■「不便な状況、不便な環境だからこそ残ってきたものがあります。
それらのかけがえのないものは「豊かな人生」をおくるうえで
欠かすことのできない、とても大切なものなのです」[細い道]より
西表島、船浮出身のミュージシャン、池田卓さんの著書、
「不便が残してくれたもの~西表島・船浮からのメッセージ(ボーダーインク出版)」という本を読んで、
とても感動&共感しました♪
船浮での話を読んでみて、少し前の母島を思い出し、色々考えさせられたので、
今回の投稿は“島の不便が残してくれたもの”に焦点を当てたいと思います。
20年前、初めて小笠原に来た頃を色々思い出しました。
あの頃はまだ携帯電話もドコモのみしか通じませんでしたし、
ネットどころか、iモードですら繋がらず、
ショートメール(SMS)しかできなかった時代です。
インターネットはISDNのみで、今ほどネット通販が出来ない時代の頃。
その頃にあった不便がもたらしてくれたもの、
もっと不便だった頃にも想いを馳せてみようと思います。
■その前に、西表島の船浮という集落についても触れたいと思います。
船浮は沖縄県八重山諸島にある西表島にあり、
道路で繋がっておらず、文字通り「陸の孤島」と表現されています。
交通手段は一番西部の白浜から船で行く事が出来ます。
人口は約50人くらいだそうでです。
僕も3回ほど行った事があります。
2001年は西表島で働いていた頃(20歳)、
2006年は当時3歳の娘と家族3人でお邪魔しました。
鳩間島と並んで特に大好きな所で、
宿泊もしましたし、とてものどかで素敵な所です♪
ゆっくりするには最適な場所です。
集落から歩いて奥にある美しいビーチ「イダの浜」があります。
ここは2018年(平成30年)の「日本のベストビーチ トップ10」で6位に選ばれている場所です。
■不便と言えば、1/25は週に1度の定期船おがさわら丸が入港する日だったのですが、
海況が悪く、父島~母島を結ぶゆり丸(ははじま丸がドック中)が欠航するという事態。
入港日に物や人が来ないというのは数年振りで、
母島に渡る予定だった人も物も父島で1泊足止めを食らう事態が発生しました。
それでもほぼ週に1度は必ず船は来るので、とても便利で有難いと思います。
本土の人は「週に1度しかアクセスがないの!?」と驚くと思いますが、
住んで慣れてしまえば、ほとんど問題はなく、
逆に内地(本土の事)に行って、注文してその日に物が届くと、
逆に「大丈夫なの?そんなに急いでないよ!」と思ってしまうほどです(笑)。
去年の2月にお邪魔した伊豆諸島・青ヶ島のあおがしま丸(ゆり丸、ははじま丸と同じ伊豆諸島開発の船)は、
なんと年間の就航率が50%と聞いて、
小笠原は父島の天然の良港「二見湾」があるお蔭で、ほぼ100%の就航率を誇っており、
なんて有難いのだろうと思うのです。
■20年前の小笠原はスマホどころか、ドコモの通話のみの時代で、
島民は携帯持っていない人も多かったし、メールはショートメールのみでした。
これ、島の人が結構使っていた、当時では斬新だったSONY製の防水携帯です。
懐かしい人多いんじゃないでしょうか?
