ネパールにいる知人からヒマラヤ・マナスルを見に行こうとの誘いがあるのですが(2011.1.5)

2011-01-05 23:37:15 | Weblog

*中央の双耳峰がマナスル(知人の撮影2010.12)

 今年の元日の新聞に、地球環境についての記事がない、ほんの数年前まで、元日号には大きく“地球温暖化、自然環境”記事が踊っていたのですが、と昨日のブログに書きました。
 例えば、2008年の朝日は、ヒマラヤの写真を載せて、南極で越冬した中山由美記者が記事を書いていました。

*朝日新聞2008年元日号第4部、奥がマナスル、中央がアンナプルナ(武田剛記者撮影)

 今、ネパール・ポカラにいる知人から、メールと合わせて、トレッキング中の絵葉書が届きました。

*今日(1月5日)に届いた(12月23日発信)の絵ハガキ、マナスルを見に行こう。

 <あけまして おめでとうございます。新しい年にふさわしいかどうかわかりませんが、ヒマラヤの山です。
 機上からのマナスル山群マナスル(8163m)とピーク29、ヒマルチュリの3つからなる。この3山とも日本人により初登頂されている。1955年の今西利男のマナスル初登頂は、山を知らない人でも当時話題となったようだ。先日亡くなった梅棹忠夫さんは、この時に病気で登頂に加われなかったことがとても口惜しいと、日経から出た最近の本に書かれている。
 この山々はカトマンズからもポカラからも遠くて、アプローチが長い。しかしポカラ空港から遠く眺められる、また私が通っている日本語学校からも山頂が望まれる。残念なことに北側に位置するので光線の加減がいつも良くない。
 できるならば日本に帰る前に、2泊程度でマナスル展望のトレッキングをしたいと思っています (k)>

  そのとおりです。マナスルは8125m(世界7位)、日本人初の8000m登頂です。昭和31年(1956年5月9日)午後0時30分登頂です。
 その頃、少年だったものは皆、探検に憧れたのです。マナスル初登頂は、京都大学山岳部だったでしょうか。毎日新聞社が支援していました。同じ頃、南極探検隊、南極越冬という少年たちの憧れがありました。朝日新聞社の支援です。

*少年のころの憧れ。左:毎日グラフ(写真は槇有恒隊長)50円、右:マナスル登頂記、昭和31年8月20日発行、200円。

 <ポカラで待っています>と書いてくれているのです。
 マナスルを見に行くのもいいなあ・・・・と思ったのですが。

 これから、1月23日;“春日部市市民活動フォーラム”に深く関わっており、2月1日と15日;柏の国立がんセンターでの術後検診、3月20日には、私のいるスウィング・ジャズ・バンドのジョイント・コンサート、と月一に大きなイベントがあって、どうにも自由になれない。がんセンターの検診、たぶん問題なしの判断をもらってなら、10日ほど空きますが・・・知人の日程と合いそうにない。
 今年だめなら、永久にだめなわけですが。

  【おまけ】

*今年の元日号、各紙どれも書いているのは、“9.11 米国集中テロから10年目にあたる今年”に、その間のキリスト教とイスラム教、(・・・教徒、教国・・・)の相互不信、米国の威信の喪失の時代の到来とする記事です。

*正月の各紙に、今年のカレンダー(日程)があって、朝日は、今日1月5日付け6面に、“1月15日:国連ネパール支援団(UNMIN)撤退”との一行がありました。何度かこのブログにも書きましたが、ネパールは王制が倒れ、共和制に移行しました。その間、日本の自衛隊は国連平和維持軍(PKO)としてネパールに駐在していたのです。 正直に言って、自衛隊が、ネパールに行くのか、と思っていました。