道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

ヴァチカン美術館編その1

2015年08月31日 | 美術道楽

ローマ一日ツアー、午後は半日かけてヴァチカン美術館巡りです。

ヴァチカン美術館は、個人で回ると入場まで待つと聞いていましたので、効率よく回ろうとツアーに参加したのです。

 

入館前には荷物検査を受けます。

私のところは、簡単でした(ここはツアーであろうがなかろうが関係ないと思いますが。)。

 

 

最初に、本来、最後に見るべきシスティーナ礼拝堂の《最後の審判》について、パネルで説明を受けます。システィーナ礼拝堂内では解説が許されないということです。

 

 

この説明を受けて、初めて入館することになります。

 

入館後、「ピーニャの中庭」に行きます。

そこの半円形にくぼんだ場所に、ピーニャ作の巨大なブロンズ製の松かさがあります。

この写真から十分に伝わらないかもしれませんが、とにかく巨大です。

 

 

「ピーニャの中庭」の中心にあるのは、アルナルド・ポモドーロ作《球体をもった球体》です。この球体は自転しているようです。

ポモドーロは、イタリアの著名な現代の彫刻家のようで、高松宮殿下記念世界文化賞も受賞しているとのことです。

ポモドーロって聞いたことがあると思ったのですが、それはイタリア各地にチェーン店を展開するナポリピザの店Rossopomodoroと勘違いしただけのような気がします。

 

 

 

次いで、「燭台のギャラリー」です。

各部屋のアーチの下に2つの大きな燭台があることから、このように呼ばれるとのことです。

天井画がきれいです。

 

 

 

進んで「タペストリーのギャラリー」に入ります。

 ここだけは空調がきていたような気がします。

下のタペストリーのキリストは、鑑賞者が見ながら歩くとずっと目で追いかけているように見えます(つまりどこにいっても見つめられているかのように見えます。)

 

 

 

「地図のギャラリー」です。

イタリアの地図が、時代を変えて展示されています。

 

「地図のギャラリー」では、窓が開いていまして、外の景色が見えます。

 

地図の間の天井も素晴らしいです。

生憎この日は一部改修中でした。

 

 

 

「ピウス5世のギャラリー」、「ソビエスキ王の間」を経て、「無原罪のマリアの間」に入ります。

 

 

このようにしてヴァチカン美術館の中で最短距離を歩いて、システィナ礼拝堂に向かい、途中、「ラファエロの間」に入ります。

その中の「コンスタンティヌスの間」

 

同じく「ヘリオドロスの間」

 

同じく「署名の間」

ここに有名な《アテネの学堂》があります。

 

「署名の間」にある《聖体の論議》

 

 

同じく「ラファエロの間」の一つの「ボルゴの火災の間」

《ボルゴの火災》

 

《オスティアの戦い》

 

 その後、現代宗教美術館に入ります。

多くの人は素通りですが、実はこのコレクションも意外とよいです。

ヴァチカンが現代美術も収集しているとは知りませんでした。

その中のマティスの作品

この日は、現代美術を丁寧に見る時間がなく、後日再訪しました。

このブログでも別途、紹介します。

 

 

そしてシスティーナ礼拝堂です。

感動とそれまでの疲労がいっぺんに出てきました。

普通に見た場合には撮影不可のスポットで、この日も当然写真撮影はしていませんが、後日、特別に写真撮影が可能な見学会に参加しています。

システィーナ礼拝堂の写真も後日、紹介します。

 

 

ツアーはこれでおしまいになりました。

 

十分に満足することのできる内容で、とても疲れましたので、サンピエトロ寺院に行き、ホテルに帰りました。

しかし、ヴァチカン美術館のコレクションは莫大で、カラヴァッジョの絵画など実はまだ見ていないところも多かったので、後日、出直すことになりました。

したがいまして、後日、またヴァチカン美術館を紹介します。

 

 

入場券

 


La Soffitta Renovatio

2015年08月30日 | 食道楽

ローマのバスツアーで昼食に入ったのがLa Soffitta Renovatioというレストランです。

ヴァチカン美術館の近くにあるレストランです。インターネットで後日調べた情報によると、グルテンフリーの食事もいただけるようです。

そこでツアーで予約をしておいてくれたナポリピザとサラダをいただきました。

 

 

地下に入っていきますと、メニューの内容が黒板に書いてあったり、ビュッフェ形式の注文に使うサラダの皿がおいてあったりと雰囲気はあります。

Googleのクチコミも悪くないようですから、夜にワインを飲みながら、高級な料理を注文すれば、きっとおいしくいただけるのでしょう。

 

