golf130のクラシックお笑い原理主義

オッサンのしがない日常や妄想話とその日聴いた音楽。

バルトーク「2つの肖像」スタリック、クーベリック

2012-04-19 22:35:22 | Weblog
資格試験とかって、周囲に「今度、○○の試験を受ける!」って宣言しちゃうのが良いかと最近思っております。

引くに引けない状態に自分を追い込む(というほどでもありませんが)ことで、受けざるを得なくなるし、勉強せざるを得なくなるでしょ。

自分で受けようと思っているだけだと、ついつい申し込みしそびれたり、勉強しなかったりしてしまいがちですから。(私の場合)

昨日から、6月の試験に向けてまた次の勉強を開始しました。

学生も多い、レベルの低い資格ではありますが。

会社とか家族への宣言とともに、こうしてブログに書いてしまうのも退路を断って勉強せざるを得なくする作戦であります。

スティーヴン・スタリック(ヴァイオリン)、ラファエル・クーベリック指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(MEMBRAN盤)

第1楽章はヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章から、第2楽章はピアノのための「14のバガテル」から、それぞれ改作されたという作品。

バルトークが独自の語法を確立する前の曲ということになりましょうか。

第1曲は美しい、後期ロマン派の香りも感じる音楽。

しかし、陶酔しきれず何処か醒めた感もあるところがバルトークでしょうか。

第2曲は一転してリズミカルですが、後年のような荒々しさは無く、デュカスの「魔法使いの弟子」を思わせるユーモアも感じます。

1959年録音。

なお、このディスクはヴァイオリン協奏曲第2番(メニューイン&フルトヴェングラー盤)ですが、先日聴いたフルトヴェングラーBOXと同じ音源の為こちらは省略。

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ベートーヴェン「交響曲第5番《運命》、第7番」フルトヴェングラー

2012-04-19 07:33:58 | Weblog
季節の微妙な移ろいは、ついつい見逃してしまいがちなもの。

桜が散って、木々が美しい新芽を吹き出して来ていますね。

昨日の午前中、多摩ニュータウン方面へ行き、車窓から新緑の季節到来を知りました。

花粉も漸く減って来て、過ごし易い良い季節です。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI盤)

高校生の頃、LPが擦り切れそうになるくらい聴いた懐かしい音源。

まあ、実際は大切に大切に、丁寧に丁寧に扱っておりましたから、盤面はさほど傷まなかったかと思いますが。

更に言えば、「擦り切れるくらい」というのはLP時代よく使われた喩えですが、実際に擦り切れてしまったというのは、ついぞ聞いたことがありません。(笑)

当時聴いていたのは、擬似ステレオ加工の施されていた盤で、今日のCDはオリジナルのモノラルですから若干イメージの違いはありますが、懐かしさに変わりはありませぬ。

このフルトヴェングラーの21枚BOXを聴き始めて、「現代フルトヴェングラーを聴く意義って何?」ということもちょっと思いました。

その後、演奏も録音も素晴らしい音盤が色々出ていますし。

しかし、ベートーヴェンのこの辺りの曲は、さすがに自家薬籠中の物。流石フルトヴェングラー、これぞベートーヴェンという、今だ色褪せ無い価値を持っています。

7番の終楽章など、興奮の坩堝に引き入れる演奏は、昔、フルトヴェングラーを神様のように信奉していたことを思い起こさせてくれました。

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