道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

アルテ・マイスター絵画館(ドレスデン・ツヴィンガー宮殿)

2009年02月28日 | 美術道楽
ドレスデンの美術館といえば,何と言ってもツヴィンガー宮殿にあるアルテ・マイスター絵画館です。
ドレスデンを訪問した目的の第一はここを訪れたかったからです。

10時開館なのに30分以上前に来てしまい,朝寒い時間帯から並びました。
ここも音声ガイドがありまして,英語かドイツ語のガイドを借りることができます。アルテ・マイスター絵画館の見学には力を入れていたので,事前に日本語のパンフレットを買い込み,さらにドイツ語の音声ガイドを借りて,万全の態勢で臨みました。

最初に見たのは,この美術館の至宝であるラファエロの「システィーナのマドンナ」です。


フィレンツェを訪れた際には,ピッティ宮殿でラファエロの「小椅子の聖母」,「大公の聖母」,「ヴェールを被る婦人の肖像」等々多数の作品を見ていたので,是非とも見たかった作品です。
「システィーナのマドンナ」をゆっくり見ることができたのは開館直後だけで,あとは,絵の前はずっと混んでいました。

下部にある天使を手の上にのせるポーズをして写真を撮る人が多かったです。


ほかの絵です。
ジョルジョーネ「眠れるビーナス」


ルーベンス「レダと白鳥」


レンブラントの「放蕩息子の帰還,または失われた息子」(エルミタージュ美術館のものとは随分違いました。)


フェルメール「窓辺で手紙を読む少女」


フェルメール「取り持ち女」


リベラ「牢獄の聖アグネス」


以前のブログでも書きましたが,そのほかにも,アンドレア・デル・サルト(この画家は夏目漱石の「我が輩は猫である」でも紹介されている画家です。)の聖イサクの犠牲の絵やルーベンスのバテシバなども印象に残りました。

不思議だったのは,リオタール作の「チョコレートの女給」が人気だったことです。個人的には特徴のない絵と思いますが。


ともあれ,古典絵画をこれでもかというほど沢山見て,かなり疲れてしまいました。
この美術館は,混んできた後は,時折,地震のように大きく揺れていましたので,フィレンツェのウフッツィ美術館のように入場制限をした方がよいのではないかと思いました。

帝国議会放火事件とゲオルギ・ディミトロフ裁判(ベルリン・ライプチヒ)

2009年02月27日 | 衒学道楽

ナチス政権下の1933年2月27日,ベルリンの帝国議会は炎上しました。3月に選挙を控えた時期の事件でした。
ナチスはこれを共産主義者の犯行と決めつけ,実行犯と見られたオランダ人共産党員ルッペのほか,ゲオルギ・ディミトロフらを逮捕しました。
そして,彼らの裁判はライプチヒに置かれていた帝国大審院(Reichsgericht)で行われることになりました。


話は変わります。
私は,1994年12月,ライプチヒを訪れ,ただ「ライプチヒ造形美術館」とだけ呼ばれている美術館に行きました。何が展示されていたかはもう詳しくは記憶していません。吹き抜けの上に美しいステンドグラスがあったことは記憶しています。
ステンドグラスの写真


この「造形美術館」ですが,統一前の旧東独では「ゲオルギ・ディミトロフ博物館」と呼ばれていました。すなわち,私が訪れた「造形美術館」こそが,ゲオルギ・ディミトロフ裁判の行われた裁判所,すなわち帝国大審院だったのです。戦前のドイツの最高裁判所にあたるReichsgericht(帝国大審院)はライプチヒにありました。今日でも刑法の有名なコンメンタールにLeipziger Kommentarというものがあり,コンメンタールの名にライプチヒの名前を留めています。

