我々は誰しも皆、愛し、求め、苦しみ、人を傷つけながら生きていく。
心子はこの上もなくラジカルな姿で、その舞台を踏んでいった。
心子の生きざまは万人のものだ。
心子の問題は我々自身のものだ。
心子は我々を代表してその重みを担っていったのだろうか?
それらを抱えて、心子は力の限り生き抜いたのだ。
人は世に生きて、様々な実績や家族などを残していく。
それは次の世代へと受け継がれていく。
それが人の生きた足跡であり、この世に蒔いていく種だ。
だが人生の値打ちはそれだけだろうか?
心子は何を残したのだろう?
優れた能力も兼ね備えながら、なるほど形あるものは残せなかったかもしれない。
しかし心子は、他の何物にも変えられない想い出を残していってくれた。
心子と僕、二人の恋人としての交流は、わずか一年余りの年月だった。
しかしその間に、一生かかっても得られないくらいの劇的な経験を、心子は僕に贈ってくれた。
僕が忘れかけていた清廉で無心なものも思い出させてくれた。
業績やDNAは残らなくても、心子の魂は果てなく生き続けていく。
人の心に残る生き方こそが、何よりもかけがえのないものなのだ。
(続く)
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