blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

良い年を!

2003年12月31日 | 想い
今年も終わりだ。今年の後半は呑み過ぎた。22日にも呑み過ぎで人に迷惑かけたし……。そしてタクシーの使い過ぎ。来年はどうせ使うならもう少し自分の趣味にカネをかけねば。年末も押し迫ってから、社長がくだらない企画を持って来た。そのため、この年末年始は自宅で組版作業。はたして売れてくくればいいのだが。

首都高はガラガラ。iPodでいろんな曲を聴きながらかっ飛ばす。

大三元

2003年12月26日 | 仕事
会社では毎年会議室で忘年会をする。昔はお店でやっていたのだが、5~6年前から社内でやることになった。社長の訓示の後、専務の乾杯という毎度の忘年会。その後は、麻雀大会。この日は2卓囲めた。酔っぱらいの社長も来たが、大負けして1ゲームで帰っていった。ぼく自身の成績はあまり良くなかったが、何年かぶりに「大三元」をあがった。發と中を鳴き、7巡目に白をツモ! たとえトータルで負けたとしても、役満あがると気持ちいいもんだ。

結局今年もタクシー帰り。

チャン・ツィイー

2003年12月21日 | レビュー
随分前から気になっていた女性がいる。花王の『アジエンス』というシャンプーかなんかのテレビコマーシャルに登場する美女。坂本龍一の曲が流れ、うつくしい黒髪に欧米の女たちが嫉妬するみたいなやつ。日本人ではないだろうとは思っていたのだが、中国人の女優チャン・ツィイーという人らしい。

テレビ朝日で『グリーン・デスティニー/臥虎蔵龍』(李安監督)という映画をやっていて、気がつくとそのチャン・ツィイーが出てたので思わず最後まで観てしまった。内容はかなり陳腐だ。真剣に観てなかったので、あまりよくわからない。ジャッキー・チェンの昔のカンフー映画に近い感じがした。しかし、この映画で目を奪われるのがワイヤーワークだ。空を飛ぶという現実にはありえない動きをCGなどに頼らないアナログ手法で見事に見せている。また剣術アクションも素晴らしかった。もちろん早回ししていたりするのだが、迫力満点! 個人的には剣術アクションは中国の動の動きよりも、黒沢映画のような日本の静の動き方が好きだが。

それにも増して、チャン・ツィイーがピカイチ(ちょっと古いか)! こんなに可愛いのにアクションもバッチシ(これも古い)! これから少しチェックしていこうと思う。 ウッシシ(古い)!

忘年会2003

2003年12月20日 | 呑み
今週は呑み過ぎた。火曜から金曜まで毎日忘年会だった。16日の火曜日は部署の忘年会で、浅草に行った。豆腐料理の「とうふ川風」という感じのいい店。ホロ酔いで雷門に向かった。ガキんちょの頃に親と行ったっきり二十何年ぶりの雷門。ライトアップされていてとてもキレイだった。後輩から電話があり、行きつけの店で呑んだ。気がつくと品川駅。終電なくて仕方なくタクシー。

17日の水曜日は上司と会社のOG2人と半蔵門の「カフェラハイナ」で呑んだ。3人とも50歳前後の女性だ。この中で会話に入っていくのは至難の業だが、わりと健闘した方だと思う。ちょうど水曜は西やんさんのライブがある日。20時から30分ぐらいの演奏が始まり、終わると席に来てもらった。西やんさんも3人と年が近いため、会話に花が咲いた。21時からも演奏。はっきり言ってあまり聴いていなかった。すみません。

18日の木曜日は部署の別バージョンの忘年会。ぼくの上司だった人、元バイト、現バイト、SOHOでホームページの更新を手伝ってもらっている人、そして上司とぼくの6人。現バイトの佐々木麻衣が以前働いていたという築地の「魚四季」。築地市場の真ん前にあり、刺身はかなり旨かった。料理には詳しくないので正式な料理名はわからないが、エイヒレの煮付けみたいなのが旨かった。普通エイヒレというと乾きもののイメージがあるが、これはお店でも限定何品というレアもの。