僕も数年間ずっとコレでした(*^_^*)
内地から来た人は良く、父島に着くと
「会社の携帯呪縛から解かれた!!こんなに縛られていたんだ!!」
と喜んでいたものです(笑)。
出張で来ると解放された気持ちになっていたようです。
夜間の緊急電話を受ける医療従事者も、
「はじめて携帯の音を気にしないでぐっすり眠れた」
と言っていたのを思い出します。
内地行きのおがさわら丸に乗ると、
八丈沖でみんな看板に出でてメールの受信などをしていたのが懐かし光景です。
「ああ~~帰って来てしまった~(笑)」
とかよく言っていました。
便利なもので使っているはずが、
実はそれに縛られていた。
そんな側面は現代のスマホではより顕著かもしれませんね(*^_^*)
■母島はよく、不便と思われがちですが、
住んでいて不便と思った事はほとんどありません。
内地に行く24時間のおがさわら丸の船旅も、
お金も時間もかかるのですが、
ゆっくりと外の世界へ移行していくには、大事な時間。
父島の友人と会うこともあれば、
見知らぬ人と楽しく話す事もあります。
船の中で人と一晩中語り合う事もあるし、
気ままに本を読んだり、音楽を聴きまくる事もできます。
船浮の池田卓さんも、
船浮から船、車、飛行機と色んな乗り物に乗り換えていく過程が、
とても大事と書いていて、すごく共感できました。
父島に住んでいた頃は、母島の人は内地に行くとき、
24時間のおがさわら丸の前に2時間のははじま丸があって、大変だなぁ~と思っていましたが、
いざ母島に住んでみると、それは何ともなく、
逆に接続の間の1時間強の父島滞在を楽しみにできる程になっています。
要は馴れなのでしょうね(笑)。
逆に2~3時間で飛行機で北海道に行ってしまったり、
7時間でカナダに行ってしまうと、
あまりの速さに心が追いついていかない感覚があります。
ゆっくりな船旅が僕たちには合っているようです♪
■島の便利と言えば、
周りは知っている人ばかりというのも大事です。
相談したいとき、
頼りたいとき、
遊びたいとき、
色んな人が周りにいてくれるおかげで成り立っていると思います。
こんなSNSとコロナの時代ですが、
やっぱり会って話すのはとても大事な時間です。
子供だって知らない子供はいないし、
人の子も自分の子供のように叱ることもあるし、
めっちゃ可愛いです。
当たり前に通りすがりに挨拶を交わしますが、
思春期になって、挨拶がちょっと恥ずかしくなる年頃を見ると、
なんだか微笑ましくなってしまいます(*^_^*)
大きな荷物を運ぶときなんて、
僕も手伝うし、手伝ってもらう事もあります。
困った時はお互いさまと言える地域、
それはとても便利な側面も多いのです♪
■コンビニもないし、映画館も、コンサートホールもない。
通販の品物は注文から1週間以上は当たり前、
娯楽施設もない。
でも、大自然があるし、
自然を楽しめる人は、そこにお金はかかりません。
医療だって、
お医者さんも看護師さんも、歯医者さんまでいてくれます。
内地に注文したって、
送料無料で届くこともあるし、送料がかかっても都内料金で扱ってくれることも多いです。
「住めば都」と言う言葉の通り、
なんて便利で有難い環境なのだろうと思います♪
ないものねだりよりも、
あるモノ探しの方が楽しい(*^_^*)
気持ち次第でこんなにも豊かに捉えることができます。
島の暮らしを楽しめる人はきっと、
そんな“人生の達人”なのだろうと思います。
それらのかけがえのないものは「豊かな人生」をおくるうえで
欠かすことのできない、とても大切なものなのです」[細い道]より
西表島、船浮出身のミュージシャン、池田卓さんの著書、
「不便が残してくれたもの~西表島・船浮からのメッセージ(ボーダーインク出版)」という本を読んで、
とても感動&共感しました♪
船浮での話を読んでみて、少し前の母島を思い出し、色々考えさせられたので、
今回の投稿は“島の不便が残してくれたもの”に焦点を当てたいと思います。
20年前、初めて小笠原に来た頃を色々思い出しました。
あの頃はまだ携帯電話もドコモのみしか通じませんでしたし、
ネットどころか、iモードですら繋がらず、
ショートメール(SMS)しかできなかった時代です。
インターネットはISDNのみで、今ほどネット通販が出来ない時代の頃。
その頃にあった不便がもたらしてくれたもの、
もっと不便だった頃にも想いを馳せてみようと思います。
■その前に、西表島の船浮という集落についても触れたいと思います。
船浮は沖縄県八重山諸島にある西表島にあり、
道路で繋がっておらず、文字通り「陸の孤島」と表現されています。
交通手段は一番西部の白浜から船で行く事が出来ます。
人口は約50人くらいだそうでです。
僕も3回ほど行った事があります。
2001年は西表島で働いていた頃(20歳)、
2006年は当時3歳の娘と家族3人でお邪魔しました。
鳩間島と並んで特に大好きな所で、
宿泊もしましたし、とてものどかで素敵な所です♪
ゆっくりするには最適な場所です。
集落から歩いて奥にある美しいビーチ「イダの浜」があります。
ここは2018年(平成30年)の「日本のベストビーチ トップ10」で6位に選ばれている場所です。
■不便と言えば、1/25は週に1度の定期船おがさわら丸が入港する日だったのですが、
海況が悪く、父島~母島を結ぶゆり丸(ははじま丸がドック中)が欠航するという事態。
入港日に物や人が来ないというのは数年振りで、
母島に渡る予定だった人も物も父島で1泊足止めを食らう事態が発生しました。
それでもほぼ週に1度は必ず船は来るので、とても便利で有難いと思います。
本土の人は「週に1度しかアクセスがないの!?」と驚くと思いますが、
住んで慣れてしまえば、ほとんど問題はなく、
逆に内地(本土の事)に行って、注文してその日に物が届くと、
逆に「大丈夫なの?そんなに急いでないよ!」と思ってしまうほどです(笑)。
去年の2月にお邪魔した伊豆諸島・青ヶ島のあおがしま丸(ゆり丸、ははじま丸と同じ伊豆諸島開発の船)は、
なんと年間の就航率が50%と聞いて、
小笠原は父島の天然の良港「二見湾」があるお蔭で、ほぼ100%の就航率を誇っており、
なんて有難いのだろうと思うのです。
■20年前の小笠原はスマホどころか、ドコモの通話のみの時代で、
島民は携帯持っていない人も多かったし、メールはショートメールのみでした。
これ、島の人が結構使っていた、当時では斬新だったSONY製の防水携帯です。
懐かしい人多いんじゃないでしょうか?