生憎ツアーの中での予算も限られた食事だったからでしょうか、特に可もなく不可もなくという印象で、少なくとも特別においしいとは思わなかったのですが、その後、ヴァチカン美術館の中で昼食をとるのがどれだけ大変かを知りまして、普通にゆったりと食事をすることができるのがどれだけ有難いかを実感させられました。


ローマ名所訪問(後編)

2015年08月29日 | 旅道楽

前編に続きます。

トレビの泉に続き、パンテオンに行きました。

冒頭の写真がパンテオンです。

 

パンテオンの上部の天井は穴が開いています。したがって雨が普通に入ってきます。

 

 

パンテオン内部は観光客でいっぱいです。

 

 

 

パンテオン内部のラファエロの墓所

 

 

 


ナヴォーナ広場に移ります。

 

こちらはイタリアの上院(マダーマ宮)です。

 

ナヴォーナ広場にある、ベルニーニ作《四大河の噴水》(手前右)です。

 

世界の四大陸の大河、すなわち、ナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタを表す彫像がオベリスクのふもとにあります。

 

ガンジス河

 

ドナウ河

 

ラプラタ河

 

ナイル河

 

 

 

 


ローマ名所訪問(前編)

2015年08月28日 | 旅道楽

ローマの2日目、実質的な初日は、バスツアーで名所観光です。

 

最初にコロッセオです。

剣闘士同士や猛獣との野蛮な戦いを見世物とする舞台です。

これがローマの代表的な観光名所といわれても、寒心に堪えないばかりで、感心しません。

 

昔のコロッセオの仕組みが図解されています。

上が観客のいる階。下は舞台と奈落です。


コンスタンティヌスの凱旋門


 

「真実の口」のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会

映画「ローマの休日」で一躍有名になりましたが、昔から「真実の口」はあったそうです。

「真実の口」の中に手を突っ込んで写真を撮るなんて50を過ぎたオッサンには恥ずかしい限りです。

 

サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の近くにあるマルケルス(マルチェッロ)劇場

シーザーが建設をはじめアウグストゥスが完成させた劇場。正面はアポロ神殿の円柱



スペイン広場



スペイン階段


 

トレビの泉

30年近く前、ここを訪れました。

その時はスリにあいそうになった直後でしたので、ローマを再訪することもないだろうとコインを入れませんでした。

しかし再び訪れ、三度訪れることを願ってコインを投げました。



写真が多くなってきましたので、いったんここで3Kugeln(3球)のジェラートを食べて休憩します。

残りは明日にします。


 


atelier by Tomoko Tudini

2015年08月27日 | 食道楽

ローマ到着直後にテルミニ駅近くのatelier by Tomoko Tudiniという店で食事をしました。

日本語のメニューのある別の店を探していたのですが、その店の名前が変わったのだと勘違いしてこの店に入りました。

日本語メニューでもドイツ語メニューでも、すでに一般に通用している言葉まで全部翻訳されてしまい、時々かえってわかりにくくなることもありますが、やはり日本語メニューがあると助かることは間違いありません。ランチのセットメニューもあるようで、注文もしやすいです。

店内は小奇麗に整えられており、店の人も大忙しだったにもかかわらず、とても感じがよく好印象でした。

 

昼の軽食ということでしたので、飲み物のほかは、道楽ねずみはムール貝のパスタ、相方ねずみはピザだけにしていましました。

ムール貝のパスタは普通においしかったのですが、ピザは少し周囲の部分が焼き過ぎで、固いという感じもしました。これはたまたまなのかもしれませんが。





サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会

2015年08月26日 | 美術道楽

ローマに到着すると、さっそくテルミニ駅近くのホテルにチェックインです。

その日は、無理せず買い物のためにローマ三越等に出かけたほかは、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会に行くにとどめました。

大昔、自分が初めてローマに行ったバブル期はいざ知らず、日本のデパートがいまだに外国に店舗を構えていることに驚きました。

でも、店の雰囲気はどこか昔の日本のデパート風であり、そしてその中にいる客の90パーセント以上が中国人観光客でした。

 

ローマ三越を後にした後、ヴィットリア教会を訪れました。

この教会は、テルミニ駅にもローマ三越にも近い場所にあります。

ここの名所はなんといってもコルナロ礼拝堂にあるベルニーニの《聖テレーザの法悦》です。

冒頭の写真がそれです。

ベルニーニは、彫刻だけではなく、コルナロ礼拝堂全体のデザイン、設計を手掛けたということで、建築と彫刻が一体となった世界を形成していることで有名です。

以前に「グエルチーノ展」に関する講演でお話をうかがった宮下規久朗先生がご執筆になっている「バロック美術の成立」(山川出版社)でも、この《聖テレーザの法悦》が表紙の写真に用いられていました。

 