冒頭の写真が1994年当時の「造形美術館」=旧帝国大審院です。

1994年当時は単なる「ライプチヒ造形美術館」に衣替えをしていたにもかかわらず,ゲオルギ・ディミトロフ裁判の行われた法廷だけは,裁判当時のままの形が再現されていました。
私が,法廷の跡にいき,美術館員のお婆さんに,ここがゲオルギ・ディミドロフ裁判のあった場所ですかと尋ねますと,その美術館員は非常にうれしそうな顔をして,詳しく解説してくれました。統一前は共産党員の聖地の一つで,多くの観光客が来たでしょうに,94年当時は既に観光客も稀でして,久しぶりに解説をする機会を持てたことが嬉しかったのでしょう。
美術館員のお婆さんは,実際に裁判を昨日傍聴してきたかのように,いきいきと解説してくれました。ゲオルギ・ディミトロフが弁護人もなしに被告人として裁判を受けることになったこと(実際は,弁護人との信頼関係が築けなかったり,ディミトロフの希望する弁護士を裁判所が弁護人として選任しなかったりしたことがあるようです。),それでも果敢に弁論を試みたことなど,解説してくれました。
夏目漱石の随筆に「カーライル博物館」というものが,そして短編小説に「倫敦塔」というものがありますが,それらに相通じる感覚を覚えました。美術館員のお婆さんの話を聞きながら,裁判官や検察官,弁護人,そして被告人のディミトロフがその場に現れ,滔々と論告や弁論が行われている姿が目に浮かぶようでした。

私の思い出話はこの程度にしまして,実際の裁判ですが,実行犯のルッペは有罪となり,死刑判決を言い渡されましたが,ディミトロフらには1933年12月23日,無罪判決が出て,ディミトロフは翌1934年2月27日にはソビエト連邦へ国外退去となりました。ディミトロフはソビエト連邦にライプチヒの英雄として迎えられ,コミンテルンの書記長を経て戦後にはブルガリアの初代首相になります。

ただし,ディミドロフが無罪になったのは,当時,ソビエト連邦がドイツに積極的に働きかけを行ったことや,独ソ両国が不可侵条約締結に向けて接近を検討し始めていたこととも無関係ではないという指摘もあります。

ところで,旧帝国大審院,ゲオルギ・ディミトロフ博物館,美術館と姿を変えた建物は,最終的に現在,再び現役の裁判所,すなわち,連邦行政裁判所(Bundesverwaltungsgericht)として使用されています。連邦行政裁判所は2002年にベルリンのZoologischer Garten駅の近くの場所からライプチヒに移転したのです。かくして,旧帝国大審院の建物は,再びドイツの最上級審の裁判所の一つとして使用されることになりました。2004年6月に学校の教師がイスラム風スカーフを着用することを禁止することが適法である旨の連邦行政裁判所の判決が言い渡されましたが,この判決が言い渡されたのも,ゲオルギ・ディミドロフ裁判のあった法廷でした(ZDFのニュースで放送されました。)。

ただ,2007年3月には連邦行政裁判所の中に,帝国大審院博物館(Reichsgerichtmuseum)がオープンしているので,現在,ディミトロフ裁判のあった法廷がまだ現役として使われれているのか,それとも再び博物館になってしまったのかは分かりません。
確かめるために,再度,訪問したくなりました。

現在の連邦行政裁判所の姿です。
Wikipediaから借用しました。



「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」(Bunkamuraザ・ミュージアム)

2009年02月26日 | 美術道楽
渋谷のBunkamuraに「ピカソとクレーの生きた時代」展を見に行きました。
ドイツのデユッセルドルフ(州都)にあるノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館が改修工事のために休館するのを機会に,そのK20アートコレクションと呼ばれるコレクションが来日したのです(因みに本館のコレクションがK20で,新館のコレクションはK21と呼ばれているようです。)。

