今朝10月10日の朝日新聞朝刊に、埋もれる程の小さい記事ですが、私には見過ごせない記事が2つありました。
① 9面;10月8日、ネパール・ルクラで、民間機着陸に失敗18人死亡の記事。
ネパール側からエベレストを見にいく、あるいは登るためのエベレスト街道の玄関口です。ほぼ必ず、首都カトマンズから飛行機(プロペラ機)でルクラに入り、そこから歩きます。
山あいの飛行場で充分な滑走路がとれない。だから滑走路は斜面になっていて、着陸時は斜面を登りながら着陸し、離陸時は、逆に下りながらスピードをあげ、谷に落ちながら浮上します。
着陸に失敗したそうです。10月、雨季が明け、登山・トレッキングシーズンが始まりました。乗客は、オーストラリア人、ドイツ人で、日本人はいなかった。飛行機の数も少ないだろうから、この後の運行に支障があるでしょう
②17面;ヒマラヤ(クーラカンリ7538m)登山中に遭難死した3人が、現地で荼毘(だび)にふされ、9日遺骨が帰国した。
遭難は、10月2日付の新聞で知りました。雪崩の発生のようです。遭難死は3人で、その内のひとり、中村進さん(62歳)は、日本テレビが、1988年5月5日、エベレスト(チョモランマ)頂上からテレビ中継したときに、カメラを回した人(カメラマン)です。
その頃は、読売新聞社がエベレストに懸命の時期で、読売新聞にいた知人がベースキャンプに1ヶ月以上いたりして、私を羨ましがらせました。
そのとき、日本テレビは、パラボラアンテナ担ぎ上げ、インテルサット衛星中継しました。推進したプロデューサー岩下莞爾さんとカメラマン中村進さんの、中継・成功にいたる熱意の経緯は、岩下さんの著書“テレビがチョモランマに登った”で知ることができます。
*上記の本にある、中村進さんが描いた<チョモランマ・北東稜・南東稜登山ルート概略図。
それと私の気分を書き出すと<また、長いブログ>になってしまいます。
その後の20年間、ヒマラヤに登り続けたことに、持続する志に、感動するのです。
ここでは短く、合掌です。
【おまけ】
*テレビ中継の機材を作ったメーカー日本電気(NEC)の全面広告。もちろん読売新聞です。1988年5月13日付け20面。20年たって変色はひどい。こんなものを保存しているのに、その日午後4時ごろだったと思うけど、テレビは見たのですが、ビデオ録画していません。
<どなたか、持っていませんかーーーー>
* 世界の景気と一緒です。私のエベレストに対する感情は、何度かのピークがあります。このテレビ中継は、私のエベレスト感情の最後のピークだったです。
ただ、そのときから、エベレスト登頂=冒険という図式がなくなってしまいました。
エベレスト登頂自体が報道されることもなくなりました。
*1988年には、私もまた行けるところまで行きたいとの感情がありました、と20年前のことだったのかと、しみじみ思います。
* エベレスト(中国名;チョモランマ)のこと,何度もブログも書いています。
<こことか>、<ここにもあります>
ありがとうございます。
ぜひ、見たいと思います。ダビングして下さい。
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(f)
覚えていてくださって ありがとうございます。
おじも喜んでいると思います。
しばらく、ブログを書いていないので、お返事が遅くなりました。そうですか、姪御(めいご)さん、でしたか。もちろん、ワタシ、中村さんと面識があるわけではありません。でも、エベレスト遠征隊の動静は、いつも注目していました。読売新聞の遠征隊員に知人がいる縁もありました。エベレスト山頂で、ビデオカメラを回して、ライブで全世界に流した、初めての人です(f)