*エベレスト日本女子登山隊のタンボジェ・キャンプでの野点。(もちろん版権は読売新聞社が所有です。35年前のことで、もういいでしょう)
今、ネパール・ポカラにいて、“アンナプルナを見に行こう”と誘ってくれる知人に、“今年は行けない”とリプライしました。
ほぼ毎日、ヒマラヤの写真のついたメールをもらっていたのですが。行きたいな、行けないかなあ、と思案していて。全然リプライできなかったのです。
先ほど、行けないとメールを打ちました。
私らの時代、仕事しながら、会社に行きながら、ヒマラヤに行くなんてできなかった。そんな二者択一できた人もラッキーな人でした。仕事をやめ、多少の自由と、多少の小銭があっても、その時には身体がボロボロです。
今思えば、多少の無理をしても、若い時こそ、やりたいことをやっておくべきでした。
日本女子エベレスト登山隊が、エベレストに女性初登頂したのは、1975年のことです。田部井淳子さんが5月16日12時30分に山頂に立ちました。田部井さん36歳です。
日本のヒマラヤ遠征は、毎日新聞が支援してきたのですが、たぶん、ここから後は、エベレストは読売新聞が支援してきました。
だから、遠征の様子は、ひんぱんに読売新聞に載っていました。そんな中、キャンプ中の女子隊員が揃って、茶の湯(野点)を楽しんでいる写真が載りました。その写真のオリジナル・ネガからプリントしてもらっていたのです。
急に思いついて探し出しました。4000mのタンボチェでの写真です。
その頃、登山隊はここで、高知順応させるためしばらく留まり、荷物を整え、登っていくのです。この時は、3月27日から4月12日までタンボチェにいたと記録されています。いつの読売新聞に載ったのか、メモしていません。 その時、読売新聞は、北村節子記者が隊員として同行しています。
その頃の日本女性らしい風景です。その辺のことを知りたいな、とネットをみていたら、北村節子記者の書いた本があることを知りました。すぐに古本をアマゾンに頼みました。
*2008年5月10日のエベレスト初登頂者ヒラリー卿の追悼の集いでの田部井淳子さん。
2001年、私は、タンボチェまでのつもりで、エベレストを見に行きました。もうちょっと上まで、ベースキャンプまで行く予定にしておけばよかったな、と悔し涙で引き返してきたのです。
【おまけ】
*ネパールは、1月1日はお正月でもなんでもありません。暦が違います。確か11月ごろが新年です。それでも、ネパール・ポカラの本屋のオヤジから、ハッピー・ニュー・イヤーのメールが届きました。お雑煮は食べないでしょうが、1月1日には、何かあるのでしょうか。
*近所のスーパー・ヤオコーの“七草”売り場、ワタシは、この裏側にあるもっと安いのを買いました。
*写真を撮ろうというと、家人がまな板上に並べてくれました。どうしても七草にならず、八草になるのです。
*冬になるとネパールにいく知人も、日本を離れて2か月ぐらいになります。恋しいかどうか、日本の風景を貼り付けます。昨日は1月7日、七草粥でした。ウチも食べました。
【おまけ-2;1月8日午後10時発信】
*驚きました。今日午後、このエべレスト女子登山隊のブログをアップして、そのまま外出。その夜、朝日新聞の夕刊(1月8日付)を見て驚きました。エべレスト女子登山隊の話が5面のほぼ全面(旧来の呼び方では全8段)の記事でした。世界史探訪という連載物です。話の内容は全然違いますが、まるで示し合わせたような、偶然です。
*登頂は、5月16日正午です。そのニュースが日本の新聞に載るのは、翌17日の夕刊です。むろん登頂の写真は載っていません。現在では、エベレスト山頂からでもリアルタイムで写真が届きますが、当時は、各社速報を競っていましたが、こんな状態でした。