民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

京都紀行2 ヤマはここでもマチ

2006-11-06 12:30:17 | 民俗学
 千年も同じ場所に人が住み続けるということは、変化を嫌う風があるということ。京都にしてみれば、30年や50年はつい最近だろう。よって、35年も前の自分がいたころの場所がそのまま残っており、様々な思いがよみがえってくる。いつまでたっても京都は自分の青春のまま封印されている。
 出町から叡電に乗り八瀬で降りてバスで大原に向かう。連休で市内はすごい人だろうから、郊外にしたわけである。めざすは宝泉院。大原までは1時間ばかり、今出川あたりまで歩けば2~3時間もかかるだろうか。この道を、大原の女性は薪や花などを頭に載せてマチに出た。頭上運搬がなぜなのかは別の問題として、ヤマの女がマチへ行商にでるかなり早い例だろう。大原女といい、行商の女性に風雅を感じたのは都の人々のヤマに寄せる特別な感情だろう。ここで蔑視とならなかったことは何故なんだろうと思う。
 大原でも、都で何か売らねば生活が成り立たなかった。貨幣経済が早くから浸透した都市だから、行商も早くから成立したことだろう。その大原に下りると、たくさんの車が駐車場にとまり、三千院への山道の参道の両側には、土産物を売る店が並び様々な物を売っている。長い山道をバスでやってきたとは思えず、銀閣あたりの隣にあるかと錯覚するくらいのにぎやかさである。
 ここで、ヤマの人の商売上手さをまざまざと感じたことがある。両側で売っている物や看板をみると、「手打ち蕎麦」「おやき」「五平餅」が、しばづけと並んで売られている。えーここは京都で、長野県ではないよ、何て誰も言わない。ヤマのイメージで売れるものなら何でも売ってやろうというたくましさがある。それにしても、京都でオヤキはないですよ。