには歌えない。

帰りにMとチケットを取ってくれたデザイナーさんと有楽町の焼き鳥屋で呑んだ。この日はオッサンがほとんどだった。AC/DCの時以上かもしれない。親子連れはいたが、ギャルなんかいなかった。2001年のAC/DCの時のような感動はなかった。しかし、パープルといえば実は「Burn」と思っているぼくだが、「Highway Star」「Smoke on the Water」の時は、さすがに、今の仕事上のヤなことを忘れさせてくれた。我が青春のパープルさん、ありがとう!

中学の同窓会

2006年05月20日 | 呑み
しょっちゅう同窓会してるように感じるが、この日も中学校の同窓会だった。きっかけはやはり「ゆびとま」だ。急な開催だったこともあり、たった11人の参加。驚いたことに、この中にサラリーマンは2人しかいない。名前をあかせる人間だけをあげると、松田洋治(俳優)、落合清隆(コンピュータ系執筆業)、林信行(コンピュータ系執筆業)、堂本雅樹(ジャズ・トロンボーン演奏家)といったスゴい面々。その他、建築設計関係の社長、プラスチック関係の商社の役員、床屋の店主、IT系の会社JIECの社員、ENEOSの社員、そして唯一の女性は主婦。ぼくは出版社の役員。

名刺ケースをみると5枚くらいしかなかったので、会社に取りにいき、ちょこっと仕事してたら、18時「えん屋 下北沢店」の集合に遅れてしまった。いざ、みんなのところに入ると懐かしい面々、っていうのを想像していたら、はっきりいって、ほとんどの人間を覚えていなかった。思えば、子供の頃は一部の人間としか交流がなかったのだ。野球部の仲間・出身の成城1丁目近辺の仲間(せいぜい3丁目ぐらいまで)・父親の仕事絡みの仲間ぐらいだろう。建築設計関係の社長や床屋の店主はどっちかというと不良だったので、ぼくとはウマがあったが、他の人間は、マジメなタイプだった。なので、中学の時は一回も話さなかったと思う。落合清隆は高校も同じで、それなりに遊んでいたが、彼はその頃からコンピュータ系に強くて、ぼくと話は合わなかった。
 

名刺交換や自己紹介などをし、楽しく呑んだ、呑んだ、呑んだ────。独身は、ぼくと落合とJIECの社員のみ。子供の話も出る。自分の出身小学校に通っているのも2人いたりする。いずれ、中学の後輩ということにもなるんだろう。みんなも思っていたと思うけど、紅一点の旧姓Mさんは美人だった。とても38歳の2人の子持ち専業主婦とは思えない。20代にみえる。中学の時は冴えない感じだったのに。

落合も林もコンピュータ系の雑誌やwebで有名。とくに林はmacの世界では知らない人間はいないというレベル。「mixiは始まる前からやっていた」と訳の分からないことを言っていた。mixiを広めた功績を笠原健治にずいぶん感謝されたらしい。最近はラジオのパーソナリティなんかもやっているのだそうだ。落合がアスキーにいた時代に知り合い、それからずっと、公私の仲という。

いろいろ席を移動して、トロンボーンをやってる堂本雅樹とも話した。彼はブラスバンド部所属で、そのころ、ブラバンは暗いヤツのもの、イケてるのは「ロック」「フォーク」と思っていて、「クラッシック」と「ジャズ」の違いもわからなかったぼくにとって、当時の堂本と話をする機会等あろうはずがない。「ギターをやってるんだよ」と切り出し、音楽談義に興じた。アルバイトをせず、トロンボーンだけで妻子を喰わせているのはスゴい。ダサダサだった彼が、カッコいいアンちゃんに変貌しているのは、やはり仕事がウマく行っているからだろう。ホントに中学の頃はダサかったんだよね、彼の見た目。

そして、なにより「松ちゃん」こと松田洋治である。上の写真の顔をひょっこり出しているのが彼。相変わらず、若々しい。仕事の関係で遅れてきたのだが、「子供に自慢したいから」という理由でツーショット撮影会が始まった。松ちゃんは中学では一番の人気者だった。3年生の時、同じクラスだった。当時、NHK大河ドラマ「徳川家康」の少年時代役で出演していた。国語の授業の時、先生に朗読を当てられると、地の文・会話文等を声音を使い分け見事に読み上げる。読み終わった後は大拍手。松田優作と共演の1983年にTBS「家族ゲーム」で、何も取り柄はないけど、とにかく足が速いという役だったが、彼はメチャクチャ足が遅い。頭は良かったが、運動はからっきしダメだった。その後の彼の躍進は凄まじい。少年時代のビートたけし役を演じたNHK「たけしくんハイ!」(1985年)や「風の谷のナウシカ」(アスベル役),「もののけ姫」(アシタカ役)で声優もやっている。現在は舞台が多いそうだ。

一次会を延長し、そのまま二次会にかえての大盛り上がり。7~8月にもっとデカイ同窓会をやろうと決め、散会した。三次会は、落合とJIECの社員とENEOSの社員と祖師ケ谷大蔵のダーツバーに行った。ENEOSの社員の奥さんの弟が経営している店のようだ。ENEOSの社員はメチャクチャうまくて、相手にならなかった。ハンデをつけて賭けをした。といっても3回投げて1セットを8セットの勝負で最下位が400円というレベル。4セットやり、一回だけ最下位になった。バーにたまたまあるダーツはやったことあるが、ダーツオンリーの店に行ったのは初めて。3台しかないが、みんながひたすらやっている姿は異様。気がついたら、4時半。タクシーで帰宅。