ピカソの作品では,およそピカソらしくない普通の絵画の「2人の座る裸婦像」(腕や足がとてもエネルギッシュな裸婦です。)のほか,いかにもピカソらしいキュビズムの「鏡の前の女」や「ひじかけ椅子に座る女」等の作品が来ていました。いずれもK20の重要なコレクションのようです。
クレーのコレクションにつきましては,そもそもこのコレクションがもとになってこの美術館が開設されたのだそうです。つまり、ノルトライン・ヴェストファーレン州がクレーの作品をコレクターからまとめて購入し,そのコレクションをもとに美術館が開館になったということなのだそうです。クレーはバウハウスの教職を辞めた(無断欠勤が続いて辞めさせられたのかもしれません。)後,デュッセルドルフに来て教鞭を執っていましたが,退廃芸術との烙印を押され,故郷のスイスに帰らざるを得ませんでした。そうした経緯も踏まえてNRW州政府としては,是非クレーコレクションを再びデュッセルドルフにと考えたのです。
クレーの作品は,チュニジア旅行後に描かれた「赤と白の丸屋根」や,音符のようにもみえる「リズミカルなラクダ」の絵など,見たことのあるような作品が多く,初めて見る作品であってもなじみやすい作品が多いのですが,逆にあまり強い印象に残らないようにも思います。その中で面白かったのは,1939年に鉛筆で描かれた「ベルリンのまぬけ」です。ヒトラーを揶揄したものともいわれています。そのほか筆で黒一色で荒削りに描かれた単純な構図の「助けを呼ぶ声」も,人物が鉤十字の形にされています。

ピカソとクレーの名前が代表として挙がっていますが,K20の様々なコレクションが展示してあります。
冒頭にくるマティス,ドラン,ブラックの三部作はK20でも同じ展示室にあるそうです。
フランツ・マルクは相変わらず動物の絵で,今回は猫の作品でした。
ジョージ・グロスとマックス・ベックマンは不気味な絵を描いています。特にベックマンの「夜」はK20の重要なコレクションだそうです。
ほかにもルネ・マグリット等のシュルレアリスムの作品も面白かったです。

デュッセルドルフには,以前に出張で行った際に短時間滞在しただけで,何も観光をしていません。州立美術館が再度開館した後,是非ゆっくり観光してみたいものです。相方を有名なケーニッヒス・アレーの界隈にショッピングに連れて行ってあげたいとも思います。

新宿御苑の梅(新宿区内藤町)

2009年02月25日 | 風流道楽
新宿御苑に梅を見に行きました。
新宿御苑は23区内では屈指の梅の見所です。
レストラン「ゆりのき」の前,茶室「翔天亭」の近く,大木戸休憩所のすぐ前の3か所が特に見所です。
新宿御苑は,桜のシーズンはあまりにも人が多すぎるので,梅のシーズンの方がはるかにお勧めです。
白梅


紅梅


梅のほかにカンザクラも見ることができました。



暖かい日でしたので,春の訪れが近づいているのを感じることができました。


お食事処小さか(新宿区河田町)

2009年02月24日 | 食道楽
ここもいつも見ている「牛込生活」のブログで紹介されているのを見て知りました。正確には,前から知っていたものの,入る勇気がなかったところ,このブログを見てようやく入ってみても大丈夫かなと思った次第であります。

曙橋の駅からあけぼのばし商店街を東京女子医大に向かってあがっていき,女子医大通りと交わる前の少し道が曲がり始めるところにこの店はあります。
紙に「海鮮丼」等のメニューを張り出して一応自己主張してくれているので,店だと分かりますが,とても入りにくそうな感じの店です。
店内を見ますと,昔はスナックだったのを,居抜きでそのまま食事処にしたのでしょうか。店はお婆さんが一人で切り盛りしています。海鮮丼を食べましたが,650円でとても具だくさんでした。


ア・ビヤント(新宿区坂町)

2009年02月23日 | 食道楽
津の守坂通りより1つ市ヶ谷方面に進んだ通りにあるá bientôt(ア・ビヤント)に行ってみました。
いつも見ている「牛込生活」のブログでkotaroさんがしばしば取り上げていた店で,以前から行って見たいと思っていたフランス料理の店でした。

店の外観は窓のない金属の壁で,とてもモダンですが,中に入ると,とても居心地の良さを感じて,くつろげます。
ランチタイムで最も安価なランチコースAにしたのですが,スープ,サラダ,肉の煮込み料理,パン,コーヒーと一応揃っていましたし(ただ,デザート代わりの小菓子は文字通りの小菓子なので,デザートを別途頼む必要があります。),食事そのものにも,サービスにも店の人の丁寧な心遣いを感じることができます。ドイツから帰って間もない時期で,しかもテーブルで支払う形式だったものでしたから,思わずチップを支払いたくなりました。そんな気持ちにさせてくれる店です。

