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大阪の地名と成り立ち ⑨ -十三(じゅうそう)-

2010年01月22日 16時02分30秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

どこの地方でも、その土地独特の呼び名の地名があるものです。
大阪も例外ではなく、大阪以外の人には読めない地名や駅名があります。
「十三(じゅうそう)」もその一つなのではないでしょうか?

「放出」、「喜連瓜破」、「私市」、「柴島」、「弥刀」、「土師ノ里」、「上牧」などがそうですが、どれだけ読めますか?  (正解は、最後に記載しています)

「十三」の地名の由来は、条理制説、渡し説、堤説、十三塚説、重蔵説があります。
条理制説は、古代の条理制では土地を細かく方形に区切られ、条と里の単位で配列されていました。 ○○郡○○条○○里○○坪と表記され、十三は、西成郡の十三条にあたっていたからと考えられていました。
しかし、今の十三の地域は淀川の河口であり、当時は湿地帯で田んぼを整備するような所ではないと思われます。
川の堤防が出来たのが明治29年以降だそうで、それまで川が氾濫すればなすままになっていたと考えられ、古代に整備されていたとは到底考えられないのではないでしょうか?

渡し説は、淀川の上流から数えて「十三番目」の渡しがあったから。
堤説は、十三とは淀川の堤防のことで、もとは十三(つつみ)と呼ばれていたから。
十三塚説は、戦国時代の武将を供養する「十三塚」が建立してあったから。
重蔵説は、淀川の対岸に重蔵(=十三)という名の長者が、船をつないだ場所だから。
どの説が有力か、決定的なものはありません。

   
  阪急電鉄 十三駅 左から 神戸線 宝塚線 京都線のそれぞれの駅表示

十三と言えば、戦前は、淀川の北岸沿いに武田薬品を中心として大小の工場が集まっていました。
戦後は、阪急電鉄の駅があり、特に駅の南西部には飲酒店、パチンコ店などの歓楽街を形成しています。
「十三駅」
は、阪急電鉄の重要な駅で、京都本線、宝塚本線、神戸本線の3線が梅田を出ると、十三駅でそれぞれに分かれている分岐点です。

冒頭の読みは、下記の通りです。
「はなてん」「きれうりわり」「きさいち」「くにじま」「みと」「はじのさと」「かんまき」
 



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