十日に柏崎商工会議所で開かれた、柏崎産業復興会議の会場には三十点あまりの写真パネルが展示されていた。NSTカメラマンの篠原さんが「面白い写真があるよ」と言うので見に行ったら、自分が写っているのだった。
七月十六日地震発生直後に、東本町三丁目の被害を取材に行った時のもので、写されていることをまったく意識していなかった。三井田保険部の小林克人さんと話をしているところが写っている。背後には、あの家屋倒壊のものすごい惨状がある。こうもり傘を片手に、うつろな眼をした被災者そのものであった。
あの日、比角踏切の手前で小林さんに会った時、あまりの惨状に激しく動揺してしまったことを思い出す。実は動揺のあまり、写真を撮ることを忘れてしまったのだった。だからタイムス社の写真の中に、あのあたりのものが欠落している。
ところで、被災者に間違えられたことが、仮設住宅入居申し込み開始時に、NHKニュースで流れた自分の映像の他に、もう一度ある。それは八月八日の天皇皇后両陛下の被災地ご訪問の時のことであった。報道として避難所に入り、両陛下が被災者を慰問される姿を追っていた時だ。
代表撮影しか許されていなかったので、柏崎日報の田中記者と一緒に、ステージ下に陣取った。両陛下は避難所生活者の全員にお言葉を掛けて廻られていたが、ほとんど聞き取ることはできない。
そのうち、皇后陛下が私どもの方に近付いてこられて、「あなたがたはどうなさいました」と言われるのであった。タオルを首に巻いた私と、田中記者が被災者に見えたのだと思う。私が即座に「報道です」と答えたら、皇后陛下はおだやかな笑いとともに、次のボランティアグループの方に向かわれたのだった。
しかし、よく考えるまでもなく、私も被災者の一人なのだった。
七月十六日地震発生直後に、東本町三丁目の被害を取材に行った時のもので、写されていることをまったく意識していなかった。三井田保険部の小林克人さんと話をしているところが写っている。背後には、あの家屋倒壊のものすごい惨状がある。こうもり傘を片手に、うつろな眼をした被災者そのものであった。
あの日、比角踏切の手前で小林さんに会った時、あまりの惨状に激しく動揺してしまったことを思い出す。実は動揺のあまり、写真を撮ることを忘れてしまったのだった。だからタイムス社の写真の中に、あのあたりのものが欠落している。
ところで、被災者に間違えられたことが、仮設住宅入居申し込み開始時に、NHKニュースで流れた自分の映像の他に、もう一度ある。それは八月八日の天皇皇后両陛下の被災地ご訪問の時のことであった。報道として避難所に入り、両陛下が被災者を慰問される姿を追っていた時だ。
代表撮影しか許されていなかったので、柏崎日報の田中記者と一緒に、ステージ下に陣取った。両陛下は避難所生活者の全員にお言葉を掛けて廻られていたが、ほとんど聞き取ることはできない。
そのうち、皇后陛下が私どもの方に近付いてこられて、「あなたがたはどうなさいました」と言われるのであった。タオルを首に巻いた私と、田中記者が被災者に見えたのだと思う。私が即座に「報道です」と答えたら、皇后陛下はおだやかな笑いとともに、次のボランティアグループの方に向かわれたのだった。
しかし、よく考えるまでもなく、私も被災者の一人なのだった。
(越後タイムス9月14日「週末点描」より)