スープ


サラダ


肉料理


デザート


カップルで,親しい友人で,ワインを酌み交わしながら,ゆったりとした楽しいひとときを過ごすというのにぴったりの店です。時間をとって,ディナーで行きたいと思います。
店の名前のá bientôtはフランス語で「またね」とか「またいつか」ですが,また必ず行きたいです。

黄金蟹(鳥取県境港市)

2009年02月22日 | 食道楽
インターネット通販の「鳥取大山王国セレクション」で,黄金蟹というものを買いました。

HPの記事をそのまま転用させていただくと,
「松葉ガニ(ズワイガニの山陰での呼び名)と紅ズワイガニは、全く別のカニです。
 松葉ガニは水深200m〜600mの浅めの海底に、紅ズワイは500m〜2000mの深い海底に生息。松葉は、茹でる前は茶色で、茹でると紅色に。1キロを超すものもかなりあり、腕が太く、味は上品で淡泊です。
 紅ズワイは、茹でる前から紅色で、腕が平べったく、独特の甘みがあります。1キロ超のものは殆どありません。この二つのカニの生息域が重なる場所で、松葉のオスと紅ズワイのメスの間にできたのが紅松葉(黄金ガニ)です。
 限られた環境の中でしか誕生しない貴重なカニで、紅ズワイ1000枚に紅松葉は1枚。紅松葉は黄金ガニとも呼ばれ、松葉と紅ズワイの両方の良さを併せ持ち、腕が太く、カニ肉に甘みがあり、1キロを超すものも。その味は「松葉よりうまい」と言う漁師もいるほど。」
ということだそうです。

届いてまず驚いたのは蟹の大きさです。1キロとは聞いていたのですが・・・蟹の大きさは周囲にあるカセットコンロやポン酢の瓶と比べていただけると分かると思います。
足はタラバカニのように大きく,蟹ばさみで割って引き抜くだけで,タラバカニのように身が綺麗にとれました。蟹味噌らしきものが少ない?という点はありましたが(これは私の誤解かも知れません。),とても新鮮でおいしかったです。

そして,普段なら蟹を食べた翌日はお腹にガスがたまったり,便秘になったりするのですが,今回の蟹はそんなことは一切ありませんでした。要するに防腐剤等の薬剤につけ込まれていないということで,いかに新鮮な蟹を食べたのかわかります。
送料込みで1キロ6000円でしたが,外食で蟹を食べるより,はるかにコストパフォーマンスもよく,新鮮な蟹を食べることができました。


ハンブルク駅現代美術館(ベルリン)

2009年02月21日 | 美術道楽
現代美術が好きな私は,ベルリン滞在中にハンブルク駅現代美術館に行きました。
1996年に開館した美術館で,最近になって新たにできたベルリン中央駅のすぐ近くにあります。
名前から分かりますように,昔は駅舎として使用されていた建物です。昔,駅舎で今は美術館という点ではパリのオルセー美術館と同様ですが,ハンブルク駅美術館は戦争中に爆撃で廃墟になったものを,現代美術館として再建したものです。

美術館内部の様子




今回はフリードリッヒ・クリスチャン・フリックのコレクションの特集だったのでしょうか。
ボイス,アンディ・ウォーホール等の作品もありました。

館内の案内図をもらい損ねたのがよくなかったのでしょうか,どこまでが企画展でどこからが常設展なのか,常設展はどこまで続くのかとてもわかりにくい美術館でした。ミュージアムショップを見て帰ろうところ,さらにその向こうにボイスの作品が展示されていたり,レストランの上の階にも展示があったりという具合です。常設展(と思いますが)の地階の部分は延々といつまでも続いていました。

