玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

バルガス・ジョサ『水を得た魚』(4)

2016年06月10日 | ラテン・アメリカ文学

 ペルー大統領選決選投票の結果がようやく出た。開票率100%でクチンスキー候補がケイコ・フジモリ候補を約4万票リードということで、クチンスキー候補の勝利が確実となった。ところで、ペドロ・パブロ・クチンスキー氏はリョサの大統領選出馬時の「経済担当顧問の一人」ということで、『水を得た魚』にも登場する人物である。リョサもようやく安堵の胸をなで下ろしていることだろう。
 ところでリョサは、1990年の大統領選について『水を得た魚』の第18章「汚い戦争」で、ペルーにおける選挙のおぞましいあり方を暴露している。当時の大統領のアラン・ガルシア率いるアプラ(アメリカ革命人民同盟)による、リョサに対する誹謗中傷にはすさまじいものがあったようだ。
 リョサが印税をごまかして税金逃れをしているというデマもその一つ。本の印税は作家に対して、あらかじめ天引きされた金額が支払われるのだから、税金逃れなど不可能に近いというのに……。また「私は変態、ポルノマニアという扱いを受けた」ともリョサは書いている。その根拠とされたのは『継母礼賛』という官能的な小説であるが、決してそれは汚らしいポルノ小説などではない。
 また、反無神論キャンペーンにも強力なものがあった。多分リョサは無神論者であると私は思っているが、当時は選挙対策で"不可知論者"を自称していたという。それでもリョサは、とくにプロテスタント系の福音主義者からの猛烈な攻撃を受けた。
 ことは言論だけではなく、暴力行為にも及んだ。リョサによれば「ペルー史に刻まれた伝統的手法――石、拳銃、棍棒――に回帰したアプラは、刺客集団を差し向けてわれわれの集会に攻撃を仕掛け、参加者を蹴散らかそうとした」と書いている。
 そんな中で、アルベルト・フジモリという誰も知らなかった人物が台頭してくる。彼は最初の頃、ろくに政策論議も出来ないような人物であったらしい。リョサはフジモリと既成権力との関係について、次のように見ていた。

「選挙の最終段階で現れたフジモリは、アプラと左翼勢力にはまさに天の恵みであり、両者とも、政権運営能力などあるはずもない候補者に大統領職を任せる危険すら顧みることなく、全力で彼の支持にあたることは間違いなかった。」

 つまり、アルベルト・フジモリは、アラン・ガルシアの傀儡であったのであり、リョサを追い落とすためには願ってもない人物であったわけだ。
決選投票が加熱して、リョサの支持者達が「マリオはペルー人」「ペルーにはペルーの大統領を」という人種差別的な声を上げ始めた時、リョサは「白人だろうがインディオだろうが中国系だろうが黒人だろうが日系だろうが、ペルー人に変わりはない。私もペルー人なら、フジモリもペルー人だ」と言って、そうした発言を諫めたという。
 しかし、フジモリはリョサの発言に感謝するような人物ではなかった。彼は人種問題を選挙戦の戦術として使ったのである。ペルーでは富が集中する白人に対する怨嗟と逆差別が横行していて、フジモリはそれを利用して、白人に対して(リョサも白人とみなされていた)有色人種系の団結を呼び掛け、それに成功したのであった。
 選挙戦は政策論の闘いではなく、人種間の闘いに堕してしまう。フジモリはペルーの貧困層に支持されたというが、それは彼らが政策論を理解せず、フジモリの繰り出すポピュリズム的な戦術に乗ってしまったからだとリョサは分析している。
 政治におけるポピュリズムの影響力は、この頃から表面化していたのだ。フジモリは今日アメリカ共和党大統領候補に指名された、ドナルド・トランプのように、自分が既成の政治家ではないことを強調して大衆におもねり、人種ナショナリズム(方向は逆だが)を煽り立てて自身への支持を集める。デマゴークのポピュリズム戦略である。
 こうしてリョッサは決選投票に敗北し、ペルーの政治状況に対して絶望を深めていくことになる。