柏崎警察署の署長室で、公安委員会は開かれた。高橋さんの意見は「『チャタレイ夫人の恋人』は決して欲情を刺激するために書かれた本ではない。D・H・ロレンスの深い精神性に基づいて書かれたものだ」というもの。他の二人の委員も、この意見に賛成した。
田辺松厳は、戯魚堂・桑山太市朗と高橋さんに座禅を教える先生でもあった。瀬下亮三は、詩人・むながただんや(岡塚亮一)の弟でもあり、伊藤整が中退した東京商科大学(現一橋大学)出身であった。公安委員は三人とも、文学に対する理解と見識の持主だったのだ。
なによりも高橋源治さんは、十九歳の時に、『D・H・ロレンスの手紙』(昭和九年、紀伊国屋出版部刊)を読んで、ロレンスの思想に触れ、深い感銘を受けていたという。「僕の信じる偉大な宗教とは、理智よりも賢明なものとして、血を、肉を信じることだ。精神は我々を誤らせる。けれども、我々の血が感じ、血が信じ、血が説くものは、常に真理である」と説く、ロレンスの独特な肉体哲学を理解し、「ロレンスが猥褻文書を書くはずがない」と判断したのだった。
結局、柏崎の公安委員会は全国で唯一『チャタレイ夫人の恋人』を「猥褻文書ではない」として、書店からの押収に反対決議を行った。当時の柏崎警察署長は、県の検事正に対し、「柏崎の公安委員会の出した結論を尊重してくれ」と連絡した。困り果てた検察庁は、県警本部長を通して、「高橋さん、なんとかしてくれ」と拝み倒す作戦に出た。柏崎の公安委員会は十日間抵抗したが、結局書店に頼んでみることになった。
高橋さんは、わたじん書店と尚文館に対し、「形だけの取り調べで済ませるから、さしつかえない程度に本を出してくれ」と頼んだという。両書店は「文学作品を売るつもりでいるのに心外だ」としながらも、「そこまで頑張ってくれるのならなんとかしよう」ということで折り合いがついた。
結果、日本中で柏崎だけは警察が強制的に本を押収するという形でなく、話し合いで自主的に何冊かの本を差し出すという形がとられた。この経緯については、当時の東京都立大助教授・千葉正士が雑誌「都市問題」(昭和二十八年四月号)で紹介している。
「チャタレイ裁判」のその後の経緯はしかし、高橋さんの見識どおりには進まなかった。昭和二十七年東京地裁は作品を「猥褻文書」とせず、伊藤に無罪、小山に二十五万円の罰金刑の判決を下したが、控訴審で東京高裁は一審判決を破棄、猥褻文書と断定して、小山に二十五万円、伊藤に十万円の罰金刑を言い渡した。弁護側は最高裁に上告したが、昭和三十二年上告棄却で有罪が確定する。
高橋さんは、有罪判決に「なんとおろかな検察庁だ。最高裁には知性がとぼしい」と、軽蔑、侮蔑の思いを禁じ得なかったという。
以上、五十五年前の柏崎の事件を、当時の柏崎の文化レベルを例証するものとして紹介した。
田辺松厳は、戯魚堂・桑山太市朗と高橋さんに座禅を教える先生でもあった。瀬下亮三は、詩人・むながただんや(岡塚亮一)の弟でもあり、伊藤整が中退した東京商科大学(現一橋大学)出身であった。公安委員は三人とも、文学に対する理解と見識の持主だったのだ。
なによりも高橋源治さんは、十九歳の時に、『D・H・ロレンスの手紙』(昭和九年、紀伊国屋出版部刊)を読んで、ロレンスの思想に触れ、深い感銘を受けていたという。「僕の信じる偉大な宗教とは、理智よりも賢明なものとして、血を、肉を信じることだ。精神は我々を誤らせる。けれども、我々の血が感じ、血が信じ、血が説くものは、常に真理である」と説く、ロレンスの独特な肉体哲学を理解し、「ロレンスが猥褻文書を書くはずがない」と判断したのだった。
結局、柏崎の公安委員会は全国で唯一『チャタレイ夫人の恋人』を「猥褻文書ではない」として、書店からの押収に反対決議を行った。当時の柏崎警察署長は、県の検事正に対し、「柏崎の公安委員会の出した結論を尊重してくれ」と連絡した。困り果てた検察庁は、県警本部長を通して、「高橋さん、なんとかしてくれ」と拝み倒す作戦に出た。柏崎の公安委員会は十日間抵抗したが、結局書店に頼んでみることになった。
高橋さんは、わたじん書店と尚文館に対し、「形だけの取り調べで済ませるから、さしつかえない程度に本を出してくれ」と頼んだという。両書店は「文学作品を売るつもりでいるのに心外だ」としながらも、「そこまで頑張ってくれるのならなんとかしよう」ということで折り合いがついた。
結果、日本中で柏崎だけは警察が強制的に本を押収するという形でなく、話し合いで自主的に何冊かの本を差し出すという形がとられた。この経緯については、当時の東京都立大助教授・千葉正士が雑誌「都市問題」(昭和二十八年四月号)で紹介している。
「チャタレイ裁判」のその後の経緯はしかし、高橋さんの見識どおりには進まなかった。昭和二十七年東京地裁は作品を「猥褻文書」とせず、伊藤に無罪、小山に二十五万円の罰金刑の判決を下したが、控訴審で東京高裁は一審判決を破棄、猥褻文書と断定して、小山に二十五万円、伊藤に十万円の罰金刑を言い渡した。弁護側は最高裁に上告したが、昭和三十二年上告棄却で有罪が確定する。
高橋さんは、有罪判決に「なんとおろかな検察庁だ。最高裁には知性がとぼしい」と、軽蔑、侮蔑の思いを禁じ得なかったという。
以上、五十五年前の柏崎の事件を、当時の柏崎の文化レベルを例証するものとして紹介した。
(越後タイムス9月1日「タイムス抄」より)