エベレスト女子登山隊(1975)がキャンプで茶の湯(野点)を楽しむ古い写真(2011.1.8)

2011-01-08 16:33:05 | Weblog

*エベレスト日本女子登山隊のタンボジェ・キャンプでの野点。(もちろん版権は読売新聞社が所有です。35年前のことで、もういいでしょう)

 今、ネパール・ポカラにいて、“アンナプルナを見に行こう”と誘ってくれる知人に、“今年は行けない”とリプライしました。
 ほぼ毎日、ヒマラヤの写真のついたメールをもらっていたのですが。行きたいな、行けないかなあ、と思案していて。全然リプライできなかったのです。
 先ほど、行けないとメールを打ちました。

 私らの時代、仕事しながら、会社に行きながら、ヒマラヤに行くなんてできなかった。そんな二者択一できた人もラッキーな人でした。仕事をやめ、多少の自由と、多少の小銭があっても、その時には身体がボロボロです。
 今思えば、多少の無理をしても、若い時こそ、やりたいことをやっておくべきでした。

 日本女子エベレスト登山隊が、エベレストに女性初登頂したのは、1975年のことです。田部井淳子さんが5月16日12時30分に山頂に立ちました。田部井さん36歳です。
 日本のヒマラヤ遠征は、毎日新聞が支援してきたのですが、たぶん、ここから後は、エベレストは読売新聞が支援してきました。

 だから、遠征の様子は、ひんぱんに読売新聞に載っていました。そんな中、キャンプ中の女子隊員が揃って、茶の湯(野点)を楽しんでいる写真が載りました。その写真のオリジナル・ネガからプリントしてもらっていたのです。

 急に思いついて探し出しました。4000mのタンボチェでの写真です。
 その頃、登山隊はここで、高知順応させるためしばらく留まり、荷物を整え、登っていくのです。この時は、3月27日から4月12日までタンボチェにいたと記録されています。いつの読売新聞に載ったのか、メモしていません。 その時、読売新聞は、北村節子記者が隊員として同行しています。

 その頃の日本女性らしい風景です。その辺のことを知りたいな、とネットをみていたら、北村節子記者の書いた本があることを知りました。すぐに古本をアマゾンに頼みました。

*2008年5月10日のエベレスト初登頂者ヒラリー卿の追悼の集いでの田部井淳子さん。

 2001年、私は、タンボチェまでのつもりで、エベレストを見に行きました。もうちょっと上まで、ベースキャンプまで行く予定にしておけばよかったな、と悔し涙で引き返してきたのです。

  【おまけ】

*ネパールは、1月1日はお正月でもなんでもありません。暦が違います。確か11月ごろが新年です。それでも、ネパール・ポカラの本屋のオヤジから、ハッピー・ニュー・イヤーのメールが届きました。お雑煮は食べないでしょうが、1月1日には、何かあるのでしょうか。

*近所のスーパー・ヤオコーの“七草”売り場、ワタシは、この裏側にあるもっと安いのを買いました。
*写真を撮ろうというと、家人がまな板上に並べてくれました。どうしても七草にならず、八草になるのです。

*冬になるとネパールにいく知人も、日本を離れて2か月ぐらいになります。恋しいかどうか、日本の風景を貼り付けます。昨日は1月7日、七草粥でした。ウチも食べました。

  【おまけ-2;1月8日午後10時発信】

*今日の朝日新聞2010.1.8夕刊5面

*驚きました。今日午後、このエべレスト女子登山隊のブログをアップして、そのまま外出。その夜、朝日新聞の夕刊(1月8日付)を見て驚きました。エべレスト女子登山隊の話が5面のほぼ全面(旧来の呼び方では全8段)の記事でした。世界史探訪という連載物です。話の内容は全然違いますが、まるで示し合わせたような、偶然です。

*登頂は、5月16日正午です。そのニュースが日本の新聞に載るのは、翌17日の夕刊です。むろん登頂の写真は載っていません。現在では、エベレスト山頂からでもリアルタイムで写真が届きますが、当時は、各社速報を競っていましたが、こんな状態でした。


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