出版メディアの電子化

2006年05月14日 | 仕事
元バイトの女性の子供Bを見に行ってきた。まだ2か月の女の子。この子の名前は、元バイトAからとっている。写真の左の女性がA。AとB、同じ名前の子の競演。可愛らしい名前だが珍しい名前。

11時に西船橋の鉄道公団団地集合だった。首都高から京葉道路は昔の彼女の家に向かうコース。懐かしかった。親父が公務員だったので、子供の頃は団地にちょこっと住んでいたが、比べものにならないくらい、最近の公団の団地は広くて綺麗。
 

その後、新社長の誘いで、

本格化する出版メディアの電子化と出版者の役割
迫りくる変化:ケータイ,コミック配信,巨大ネットメディア


というシンポジウムに参加してきた。日本出版学会の主催だが、ウチの会社は会員にはなってない学会だ。場所は城西大学。申し訳ないが知らない大学だった。ナナント、紀尾井町にある。分会の発表会もあるのだが、ぼくが参加したのは15:15からのシンポジウムのみ。パネリストは、

岩本 敏(小学館ネット・メディア・センター執行役員兼室長)59歳
平井彰司(筑摩書房 編集局編集情報室部長)44歳
吉井順一(講談社 デジタル事業局局長)50歳
植村八潮(日本出版学会)?歳(東京電機大出版局勤務)
星野 渉(日本出版学会)司会?歳

日本を代表する出版社の面々。amazonやgoogleの台頭により、販売ルートの路頭問題など、興味深い内容。特にamazonの「なか見検索」に脅威を感じ、なおかつ昨年オンデマンド印刷会社 BookSurge を買収したことを憂慮しているという。http://japan.internet.com/ecnews/20050405/12.html

平井氏はまだ若いが、このパネリストたちの見解は紙の本はなくならないというものだ。アマアマだ。ぼくもなくならないとは思うが、ほとんどゼロに近くなると思う。平井氏が言っていたが、今の10代は物心ついた時からケータイを持っているし、パソコン環境が充実している。紙の本以外の媒体でものを読むことに抵抗はないだろう。そんな世代が、登場しつつあるのだ。世の中は、若者のニーズに動かされる昨今、その流れに移るのは必然だと思う。なおかつ、「電子ペーパー」という恐ろしく精度のいい「紙」も登場している。本がなくなるのは近い将来ありうる、と考えるのが自然だ。紙の本がなくならないなんて幻想を抱いているのは、いつまでも自分の娘が処女であって欲しいと望むアホアホ親父と同じ。

そこで、出版社は何をすべきか? それは「出版メディアの電子化」を早めに施策するべき。amazonやgoogleの台頭なんて屁だ! 奴らには本を売る能力しかない。本は作れないのだ。ネットを通じての販売なら、紙代も印刷代も製本代も流通代も倉敷料もなにもかからない。1600円で売ってた本を300円で売ることも可能だ。出版社にとっても読者にとってもいいことなのだ。書店や取次のクソ威張ってた奴らを地獄に落とすチャンスじゃないか! それは10年とかからないだろう。歌川令三の『新聞がなくなる日』(草思社)は、2030年に新聞紙はなくなると言っていたが、そのへんがアマチャンなのだ。そんな先ではない! メディアは、パソコンになるのか、ケータイになるのか電子ペーパーになるのか、はたまた新しいメディアになるのかわからないが、再来年あたりにはなくなる。そして、10年後にはほとんど紙の本はなくなっているだろう。

気をつけなければならないのは、音楽のようにコピー可能にしてはマズい。二次利用できないようにプロテクトをかけることが肝要だ。上記の会社をはじめ、大出版社は損してでも率先してやるべきだ。それが、出版文化を、ホリエモンのようなヤツに食い潰されない方策ととらえるべきではないだろうか。今回のシンポジウムは、大会社は当たり前のことを全く考えてない、ということがよくわかっただけであまり身にはならなかった。

その後、会社にむかい、孤独に仕事なり。

パチンコ・ゴルゴ13

2006年05月01日 | 遊び
メーデーの今日、会社は休日出勤の如く閑散としていた。休む人が多いのは、ウチだけじゃなく、取引先の人も多かった。確かに、今年の連休はこの月・火は邪魔な日だ。有給取りたくなる気持ちもわかる。

仕事する気がせず、18時半には会社を出た。呑みに行く相手も、打つ相手もいないので、経堂の「符裕」に再び向かう。符さんのところも客がおらず、閑散としていた。生ビールと餃子を頼んだが、餃子を作っておらず、皮作りから始める始末。1時間半ぐらいいたが、常連も来ないので帰った。

禁パチを誓っていたが、久しぶりにパチンコをした。なぜなら「ゴルゴ13」をやりたかったからだ。さすが、ゴルゴの申し子! 3,000円で出た(2,000円を他の台で使ってしまった)。5連チャン。途中で店が終わってしまったので、その後は出来なかったが、十分楽しめた。何が面白いって、「リーチアクション」だ。色んなバージョンがあるが、ゴルゴ13ファンお馴染みのキャラクターが出てきたり、拳銃アクションの迫力が立体感があり秀逸だ。しばらくハマりそうだ。しかし、最近の台替わり早さには閉口する。