玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Orikuchi Shinobu The Book of the Dead(2)

2017年03月28日 | ゴシック論

 断っておくが、多分この本についての紹介は、ジェフリーさんの序文までということになるだろう。折口の本文の翻訳まで踏み込んでいたら、いつまでかかるか分からないし、どだい私の英語力ではジェフリーさんの翻訳のあり方について批評を加える事などできるはずもないからである。
 であるから、それだけでも58頁もある序文を読んで、ジェフリーさんならではの卓見のいくつかについて紹介するというに止まることになる。折口の全集は31巻もあって、高校生時代学校の図書館に全巻揃っており、第1巻の「古代研究 国文学編」を借りてきて挑戦したが、高校生に理解出来ようはずもなく途中でギブアップしたことを思い出す。
 日本人でも折口の学問についていくことはむずかしいのに、アメリカ人のジェフリーさんが多くの文献を読んで、折口に対する理解を深めていることには驚かざるを得ない。
 まずは、『死者の書』が出版された時代背景について考えてみなければならない。『死者の書』は最初1939年に「日本評論」に連載され、その後大幅な改訂を経て1943年に青磁社から刊行されている。盧溝橋事件によって日中戦争が全面戦争へと発展、やがて太平洋戦争開戦へと至る、軍国主義が猖獗を極めた時代である。
 ジェフリーさんによれば、折口の政治思想は大きな誤解を受けてきたという。また折口は二・二六事件の青年将校たちの行動を擁護したというが(そんなことすら私は知らない)、ならば折口は日本の軍国主義化をよしとしたのであろうか。そうではないというのがジェフリーさんの考えである。
 ジェフリーさんは折口の日本の軍隊に対する支持は、純粋にイデオロギー的なものではなく、美学的なもの、あるいはより個人的なものであったように思われると書いている。特に二・二六事件の青年将校たちについては、三島由紀夫と同様に、彼等に対して同性愛的な魅力を感じていたのではないかという。引用したい。

His support of the young militarists, however, seems to be largely in praise of their idealism and the passion that they displayed in the poetry they wrote before their execution. Like Mishima Yukio,――中略――Orikuchi might well have felt some element of homoerotic attraction to the young idealists and their bold, uniformed actions.

 特に二・二六事件の青年将校たちの理想主義や大胆で統制のとれた行動を評価し、あるいは同性愛的に愛情を注いだのである。折口は公然たる同性愛者であったから、ジェフリーさんの主張については理解が出来る。ただし、それがどのような政治的意味を持つに至ったかについては、三島の場合も含めて別の問題である。
 ところで『死者の書』の第二の主人公は(第一の主人公は藤原南家郎女)、墓の下で甦りつつある男、滋賀津彦(しがつひこ)である。この名前は折口のフィクションであって、本当の名前は四章で語り部の姥が語るところによって明らかである。

 とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子様のおそば近く侍(はべ)る尊いおん方。ささなみの大津(おおつ)の宮に人となり、唐土(もろこし)の学芸(ざえ)に詣(いた)り深く、詩(からうた)も、この国ではじめて作られたは大友ノ皇子(みこ)か、それともこのお方か、と申し伝えられる御方(おんかた)。

 本当の名前は大津皇子、686年謀反の罪で捕らえられ、24歳で自害した悲劇の皇子、今も二上山・雄岳の頂上付近の墓に眠るその人なのである。なぜ折口は大津皇子の名を出さずに滋賀津彦としたのか。ジェフリーさんはその理由を、折口が当時の検閲を逃れるための作為であったと言っている。
 つまり、大津皇子は悲劇の皇子ではあれ、天皇制にとっては反逆者の一人である。当時の厳しい検閲の時代に、天皇に対する反逆者を主人公とする小説などもってのほかであった。折口が当時の軍国主義に対して、単に従順であったわけではないということを、ジェフリーさんは言いたいのである。
 またこの小説に出てくる藤原南家郎女の叔父、藤原仲麻呂もまた、天皇に対する反逆者の一人であった。764年、仲麻呂は孝謙上皇と彼女に取り入った僧道鏡に対して反旗を翻した藤原仲麻呂の乱で敗れ、憤死している。そのことが直接小説に出てくるわけではないが、ジェフリーさんは仲麻呂の登場人物としての採用について、次のように書いている。

The important point is that by bringing Nakamaro into the story, Orikuchi has obliquely alluded to another, even more significant tale of rebellion against imperial authority.

 折口はこの小説にもう一人の重要な人物、大伴家持も登場させて、仲麻呂との交友を描いているが、家持が抱いていた仲麻呂の保守的で強権的なリーダーとしての資質に対する懸念が、折口の当時隆盛となっていた保守的で、軍国主義的な天皇主義者へのそれと、パラレルであったのではないかとジェフリーさんは考えている。
 だから、『死者の書』は単に遙か昔の奈良の都の物語であるに止まらず、折口の時代の政治的背景を色濃く反映している作品であったのである。