《聖テレーザの法悦》の彫刻の上部の丸天井には窓があり、そこから自然光が降り注ぎ、金メッキを施されたの光の雨を照らし出すようになっています。この彫刻に光り輝くオーラがあるのは、そのおかげでもあります。

上部のこの小窓が演出のカギを握っているのです。

 

教会の中にはグエルチーノの《聖三位一体》もありました。ほかにドメニキーノの絵もあります。

グエルチーノ《聖三位一体》


 

この教会は、ダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」で有名なのだと後で知りました。








鎌倉からはじまった1951-2016Part2

2015年08月25日 | 美術道楽

神奈川県立近代美術館鎌倉館で開催中の「鎌倉からはじまった1951-2016Part2:1966-1984 発信する近代美術館」と題する展覧会に行きました。

 

前回6月にPart1に行きましたが、今回はその続編です。

 

閉館を控えた時期の展覧会だけに、今回もベストコレクションの展示です。

本館では、明治以降の日本の洋画家、黒田清輝《逗子五景》、藤田嗣治《二人裸婦》、関根正二《少年》、国吉康雄《オガンキットの入江》などが印象に残りました。このほか、名前を知らなかった画家でも、小山敬三《アルカンタラの橋》、村井正誠《天使とトビア》なども、関心を持ち、丁寧に見させていただきました。後者の作品は、とても前衛的で抽象的な絵で、旧約聖書のトビアスと大天使ラファエルを表現し、なおかつ、漫画のような魚まで描きこんでおり、とても素晴らしい絵でした。シベリアシリーズで有名な香月泰男が、シベリアシリーズの範疇に入れないながらも、おそらくはシベリアでの強制労働に関連して描いたとされている《運ぶ人》も印象に残りました。

 

次いで、別館にも行きました。こちらは版画編です。


日本の作家では草間彌生や難波田史男も版画を残しているのに驚きました。

棟方志功の《花矢の柵》はとても大きな作品です。

西洋の版画編では、相変わらずマックス・エルンストやムンク、カンディンスキー、マティス、ジョージ・グロス、オットー・ディクスといった作家の作品が喜ばせてくれます。最近亡くなったギュンター・グラスの作品があるのにも驚きました。また、ホルスト・アンテスの版画もありました。以前に葉山館で開催された「ホルスト・アンテスとカッチーナ人形」展のつながりということです。

 

そして、部屋を出て廊下の展示室も見ていますと、最後の最後にありました。ライプチヒゆかりで、私の大好きなマックス・クリンガーの作品です。《手袋》です。

 

鎌倉別館は閉館にはならないのですが、鎌倉館が閉館になって、別館だけにどれだけいくかなとも思いますので、マックス・クリンガーの版画を見ることができたのは、幸いでした。



この企画展は、Part1とPart2の2つに出かけ、スタンプラリーを達成することができたので、10月17日から始まるPart3には無料で入場することができることになりました。




久谷焼の系譜と展開(東京ステーションギャラリー)

2015年08月24日 | 美術道楽

東京ステーションギャラリーで開催中の「久谷焼の系譜と展開」と題する企画展に行きました。

3年前に金沢を訪れた際には石川県立美術館で九谷焼を見ていましたし、2014年のはじめにトトーハクで開催されました人間国宝展でも三代徳田八十吉作の耀彩壺「恒河」という久谷焼を見ていましたから、関心もあるところでした。

 

展示は、

第1章 古九谷

第2章 再興久谷のはじまり

第3章 再興九谷 吉田屋窯と粟生屋源右衛門

第4章 明治期の輸出久谷を中心に

第5章 近代久谷の展開

第6章 平成

と時代ごとに分かれています。

 

展示会場に行き、まず展示方法に圧倒されます。

3階にある一番広い展示室に、本企画展の第1から第6章までの作品群の中からハイライトの作品が一品だけ選ばれ、斜め一直線に配列されています。正確にいいますと、最も大きな部屋の中に第1から第5章までのハイライトが並べられ、さらにその奥にある丸い小部屋に第6章のハイライトが配列されています、そして、床には各展示物を仕切るような形で色つきのテープが張られ、正面にはそれぞれの解説があります。

これだけ見ても、概要はわかるような構成になっています。

 

久谷焼は、江戸時代初期に古九谷焼として始まったものの、いったんは制作が途絶えたものの、加賀藩の支援を受けたり、財政難で支援が打ち切られても個人で再興に向けて努力した人もいたりして、江戸時代後期には再興します。そして、明治時代には主として輸出用として豪華絢爛なものが作られますが、ヨーロッパで好みが変わると輸出産業としては衰退します。その後、新たな方向で制作されるようになり、現代の三代目徳田八十吉(人間国宝)の作品なども作られるようになったというのが、おおまかな久谷焼の歴史です。

 

