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阪急電鉄 3月10日に開業100周年・・・

2010年02月21日 09時29分14秒 | 鉄道のよもやま話

今年の3月10日に、阪急電鉄は、開業100年周年を迎えます。
阪急電鉄は、阪急阪神ホールディングの子会社で阪急阪神東宝グループに属します。
以外なのは、登記上の本社所在地は、大阪府池田市栄町にあり、現在の阪急電鉄の池田駅となっています。
阪急電鉄の歴史は、社名の変更が多く、それが阪急電鉄の歴史にになっています。

  
  100周年記念ロゴ と 宝塚線に記念電車ミュージアム号が・・・ 

1907年(明治40年)に箕面有馬電気軌道として設立され、1910年(明治43年)3月10日に、梅田、宝塚間と石橋、箕面間が開業したのが始まりです。

続いて1918年(大正7年)に阪神間の輸送に参入し、社名を阪神急行電鉄に改称されました。
これが、現在も「阪急」と呼ばれることになります。

戦時中の1943年(昭和18年)に京阪電気鉄道を合併し、社名も京阪神急行電鉄となりました。
が、戦後の1949年(昭和24年)に京阪線や石山坂本線が、京阪電気鉄道として再分離します。

かっての新京阪は、阪急に残存し、京都本線、千里山線、嵐山線となり、略称も「京阪神」から「阪急」に戻りました。
1959年(昭和34年)に、梅田ー十三間が3複線化され、京都本線のターミナルが天神橋駅(現在の天神橋6丁目駅)から梅田駅になりました。

1973年(昭和48年)に阪急電鉄株式会社に社名を変更。
その後、茶屋町地区の再開発事業の失敗し巨額の損失をだし、それに追い打ちをかけるように、阪神・淡路大震災、宝塚フアミリーランドの閉園、神戸ポートピアから事業撤退など、阪急の最大ピンチ時代が続きます。

そこには、長引く消費不況やJR西日本との激しい競合、少子化などの影響で輸送人員は減少しました。

          
        ミュージアム号の車内広告 すべて100年の歴史を綴っています。

それを打開する一環として、旧阪急電鉄から鉄道、不動産、レジヤー、流通の4事業を分割承継する新・阪急電鉄とホテル経営を統括する阪急マネジメント、旅行業の阪急交通社の直営事業会社2社の合わせて3社に再編し、旧阪急電鉄は持株会社阪急ホールディングス(現在の阪急阪神ホールディング)に移行しました。

少しややこしいですが、要は、阪急電鉄の事業を分割することによって、それぞれの経営自立を計ったようです。
どちらにしても沿線の人口減少、新規事業の欠如など、をどのように解消してゆくのか、これからの動向が注目されます。

ちなみに、合併し、同じホールディングの阪神電鉄は、なんば線の開通で輸送客が増えています。

これから、どこの鉄道も、新しい事業や沿線の活性化を図っていかなくてはならないようです。