正直言って消化不良になってしまってやや残念です。

よく印象に残っているのはアンディ・ウォーホールの絵,特に毛沢東の絵の作品です。

美術館の壁に描かれたバナナの絵。いい現代美術館の証という話も聞きました。




ペルガモン博物館(ベルリン・ミッテ地区)

2009年02月20日 | 美術道楽
ベルリンの美術館を多数紹介した割には,ペルガモン博物館を紹介するのを忘れていました。
東西ベルリンの統一,美術館の再編成で最も影響の少ない博物館かもしれません。
既に3回行きましたが,ミュージアムショップが博物館の外にまでできたほか,変化はないような記憶です。

ベルリンを訪れる観光客が必ずといっていいほど訪れる博物館です。その見所は,つまるところ,ペルガモンのゼウス大神殿,バビロンのイシュタール門,ミレトスの市場門に集約されます。
ペルガモンのゼウス大神殿


ギリシアから神殿ごと持ってきた(略奪してきた)もので,しかもどのようにして運んだと言えば小刻みにバラバラに切断した上で,ドイツで再結合したもので,今では考えられない手法で入手されたものです。これを見ると,シュリーマンがドイツに持ってきた「プリアモスの宝」がロシアから返却されないのも仕方ないのかとも思います。

ミレトスの市場門


イシュタール門
あの「バビロン捕囚」のネブカドネザル2世(ナブッコ)の創建によるものだそうです。




特別展「妙心寺」(東京国立博物館平成館・台東区上野公園)

2009年02月19日 | 美術道楽
東京国立博物館の妙心寺展に行きました。
京都にある妙心寺は京福電鉄で行くことができます。
妙心寺自体は広大な敷地の寺で,多くの塔頭寺院を抱えていますが,一般公開しているところは少なく,その中では退蔵院くらいしか拝観した記憶がありません。退蔵院には「元信の庭」と呼ばれる庭園があるのですが,枯山水の庭園とはいえ,石と砂だけではなく常緑樹を用いており,色彩も豊かで絵画的調和を感じることができます。さすが元信というところで,私が京都でしばしば訪れたスポットでした。

今回の展覧会は,退蔵院に限らず,妙心寺の非公開の塔頭を初め,各地から妙心寺ゆかりのものが集められていまして,妙心寺そのものの紹介というよりゆかりの品々の展覧会でした。

特によかったのは,アメリカのメトロポリタン美術館からやってきた狩野三筆の「老梅図旧天祥院障壁画」を見られたことです。それと,退蔵院にある「瓢鯰図」を見られたことです(これを見るために,展示替えを待って後期に行きました。)。海北友松の「花卉図屏風」や「琴棋書画図屏風」,さらに狩野元信の作と伝えられている「渓山問奇図」の障壁画も見ることもできました。

妙心寺は1337年に花園上皇が自らの離宮を禅寺としたことに始まるのだそうですが,花園上皇は当時の「ルール」で10年しか即位させてもらえなかったこと,その後,上皇になるのですが,花園天皇の子は北朝第1代の天皇となる光厳上皇でした。花園上皇が妙心寺のもとを築いたころは,まさしく南北朝の動乱期であったのですね。
 
ほかに知ったことは,春日局ゆかりの麟祥院は,湯島だけではなく妙心寺にもあるということです。


「春を呼ぶ小石川後楽園 黄門様のお庭で梅まつり」(文京区後楽)

2009年02月18日 | 風流道楽
小石川後楽園は,相方が頻繁に出没しているエリアに極めて近く,私も小石川後楽園には1年に何度も行きます(多分,最も頻繁に訪れている庭園は小石川後楽園でしょう。)。
そこの梅祭りに行きました。
ここには白梅も紅梅も皆沢山あります。濃いも薄いも皆,紅梅・・・とは思えませんでして,やはり白梅と紅梅の違いははっきりしています。
白梅の白加賀


未開紅


こちらは特に紅の色の強い鹿児島紅の梅です。



ふと気づくと,水戸学の藤田東湖の碑がありました。藤田東湖が,大地震の際に母親を救おうとして命を落としたことを追悼する碑です。



【余談】湯島天神ほど混雑はしていないのですが,小石川後楽園の周囲はビルだらけなので,写真を撮る際にビルを写さないようにするのが,また一苦労でした。


湯島天神の梅まつり(文京区湯島)