僕も数年間ずっとコレでした(*^_^*)
内地から来た人は良く、父島に着くと
「会社の携帯呪縛から解かれた!!こんなに縛られていたんだ!!」
と喜んでいたものです(笑)。
出張で来ると解放された気持ちになっていたようです。
夜間の緊急電話を受ける医療従事者も、
「はじめて携帯の音を気にしないでぐっすり眠れた」
と言っていたのを思い出します。
内地行きのおがさわら丸に乗ると、
八丈沖でみんな看板に出でてメールの受信などをしていたのが懐かし光景です。
「ああ~~帰って来てしまった~(笑)」
とかよく言っていました。
便利なもので使っているはずが、
実はそれに縛られていた。
そんな側面は現代のスマホではより顕著かもしれませんね(*^_^*)
■母島はよく、不便と思われがちですが、
住んでいて不便と思った事はほとんどありません。
内地に行く24時間のおがさわら丸の船旅も、
お金も時間もかかるのですが、
ゆっくりと外の世界へ移行していくには、大事な時間。
父島の友人と会うこともあれば、
見知らぬ人と楽しく話す事もあります。
船の中で人と一晩中語り合う事もあるし、
気ままに本を読んだり、音楽を聴きまくる事もできます。
船浮の池田卓さんも、
船浮から船、車、飛行機と色んな乗り物に乗り換えていく過程が、
とても大事と書いていて、すごく共感できました。
父島に住んでいた頃は、母島の人は内地に行くとき、
24時間のおがさわら丸の前に2時間のははじま丸があって、大変だなぁ~と思っていましたが、
いざ母島に住んでみると、それは何ともなく、
逆に接続の間の1時間強の父島滞在を楽しみにできる程になっています。
要は馴れなのでしょうね(笑)。
逆に2~3時間で飛行機で北海道に行ってしまったり、
7時間でカナダに行ってしまうと、
あまりの速さに心が追いついていかない感覚があります。
ゆっくりな船旅が僕たちには合っているようです♪
■島の便利と言えば、
周りは知っている人ばかりというのも大事です。
相談したいとき、
頼りたいとき、
遊びたいとき、
色んな人が周りにいてくれるおかげで成り立っていると思います。
こんなSNSとコロナの時代ですが、
やっぱり会って話すのはとても大事な時間です。
子供だって知らない子供はいないし、
人の子も自分の子供のように叱ることもあるし、
めっちゃ可愛いです。
当たり前に通りすがりに挨拶を交わしますが、
思春期になって、挨拶がちょっと恥ずかしくなる年頃を見ると、
なんだか微笑ましくなってしまいます(*^_^*)
大きな荷物を運ぶときなんて、
僕も手伝うし、手伝ってもらう事もあります。
困った時はお互いさまと言える地域、
それはとても便利な側面も多いのです♪
■コンビニもないし、映画館も、コンサートホールもない。
通販の品物は注文から1週間以上は当たり前、
娯楽施設もない。
でも、大自然があるし、
自然を楽しめる人は、そこにお金はかかりません。
医療だって、
お医者さんも看護師さんも、歯医者さんまでいてくれます。
内地に注文したって、
送料無料で届くこともあるし、送料がかかっても都内料金で扱ってくれることも多いです。
「住めば都」と言う言葉の通り、
なんて便利で有難い環境なのだろうと思います♪
ないものねだりよりも、
あるモノ探しの方が楽しい(*^_^*)
気持ち次第でこんなにも豊かに捉えることができます。
島の暮らしを楽しめる人はきっと、
そんな“人生の達人”なのだろうと思います。
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