ジェンダーからみるカンボジア

カンボジア社会について、ジェンダー視点から色々な情報をお届けします。

LBGTに対する暴力撲滅のための政府の取り組み

2015年03月09日 | 2015 Commission of S

 

LGBTに対する暴力撲滅のためのセッションは、UN WOMENの非政府組織のトップの人が議長。

↓世界の4地域の代表、政府代表も数名

6時半からのセッションで、みんな疲れてるはずなのに、大勢立ち見もでたセッション。LGBTとなると、会場が華やかになって、いろんな髪型とおしゃれな人たちがあつまってきて、とってもいいかんじ。

世界では、5カ国で同性愛を理由に死刑が可能な法律が残ってるそう。Full Equityを達成するためには、LGBTへの差別をなくさないといけない!!っていうアルゼンチン政府国連代表部のマリアさんの発言は、なかなかパワフル。

アルバからは、教育・家族省の大臣が参加・・・すっごい化粧なので、MtFの人かと思ったんだけれど、そうではなかった・・・・過去28年で、閣僚では最大一人の女性が任命されただけで、現在も9人の閣僚の中で彼女だけが女性だそう。

フィリピンとオランダ政府の代表からは、色々取り組んできてるけれど、もっとやらないと・・・っていう発言。UNHCR は、LGBTの調査をいろいろやってるそう。ヘイトクライムは増えているけれど、統計的には取り組みが進んでいる。

 

欧州議会からの女性も、LBGT擁護のための取り組みについて紹介。

 

なんとも多様なパネルで、ハイレベル。

 

 

 

 


サイバーを使った女性に対する暴力に関する取り組み

2015年03月09日 | 2015 Commission of S

 

サイバー暴力に関するセッション。カナダ政府が主催で、なんと女性問題担当の大臣までがやってきて、挨拶して最後までセッションに参加。

↓左端が大臣、とってもかっこいい女性

 

ニュージーランドで、最年少でYWCAの共同代表をしている女性が、FACEBOOKを使って2名の男性が13歳の少女をレイプしている様子をアップしていたのだけれど、証拠不十分で訴追はなされなかった。問題は、警察が、被害者インタビューをした際に、何を着ていたかを執拗に聞いた事(スカートをはいていた)。

とても印象的だったのは、娘をサイバー犯罪で亡くしてしまったお父さんが、娘の死後に自分が一生懸命やってきたサイバー犯罪に対する取り組みを紹介してくれたこと。サイバーでのいやがらせや、そのより深刻な形態としての暴力の映像のアップについても、取り組みが遅れている。

カナダの教育委員会のトップの女性の発言では、子どもたちが健康的な人間関係を築き、他人を尊敬する事を学ぶ必要がある(肉体的な健康、っていうのを連呼していて、それはちょっと問題ではないかと思ったのだが・・・・英語ではまあいいのだろうか)。子供達は電話で話すことをやめていて、テキストを使ってるので、人間関係が希薄になりがち。また同時に、いじめやいやがらせは、LBGT が特に攻撃されやすい。

オーストラリアの国家計画では、2つの調査が3−5年で実施されている(女性に対する暴力の統計調査と、女性に対する暴力に関する認識・態度の調査)。17%の女性がストーキングの被害にあっているとか、サイバー犯罪に関する意識調査は珍しくて貴重な統計。

それにしても、パネルに6人もいて、順番にそれぞれ話ていくっていうのは、ちょっと退屈かも・・・仕方ないのかもしれないけれど、4人くらいにしぼってほしいなあ。ただ、とっても若い活動家、被害者のお父さん、教育委員会のトップ、マイクロソフトお職員、心理学者、リサーチャーと、包括的な取り組みが必要なサイバー犯罪を様々な視点から勉強させてもらうにはとてもよかった。法曹界からも発言者がいたらよかったかな。

↓一緒に写真とってもらっちゃいました〜

 

わたしも、LGBT調査をやってた時に、FACEBOOK上でかなりハードなポルノ映像が共有されているのを知ってびっくりショックを受けたんだけれど、カンボジアではまだほりっぱなしだよなあ・・・

 

 

 

 

 

 

 


CEDAW AND GBV-日本政府共済のCSWサイドイベント

2015年03月09日 | 2015 Commission of S

 

 

日本政府代表部が、CEDAWと女性に対する暴力のサイドイベントを開催。ちょうど、 CEDAW委員会の委員長に、林陽子先生が選出されたばかりで、なかなか盛り上がっている中でのイベントになったのである。

2001年のDV法、その後の改正や、ストーカー法などが日本のCSW参加代表から紹介。ホワイトリボンキャンペーンは、2012年に初めて開始されたそうで、日本って遅れてるのね・・・って初めて学んだのであった。カンボジアなんてもう15年だか20年くらいやってるぞ?

