「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

ボーダーの方の感じ方

2005年11月20日 20時08分57秒 | 「境界に生きた心子」
 拙著「境界に生きた心子」はあくまで、ボーダーであった心子の恋人として、彼女の傍らにいる立場から描いたものです。

 拙著を読まれて手紙やメールをくださったり、ブログに書き込んでくれている方々の中には、ボーダーの人のご家族やなど、「境界に生きた心子」を読んで助けられた,癒されたと言ってくださる人たちが多くいらっしゃいます。

 苦しい思いをしているのは自分たちだけではなかったということが分かり、救われたとも言ってくださいました。

 それに対してボーダーの方ご本人や、そういう傾向のある方(または心に傷を持っておられる方)が拙著を読まれた場合には、人によって感じ方が顕著に異なるようです。

 自分と同じなので、とても共感,感動して涙が止まらなかったという方も多く、自分の言動の意味や相手の気持ちも理解できた、という方もいらっしゃいます。

 一方、自分とダブってしまい読むのが辛かったという方や、非常に傷ついたり不快に感じたりする方もおられます。
 フラッシュバックなどを起こして、混乱したという方もいました。

 そういう両極に分かれるのがボーダーの方の特質なのかもしれません。
 ボーダーの方が拙著を読まれる際、どちらに感じられるか分からないので、どうか予めくれぐれもご了承いただきたいと思っている次第です。

 以上は当ブログのカテゴリー「境界に生きた心子」の中の、『「境界に生きた心子」(新風舎・刊)の紹介』(11月8日)の記事でも触れましたが、ボーダーの方の心の健康を守らなければなりません。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 それから、ボーダー以外の人間にはボーダーの苦しみは分からないという人もいました。
 もちろんその通りで、拙著では、一番苦しんでいるのはご本人であり、その本当の苦しみは僕には分からないという立場で書いています。

 ただボーダーの人の横にいる人間にとっても苦しみは大きく、捨ておくことができないというのが、このテーマの重要な問題です。


エピローグ(1)

2005年11月20日 09時42分59秒 | 「境界に生きた心子」

 我々は誰しも皆、愛し、求め、苦しみ、人を傷つけながら生きていく。
 心子はこの上もなくラジカルな姿で、その舞台を踏んでいった。
 心子の生きざまは万人のものだ。
 心子の問題は我々自身のものだ。
 心子は我々を代表してその重みを担っていったのだろうか? 
 それらを抱えて、心子は力の限り生き抜いたのだ。

 人は世に生きて、様々な実績や家族などを残していく。
 それは次の世代へと受け継がれていく。
 それが人の生きた足跡であり、この世に蒔いていく種だ。
 だが人生の値打ちはそれだけだろうか? 
 心子は何を残したのだろう? 
 優れた能力も兼ね備えながら、なるほど形あるものは残せなかったかもしれない。
 しかし心子は、他の何物にも変えられない想い出を残していってくれた。

 心子と僕、二人の恋人としての交流は、わずか一年余りの年月だった。
 しかしその間に、一生かかっても得られないくらいの劇的な経験を、心子は僕に贈ってくれた。
 僕が忘れかけていた清廉で無心なものも思い出させてくれた。
 業績やDNAは残らなくても、心子の魂は果てなく生き続けていく。
 人の心に残る生き方こそが、何よりもかけがえのないものなのだ。

(続く)