「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「境界に生きた心子」と心子のお母さん(1)

2005年11月13日 21時02分08秒 | 心子、もろもろ
 「境界に生きた心子」ができ上がったとき、心子のお母さんに拙著を僕からお送りしました。
 お母さんは一気に読んでしまわれたそうです。
 そして、とても嬉しかったと言ってくださいました。
 普通には理解されにくい心子の心の中の気持ちを、きちんと書いてくれたからと。

 拙著を読まれた日は、目の前にずっと彼女がいるようで、お母さんは一晩中眠れなかったとおっしゃっていました。
 そして今も拙著を常に傍らに置かれ、何度も読み返してくださっているそうです。
 本当にこの上なく嬉しいことで、冥利に尽きます。


 実は「境界に生きた心子」を書くに当たって、最初はお母さんには内緒で、ペンネームで出すつもりでいました。
 お母さんは、心子が精神科に通院していたことや自死で亡くなったことを周囲にも話しておらず、心子のことを本にするのは承諾しがたいのではないかと思ったからです。

 そして、お母さんは心子と似たところがあり、一度拒否するとまともに話が成り立たなくなってしまうので、“誠実な説得”も通じないと思ったのです。
 万が一、何らかのルートで本がお母さんの目に入ったとしたら、その時はいかなる非難をも甘んじて受け、全ての責任を引き受ける悲壮な覚悟でいました。

(続く)

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まえがき(2)

2005年11月13日 16時58分55秒 | 「境界に生きた心子」

 拙著は心子と僕の交じらいを、事実のままに書き記した物語である。
 心子が「境界性人格障害(境界例/ボーダー)」という心の障害を持っていることが分かったのは、彼女との深交が始まってしばらく経ってからのことだった。
 感情のアップダウンが凄まじく、微々たることでキレたりうつ状態になったり、自分をコントロールできなくなってしまうのだ。

 「境界性人格障害」という言葉を知っている人は僕の周りでもまだ多くはなく、多重人格や躁鬱病と混同されたりもする。
 しかし境界例の人は現在増えており、苦しみ悩んでいる人は多い。
 彼らはときに人間関係をかき乱し、傍目には身勝手だと疎まれたりしてしまう。
 だが、あふれ出す激情の奔流に呑み込まれ、彼らは逆らう力もなく窒息している。
 幼少期の不運な環境によって、人格の要が発達できなかったのだ。
 それを推して知るところから、彼らと歩む第一歩が始まると思う。

(続く)

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「境界に生きた心子」を読んでくれた女医さんのお話(6)

2005年11月13日 09時40分01秒 | 「境界に生きた心子」

 先生が「境界に生きた心子」について書いてくださったメールを、引き続き引用させていただきます。

「とても文章が推敲してあって、『当事者の人たちに寄り添おう』という気持ちがすごくよく伝わってきます。

 ただボーダーの人は、それぞれの生育歴の中で独特の『地雷』をゲットしています。
 その地雷にあたる言葉や出来事を見たときには、何らかの反応が出るでしょう。
 でもそれは稲本さんが責任をとれる範疇の問題ではなく、彼ら自身の問題です。

 逆にこれだけ推敲された本ならば、
『僕は僕のあらん限りの力で誠意を込めて文章を書いた』
とキッパリ言い切られることの方が、彼らのためにもなると思います。」

(続く)

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