 

林先生のスピーチでは、ざくっと女性に対する暴力の法的保護の過程が、国際法の枠組みの中でどう発展してきたか紹介。1970年まで、女性に対する暴力は刑法の問題であり、人権問題とは理解されていなかった。フェミニズムのながれをうけて、女性に対する暴力が人権侵害であるという理解が進み、一般勧告12号19号が採択され、一番最近のものでは19号の更新として、フォーカルポイントにトルコ人専門家が任命され、新たな勧告が作成されることになった。選択議定書についても言及があって、CEDAWについてはICCPRなどと異なって、選択議定書の採択に20年もかかったことが紹介ー多くの加盟国が「文化」などを理由に洗濯議定書は不適切だと反対したため。「北京会議が選択議定書の母である」という発言もあって、さすが。70事案のうち16事案はすでに調査されたそう。

 

質問では、相変わらず、質問というより、アドボカシーだかロビーとしか思えないコメントが・・(それもインド人ではないんだけれど)。ひとつは、少女の強制結婚やFGMについての言及がないのはおかしい!っていうコメントや、CEDAW第5条のステレオタイプに関する説明がないのはおかしい!!とか、人身取引とイスタンブール条約の関連はどうなのか、日本のどういう文化的要素がジェンダー平等の妨げになっていると思うか(これはメキシコからの出席者の質問)、男性や少年たちの女性に対する暴力に関する理解についての変化はどうなのか、政策策定に関して統計を使いつつ女性に対する暴力をどう盛り込んでいくのが効果的か、・・・山ほど質問がでて、「議長!それは質問取りすぎだろう!?」って思わず言いたくなったのであった。

 

 

 

 


国際女性の地位向上委員会2015会合

2015年03月09日 | 2015 Commission of S

 

 今回ニューヨークに来ているのは、国連本部で開催される、Commision of the Status of Women (CSW) 2015に参加するため。これまで政府代表のスピーチを準備したりいろいろ関わってきたけれど、自分が参加したことはなかったのだ。ちょっと無理してでも参加してみたいと思ったのは昨年下旬なんだけれど、あっという間に3月!!

国連ビルでグランドパスを得るのにちょっと手間取ったけれど、無事発行してもらって、国連ビルで開催される2週間の国際女性会議に参加。

最初に参加したセッションは、WHO hotested session on 

Preventing and Responding to Violence against Women 

 

オーストラリアの女性に対する暴力担当大使のスピーチでは、豪政府が支援した調査がザクッと紹介された。Initmate Parter Violence (IPV) のプリバレンスー世界的には、30%、太平洋40%、キリバツでは68%。予防の重要性が強調されるとともに、いまどんな対応がされているのか、不足しているのは何なのかも分析するのが重要という内容。

↓Ms Mary Ellsberg さんの発表は、明確でわかりやすかった。

The Lancet Series of VAWGを紹介した人は、予防に関する調査の重要性と、どういう調査がなされているかについての調査について紹介。どういった予防政策が効果的化を分析して、27の活動(レスポンス)が効果的だと判断。調査の発見は、8割は先進国の情報に基づいてる、レスポンスなのか予防なのかの問題(Primary preventionについてはかなり少ない)、IPVに焦点があたってる。例えば、先進国で、暴力予防のために、シェルターとホットラインがどの程度効果的かの評価がない、保健分野で情報が不足、暴力削減に直結しているレスポンスの証拠がない、被害者のアドボカシーは効果的という評価あり、ホームビジットは効果的。

面白いのは、啓発活動が効果的という(あるいは成果を上げている)証拠はない、トレーニングは効果がない・・・・・この2つはなかなか面白い発見で、カンボジアにとってはちょっと困ったものかも。他方、効果的なのは、コミュニティーの動員、エンパワーメント、女性の収入向上。ただ、予防のための介入がどの程度cost effectiveness だかの評価がないそう。

 

保健分野では、世界的に3割の女性が暴力の被害にあっている情報に基づいて、その結果、一番悪いシナリオを死亡として、細かく分析した調査も発表。Fear, shame, stigmaなどで女性は被害を訴え出ることが困難だけれど、保健分野のオフィシャルはそういった女性のコンプレックスな精神的な状況を理解する必要がある。保健分野は何をすべきかっていう問いには、他分野にわたっているサービスが可能だとしていて、他のサービスへのリファレンスや、統計を集めたりすることが可能。WHOは昨年GBV被害者への保健従事者のサービスガイドラインを発表していて、その内容も紹介。女性中心のサービス、IPVであるかどうかの判断(確認)、被害者へのサービス提供、などなど・・・・いろんな可能性を持っているのが保健分野なのだ。