2009年02月17日 | 風流道楽
湯島天神に梅を見に行きました。
ちょうど暑くなった2月14日に行ったのですが,まだまだ半分程度しか梅は咲いていませんでした(湯島天神の梅は開花時期がやや遅めなのでしょうか。)。受験のお参り又はお礼参りとも重なるのでしょうか,大変な混雑ぶりでした。
狭い敷地に人は多いし,出店も並びますし,とてもゆっくり梅を見るような雰囲気などではありません。
それでもめげずに写真を撮っていると,何やらトルコ風の音楽。映画「Gegen die Wand」(日本でのタイトルは「愛より強く」)のようなメロディーが流れてきます。何かと思いましたら,何とベリーダンスでした。


「梅まつり」であって,「まつり」なのですから何でもいいと言えばいいのですが,出店の食べ物の強烈な臭いと余りに場違いなトルコ風の音楽を聞きながら,梅を見ても,あまり風流を感じることはできませんでした。

ようやく撮れた写真が次の一枚です。



マウスのチョコレート

2009年02月15日 | 食道楽
昨日は2月14日,バレンタインデーです。
相方から一応まだ今年もチョコレートをもらうことができました。

ドイツの人気キャラクターDie Sendung mit der Mausのマウスのチョコレートです。
マウスはこのブログでも既に初回から登場していますが,日本におけるドイツ年2005/2006のマスコットのキャラクターで,最近では日本ではあまり見かけません。オレンジ色で目が半開きで,やる気がなさそうなキャラクターですが,実は性格はドイツ人のように神経質・・・とドイツのテレビで見ていると思うこともあります。

マウスの絵がチョコの箱に描いてあるだけではなく,中にはマウスの絵はがきもあり,チョコの中にはマウスや,その仲間エレファント,エンテ(あひる)の絵も描かれているものもあります。



少し子供っぽい感じもしますが,実はRausch&Fassbenderのチョコよりもおいしかったです。

と,チョコの紹介は本当なのですが,実はバレンタインデーで相方からもらったものではなく,フランクフルトの免税店でドイツ土産に買ったものです。
相方から本当には何をバレンタインにもらったのかは明日書きます。

ドレスデン大空襲

2009年02月14日 | 衒学道楽
1945年2月13日から14日にかけて,ドレスデン大空襲がありました。
「エルベのフィレンツェ」と呼ばれるドレスデンは,美しいバロック様式の建築物と美術品の多数集まる街で,目立った軍事施設も全くありませんでしたから,それまで爆撃による被害もほとんどなかったのです。
ところが,徹底的な無差別爆撃が敢行され,一晩で多くの市民や避難民等の非戦闘員が死亡しました(軍事的に無意味な都市をねらった爆撃でしたので,非戦闘員ばかりが被害者になるのは当然ですが。)。特に黄リンと合成ゴムを混合した発火性の高い残忍な爆薬を多用したことが,人的な被害を大きくしたという指摘もあります。

かくして,フラウエン教会,ツヴィンガー宮殿,ゼンパーオペラなどが一晩で灰燼に帰しました。冒頭の写真は1970年ころのものらしく,wikipediaからとりました。Rolf van Melis氏の作品によるものだそうで,http://www.photosforfree.deにあるようです。


それから,フラウエン教会が再建されたのはドイツ統一後の2005年のことです(1994年にドレスデンに行ったときも,まだ廃墟でした)。
再建されたフラウエン教会の塔の上に立つ十字架は爆撃に参加したイギリス軍兵士の息子の製作したもので,和解の象徴としてイギリスから送られたそうです。
再建後のフラウエン教会


ドイツの立派なところはそれでも,ドレスデン空爆に至った出発点が1933年1月30日のヒトラー内閣成立にあることをきちんと認めているところです。

なお,ドレスデン大空襲については,ドイツのテレビ局ZDFが作成した「ドレスデン-運命の日ー」という映画があります。