「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

プロローグ(3)

2005年11月18日 21時54分58秒 | 「境界に生きた心子」

 その心子がときに豹変する。
 一緒に映画を観終わって僕の部屋へ来るとき、心子は少し体の具合が悪くなった。地下鉄の駅を降りて僕は気遣った。
「タクシー乗る?」
 その途端、心子はキレた。
 僕を押しのけ、さっさと自分でタクシーを拾った。邪険にもむくれて一言も口をきかず、料金も自ら支払った。
 心子にとっては、乗るかどうか聞く前にタクシーを拾うのが当然だったのだ。

 心子が求めるのは、痛みを百%理解され、全てを抱擁される理想的な愛情である。
 わずかでもそれが飽き足りないと、その悲しみが怒りと化して荒れ狂い、自他を傷つける。
 心子自身、その感情を抑えることができなくなってしまうのだ。

 幼いとかわがままという単純なレベルのものではないということは、僕も次第に分かっていくことである。
 心子の生を彩る心の深層の不可思議さを、目の当たりにさせられていくのだった。

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心子の月命日

2005年11月18日 00時07分20秒 | 心子、もろもろ

 今日17日は心子の月命日でした。
 毎月恒例のお墓参り、墓前の心子に会ってきました。
 「境界に生きた心子」のブログを始めて、早速読者の人たちが付いてくれたことも伝えてきました。
 心子と話すのが月々の楽しみになっています。

 今の墓地はこじんまりした霊園ですが、元は別のお寺で祖父の代からのお墓に、お父さんと一緒に眠っていました。
 でも心子の家は分家だということで、お墓に入った翌年、今の場所に新しい墓石を建てたのでした。
 僕の家からは少し遠くなりましたが、とてもきれいな所で彼女も居心地がいいだろうと思います。

 心子のお母さんは墓参りに行くたび、僕の供えた花があるのを見て、
「マー君が来てくれているんだな」
 と思ってくれるそうです。

 ところが今日は、毎回花を買う駅前の花屋さんがなくってしまっていました。
 先月一杯で閉店してしまったそうです。
 いつも気持ちのいい笑顔で接してくれた花屋さんでした。
 僕のことをたまに来る客とは思っていても、毎月17日またはその前後に来る客と認識してくれていなかったかもしれませんが、本当に残念なことです。
 心子のことや拙著のことを話そうかなと、ふと思ったりしたこともありましたが、そんなこともできずじまいでした。

 今日は隣のスーパーでシクラメンの鉢を買って、心子に供えてきました。

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