民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

ハロウィン

2013-11-01 13:57:00 | 民俗学

一昨日はバスツアーで日光まで行ってきました。このことは後日書くとして、昨日のハロウィンです。近年はマスコミでとりあげ、街中で仮装する姿が写真にとられたりして、かなり一般化してきました。これってどういうことなのだと、腹も立ちますがこれが日本人なのかと思ったりもします。わけもわからず、単に仮装して歩いたりお菓子をねだりもらうことを面白がる。その宗教的意味など知らなくても、恥ずるところがない。そんなものはイベントの1つで、経済効果もあれば悪く言う必要はないと、確かにそうです。しかし、お月見泥棒も知らず、太子講も知らず、かぼちゃ団子は食べないような人々が、ハロウィンだとかいってアメリカの習俗にはすぐ飛びつくのはどうしたことでしょう。この国は自ら望んで植民地化を図り、自国の文化を捨て去ろうとしています。
太陽の力が弱まり生命力の衰退を感ずるこの時期は、異界とこの世との距離が接近してきます。そして、向こうの世界から人間に活力を与えようと神がやってきます。それが遍歴する弘法太子だったり、湯立て神楽に招かれる神だったりするのです。ところが、異界からの来訪者は人間に福をもたらすモノばかりでなく、禍々しき異界のモノたちもこの時期にやってきます。 旧梓川村に氷室というところがあります。ここでは、タイシコウの晩には村に入ってくる乞食をつかまえて、死ぬまで口の中に食べ物を詰め込んで殺していたという伝承があります。口の中に食べ物を押し込んだという棒も残っています。そうやって、村の外から訪れる人を年に1回殺し続けていました。(ここには、死んだ体から様々な作物を生み出したオオゲツヒメの影をかんじますね。)ところが、いくら食べさせても食べてしまう人がいて以来この風習はとだえたが、後からそれが弘法様だとわかったといいます。よその地域で多く語られるのは、タイシコーの夜に訪ねてきて食べ物をねだった乞食坊主を邪険に追い払ったら、それが弘法さまで、そのせいでその家はひどいめにあった、という逆の話です。いやだといっても無理やり食べさせるのも、ほしいというのに全く食べさせないのもきっと同じことなのでしょう。
こんな古い伝承があるのに、今は忘れ去られ、ハロウィンの魔女がこの国を跋扈しています。私などは、仮装した馬鹿者たちを弘法太子が懲らしめてくれたらいいと思います。なんてのは、頑迷な年寄りのいうことで、さっそうとマントでもはおってお面をかぶり、カボチャをくりぬいてろうそくを灯したほうがカッコイイんでしょう。 太陽を連想させる黄色いもの、カボチャ・ユズ等を大事にするのは、この時期の東西を問わない特徴なのですが。