「境界に生きた心子」ができ上がったとき、心子のお母さんに拙著を僕からお送りしました。
お母さんは一気に読んでしまわれたそうです。
そして、とても嬉しかったと言ってくださいました。
普通には理解されにくい心子の心の中の気持ちを、きちんと書いてくれたからと。
拙著を読まれた日は、目の前にずっと彼女がいるようで、お母さんは一晩中眠れなかったとおっしゃっていました。
そして今も拙著を常に傍らに置かれ、何度も読み返してくださっているそうです。
本当にこの上なく嬉しいことで、冥利に尽きます。
実は「境界に生きた心子」を書くに当たって、最初はお母さんには内緒で、ペンネームで出すつもりでいました。
お母さんは、心子が精神科に通院していたことや自死で亡くなったことを周囲にも話しておらず、心子のことを本にするのは承諾しがたいのではないかと思ったからです。
そして、お母さんは心子と似たところがあり、一度拒否するとまともに話が成り立たなくなってしまうので、“誠実な説得”も通じないと思ったのです。
万が一、何らかのルートで本がお母さんの目に入ったとしたら、その時はいかなる非難をも甘んじて受け、全ての責任を引き受ける悲壮な覚悟でいました。
(続く)
お母さんは一気に読んでしまわれたそうです。
そして、とても嬉しかったと言ってくださいました。
普通には理解されにくい心子の心の中の気持ちを、きちんと書いてくれたからと。
拙著を読まれた日は、目の前にずっと彼女がいるようで、お母さんは一晩中眠れなかったとおっしゃっていました。
そして今も拙著を常に傍らに置かれ、何度も読み返してくださっているそうです。
本当にこの上なく嬉しいことで、冥利に尽きます。
実は「境界に生きた心子」を書くに当たって、最初はお母さんには内緒で、ペンネームで出すつもりでいました。
お母さんは、心子が精神科に通院していたことや自死で亡くなったことを周囲にも話しておらず、心子のことを本にするのは承諾しがたいのではないかと思ったからです。
そして、お母さんは心子と似たところがあり、一度拒否するとまともに話が成り立たなくなってしまうので、“誠実な説得”も通じないと思ったのです。
万が一、何らかのルートで本がお母さんの目に入ったとしたら、その時はいかなる非難をも甘んじて受け、全ての責任を引き受ける悲壮な覚悟でいました。
(続く)