政府は失点続きでも開き直っています。そこで、ないはずの文書が出てくる問題を整理してみましょう。
少し前の佐川元理財局長の証人喚問で、丸川議員が「総理夫人の関与はなかったですよね」という立場がよくわかる質問をしました。「ありましたか」ではなく、「(まさか)なかったですよね」というダメ押しの質問(といえるのか)。答えは「はい、ございません」に決まってます。陸自の日報、官邸の面会記録など探してもありません、という答えの文書が数多くあります。この時の「探せ」という指示は、おそらく以下のようなものだと思います。
「イラク派遣部隊の日報は(まさか)ないでしょうね。(しっかり探さないで、もしでてきたら隠すのですよ)」と言外に言われて、自衛隊員は「目にした限りでは、(不都合な)日報はありませんでした。」と答え、しぶしぶなのか、どこかから日報がみつかれば、命令に従わなかった制服組が悪い。シビリアンコントロールがなっていないと、トンチンカンな批判を受けます。違います。シビリアンコントロールはできているのです。時の政権に服従し、不都合な情報は出さないという形でシビリアンコントロールは十分に機能しているのです。ただし、ここで憂えるべきは、制服組の高官は最前線の部下たちが戦場ではないと言われて派遣されるのを見殺しにすることを明らかにしたことです。なぜ本当の活動の様子を国民に開示して隊員の命を救おうとしないのでしょうか。こんな自衛隊には今後志望者が激減すると思います。明らかな戦場に隊員を送ってはなりません。
政権にとって不利な文書を、「探しなさい(真剣にさがすな。あったら廃棄しろ)」という命令では、役人は捨てばちになります。でてくればきたで、末端の役人の行政文書のつじつまあわせが原因だと罪を問われる。そして、いつまでたっても上の者は責任をとらない。これは、親分の気持ちを忖度して動くヤクザの組織の在り方です。官僚の質が低下したのではなく、政治家がヤクザになったのです。間違えてはなりません。たしかヤクザを取り締まるために、親分が直接命令してなくても子分がやったことでオヤブンの刑事責任を問える法があるはずです。