↓さすがの組織力、見事なプレゼン

 

女性に対する暴力を減らすために、男性と男子を参画させていくっていうアプローチについても発表があって、これまで男性が加害者とばかりみられていたところから、男性がパートナーとして見られるように移ってきて、ジェンダーの観点から暴力に関するIntersecting discrimination やglobal injustice などなど、最近の議論が紹介された。男性がジェンダー規範のなかで被害者となり加害者となっていくというような複雑性も紹介された。暴力とMasculinity の関係を分析する必要や、「男であること」にどういう意味があるのかー権力を持つとか支配するとか?ーそしてそれが男女にどう理解され普遍化されているか、疎外化されている男性と暴力は・・・などなど。

男性と男子に働きかけていくことをつうじてGBVを削減する戦略については、コミュニティーをどう動員して参画させていくかについての情報や分析が少ない点が課題であるとともに、キェンペーンの活用はもっと効果を分析して実施する必要がある。「男であること」にどういう意義があるかを協議していきながら、Masculinityを暴力を削減する方向に変えていく必要がある点。同時に、職場の男性支配やスポーツの男性に集中している点を変えていく必要があるなどなど・・男性に働きかける必要があるっていう戦略と議論は、もっともっと進めていきたいし、より多くの男性が専門家として活躍してほしいなあ。

さすが国連本部で世界中から8000人以上が登録して参加している会議で、これまで参加してきた国際会議の発表とは全くレベルの違う。

 

 

 

 

 


クメールルージュ時代の妊娠と出産についてのインタビュー

2015年03月09日 | 2015 Commission of S

 

急遽、現在63歳のエラに、クメールルージュ時代に妊娠していて出産した時のインタビューをすることに。カンボジアの政治の話とかしていたら、クメールルージュの話をどんどんしはじめて、「改めて調査させてもらってもいい?」ってきいたら、「もちろん!!」とのこと。エラは、最初の夫との間に生まれた息子、ヘーンを、1975年に出産しているのだ。

次に計画している調査は、クメールルージュ時代に妊娠して出産した女性のエンパワーメントの話をオーラルヒストリーの観点から記録するのが目的で、ニューヨークまでのフライトの間にだいたいの質問項目もつくっていたのだ(ただパソコンをニューヨークにおいてきちゃってた・・・・)。ちょうど、テストにもなるし、カナダに難民として行っている女性の記録を取るのも珍しいからいいかな、って思ったのだ。

↓カナダで人気のコーヒー屋さんでお買い物

遊びに行ったカナダだったので、パソコンだけでなくノートもなくって、量販店に行ってノートも買ったのである。12人分のインタビューがとれるようなノートで、ちょっと高いけれど2冊買って、合計24名を目的に、調査を進めようって決定。ちなみに、買い物したのが国際女性の日だったので、1割引にしてくれて、なんだか得した気分。エラが最初のインタビューになるなんて、なんとも嬉しいかな。

↓息子たちへのコーヒーも買ったら、こんな風になってた・・・

ただ、エラはカンボジア語にすさまじいなまりがあるのと、フランス語が大量にはいってくるので、これをクメール語に起こす作業をするのが大変そう・・・さらにとっても長いインタビュー。

↓結婚式の写真、お父さんは閣僚会議だったとかで、ちょっと参加しただけ

午後2時頃からはじめて、なんと、マラソンインタビューになってしまったのであった。エラは、話だしたら止まらない。

話しつづけたエラ、6時間、こっちがへとへと。内容もすさまじいし、訛りのある言葉をちゃんと聞き取らないといけないし、クメール語のテストしてるみたいなもんなのだ。

ちょうど、バスに乗る準備をしなきゃいけなくなってきたので、一旦中断して、また継続。

↓おなかもぺこぺこ・・・クメールスープを作ってくれる

今回の調査では、初恋の話とか、結婚式から妊娠・出産の話もきいて、夫との生活や不満とか、20人くらいの女性の人生を紛争前と紛争後もいれて包括的に記録することをつうじて、出産がどう女性にエンパワーメントになってるかを分析したいとおもってる。

ほんとうはクメールルージュの後についてもいろいろ聞きたかったんだけれど、難民キャンプからカナダに移民して、苦労して生活を立て直す・・・・でその中で再婚して・・・っていうところまでしか記録できず。クメールルージュ時代に殺害された夫のあとに、再婚してカナダで3人子どもを生むんだけれど、最後は弁護士を立てて離婚して、こどもの親権と家を勝ち取った彼女、そのあたりの話がきけなかったのである。

まあ、また来るかな。ニューヨークよりは、モントリオールのほうがだだっぴろくてジョギングにもよさそうで、物価も安いし、生活するのによさそうだなって、改めて思ったのである。