19日の金曜日は前の会社の同期と呑む。佐々木麻衣の彼氏がバイトしている歌舞伎町の「IZO一蔵」。めちゃくちゃオシャレなお店で、下品なぼくらはかなり浮いていたかもしれない。清算したら驚いた。一人2000円という安さ。ぼくは少なくとも10杯はビールを呑んでいる。佐々木麻衣の彼氏はぼくの高校の後輩でもあるのだが、この日ワイルドワンズのツアーで北海道に行っていたので不在。気を遣って安くしてくれたのだろうか? それとも呑み物も食事も出てくるのが遅かったことに対するお詫びだろうか?
 

逃げるようにして店を出て、ゴールデン街の「チャコ」に行った。最近のお気に入りの店だ。先輩の紹介の店だが、こじんまりとして、なかなか落ち着く。沖縄出身のマスター、弟はぼくが在社している時はいなかった人だが、前の会社の人。上の写真の真ん中の白いところには「ゴールデン街」と書いてある。終電前にみんなと別れたのだが、しつこい奴に誘われて、彼の住む町荻窪まで拉致された。西荻窪に住む、新宿に来れなかった同期も呼び、何回か行ったことのある中華屋に行った。全く呑む気がせず、この店では終始水のみでラーメンを喰った。この日もタクシー帰り。

最近カネを使い過ぎだ。特にタクシー代が多い。先週は相模大野まで行ってしまった。真夜中の東名を走り12000円。まったく無駄なカネ。電車での居眠りには気をつけよう!

携帯電話機種変更

2003年12月15日 | 遊び
携帯電話を買い換えた。世間ではまだ普及していなかった1998年以来、これで5機目。当時は大きくて、重くて、漢字も打てないし、勿論メールも出来ない。今の携帯電話はカラーで液晶もホントにキレイだ。

今日買ったauのA5503SAというのはEZナビウォークというのがあって、現在地や目的地を地図で案内してくれるという優れもの。カーナビみたいなものだ。画素数は低いが一応デジカメも付いている。もう3年も同じのを使っていたので、ずっと機種変更したいと思っていたのだが、auの機種はデザインが悪くて、躊躇っていた。いくら待ってもよいのが出ないので、ボーダフォンに換えようと思っていたが、このサンヨーのA5503SAは薄くて良さそうだったので、買ってしまった。液晶のキレイさには驚き。しばらく楽しめるな。

中国語研究会2003

2003年12月11日 | 遊び
恒例の「中国語研究会」を今年も開催した。取引先を交えての中国語の研究もはや6回目。直前にある紙屋さんがクレームのため来られないというハプニングもあったが、なんとか12人揃え3卓を確保した。

印刷会社の営業マンが初優勝。残念ながらぼくは7位で、マイナス10点だった。

まだ一度も優勝したことがない。来年こそ!

葬式

2003年12月06日 | 想い
5日の金曜日、会社の上司のお父さんが亡くなったので、宇都宮まで行ってきた。9月にお邪魔しているのだが、お父さんにはお会いできなかった。享年87歳。パジェロに7人乗っけて東北道を下った。約1時間半でたどり着いた。上司は月曜日の夕方、宇都宮から帰ってきて火曜日は会社に出ようと思っていたらしいのだが、夜中に呼び出しがかかり、タクシーで宇都宮まで行ったという。料金53,000円に7,000円をチップに渡したらしい。

上司は施主という立場で式をしきっておりやや疲れていた。お清めの席で随分と文学的なことを言い、最後「献杯」と言うべきところを「乾杯」とわざとかもしれないが、言い放った。ぼくはその真意が掴めず「うぁんぱーいぃ」というような感じで応えた。帰りは香典返しが多かったので、一度会社に戻った。するとその上司の担当した本に間違いがあり、その後始末をして帰った。

人の死というのは重なるもんだろうか? 月曜日にお見舞いに行った印刷屋のおじさんが、翌日の火曜日に亡くなった。享年69歳。6日の土曜日、新宿区上落合の葬儀所に行く。彼の一生は、昭和ヒトケタといわれた世代に相応しく真面目な職人人生だった(と思う)。東京に生まれ、染物屋や町工場で丁稚をしながら戦後復興の東京の街を颯爽と走り抜けて行った。のちに印刷を始め、その人柄のため多くの仲間がその仕事を支えてくれた。彼の人生の後半にぼくは関わったわけだが、随分と可愛がってもらった。主に会社の伝票類や本に投げ込む売上カードをお願いしていた。50CCのバイクで原稿を取りに来てくれ、またバイクで納品にも来てくれる。最初の奥さんとの間の娘さんが二十数年振りに訪ねてくれたとしみじに話してくれたこともある。

二人の顔を拝顔したが、どちらも苦しんだような顔ではなく安らかな顔だった。戦後の日本を生き、支えてくれた二人に合掌────。

六本木ヒルズ

2003年12月01日 | 想い
出版社に勤務していると印刷会社とのお付き合いがいっぱいある。印刷会社といってもいろいろあって、凸版や大日本といったスーパー企業もあれば、おじさん一人でしこしこやっている会社もある。最初に勤めた会社ではなかったが、今の会社はそういったおじさん一人でやってる「印刷屋さん」との関係が結構ある。

神田神保町で軽オフという印刷をしていたおじさんが再入院ということでお見舞いに上司と伺った。1年前に癌で入院、退院後も仕事をお願いしていたが、やはり前のような機動力はなかった。先週も来てもらうように電話したが翌日も次の日も来社がなく、不審に思っていたら、仲間内の方がいらっしゃって、再入院されたと報告を受けた。その人が金曜日に面会に行ったら会話できたとのことだったので、今日面会に行った。病院は広尾にある日赤医療センターである。

てっきり話せると思っていたのだが、週末の間に「緩和ケア」という病室に移っていて、全く会話できない状態だった。この病室はもう治療する術のない患者が入院する部屋らしい。薬の臭いも治療器具もなにもないホテルのような綺麗な病棟だ。痛みをモルヒネで和らげるしかない状態だった。この人は女性に持てる人で結婚も何回かしている。最初の奥さんとの間の娘さんがいて、ご挨拶した。彼女がモルヒネで意識のないおじさんにぼくらの来院を告げるとかすかに腕が動いた。ショックで言葉にならなかった。しばらくすると奥さんがいらっしゃって、話が出来た。奥さんとも何度も会っているが、さすがにやつれていた。ずっと上司が対応していたが、病院に入ってからずっとぼくは話せないくらいショックを受けていた。

奥さんに頑張ってくださいと挨拶した後、六本木ヒルズに行った。恐ろしく近代的だった。まるで田舎者のようにデジカメを撮りまくり、ビルの中を迷子になった。蕎麦屋で食事して帰った。駅に着いたら現実に返ったように感じられた。そういう街だ。

その後、ザ・ラザラのライブに新大久保まで行った。ライブバー大久保水族館という所。ロック色が強かったが、ベーシストの脱退を期にアコースティック路線に移ったようだ。カホンとアコギ2本という編成。プロを目指している彼らだが、もう少し歌詞に気を使った方がいいと思う。またリードのソロも入れないと聴いている方も飽きてしまう。

日吉のNap(ナップ)というライブハウスで月一で出演しているという御室悠一君というなかなか個性的青年も単独で出演。大人になることに厭世的で悲観している。しかし信じ合う愛あれば────、という方向性をギターで語る。すごく二枚目なのだが、こんな思想の持ち主だと女に持てないだろうな、と推測する。また、バンドではなく一人でやらざるを得ないのも、彼の思想故だろう。