いろいろな作品をみましたが、やはりよいのは最初期の古九谷です。その深い緑の色遣いがとても素晴らしいです。古久谷のルーツ自体は、九州の有田にあるようで、有田の影響を受けて古久谷が誕生したことは間違いないようです(古久谷自体が、有田で焼かれたという説もあるということです。)。

再興された久谷焼は、作られた窯によっても様々で、若杉窯、吉田屋窯、粟生屋窯など趣を異にしており、作風も一様ではありません。若杉窯は、実用本位で、色彩も青一色で単調で、洗練されたものではありません。吉田屋窯の作品の中には、新古今和歌集に収録されている藤原定家や西行の和歌を書き込んだものもあれば、張良が太公望兵書を授かる逸話や竹林の七賢の逸話を描いたりしたものもありました。これに対し、粟生屋窯は洗練されたアール・ヌーヴォー風の芸術作品で、香炉もあれば蛤の蓋物まであります(蛤が、夏の日本海側によく見られる蜃気楼を吐き出すという迷信もあったようです。)。

これに対し、明治期に製作された輸出用作品は、ひたすら華美で久谷らしくはないような気がしました。これでは一時期しか制作されなかったのも当然という気もします。

 

また、三代目藤田八十吉の作品は、実用品としての陶磁器として製作されているのではなく、完全に現代アートの作品のように感じました。

 

以下の写真は、館内で唯一写真撮影の許されている《赤絵金襴手花鳥風月図壺》です。

 

 

 


熊本と新宿をつなぐ作家 漱石・八雲(新宿歴史博物館・新宿区三栄町)

2015年08月23日 | 美術道楽

新宿歴史博物館で開催中の「熊本と新宿をつなぐ作家 漱石・八雲」と題する企画展に行きました。

 

 

この展覧会は、熊本県の熊本近代文学館と新宿歴史博物館のコラボで開催された企画展です。

したがいまして、冒頭には今は熊本県知事にご就任になっておられます元東京大学法学部教授(政治学)の蒲島郁夫先生のご挨拶も掲載されています。



さて、夏目漱石と小泉八雲は、いずれも熊本市と新宿区の両方に住んでいたという共通点があります。また、熊本で新婚生活を送り、初めての子をもうけたという共通点もあるそうです。

 

2人の転居の足跡をおおまかにたどると以下のようになります。ただし、漱石の場合には、松山に転居するまでに、養子縁組と解消や兵役を脱がれるための北海道への送籍(そうせき)など複雑な事情があります。また、小泉八雲も、父母の離婚やアメリカでの事業の失敗をはじめ、日本にたどり着くまでが複雑なようです。

夏目漱石:東京(牛込區)→松山→熊本→イギリス留学→東京(最初、本郷區、のち牛込區)

小泉八雲:ギリシャ→アイルランド→アメリカ→松江→熊本→神戸→東京(牛込區)

現在、旧牛込區内に居住し、また旧本郷區内にも住んでいたことのある道楽ねずみは妙な親近感を持ってしまいます。

 

この企画展では、主として新宿区と熊本市に居住していたころの2人の姿を紹介しています。

といいましても、どうしても夏目漱石が中心です。夏目漱石は、正岡子規をはじめ多くの著名人と親交を持ち、多くの書簡のやりとりが残されています。この展覧会でも、正岡子規のほか、秋月胤永(かずひさ)(大河ドラマ「八重の桜」にも登場人物として出ていた。)、菅虎雄(帝国大学教授・ドイツ語)(漱石を熊本の五高に招いた人物)からの書簡(いずれも毛筆による達筆のもの)が展示されています。また、漱石から子規や津田青楓にあてた書簡なども展示されています。

これに対し、小泉八雲に関連して展示されているものは、本棚や新宿区内にあった家の書斎の写真のほか、わずかな手紙しかなく、いささか寂しい限りです。



小泉八雲が五高にいた時代の校長が柔道の嘉納治五郎で、その送別会の写真に八雲が写っていることなど初めて知りました。

五高時代の漱石の試験問題や出勤簿などは、珍しく、興味がわきました。

 

それにしても、漱石の松山の家も八雲の松江の家も訪れたことがあるのに、熊本につきましては、訪れたことはあるものの、漱石や八雲関連のものは何も見なかったことが今更ながら残念に思われました。

小泉八雲の松江の家

八雲(やくも)という名前は、出雲国にかかる枕詞の「八雲たつ」「八雲さす」からとられており、いかにも出雲の人というように思います(枕詞の由来は須佐之男命・スサノオノミコトの「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」という和歌による。)。しかし、実際には小泉八雲は山陰の冬の寒さに耐えかねて1年余で温暖な熊本に逃げ出したと、松江の小泉八雲の家記念館には書かれていました。


子規と漱石ゆかりの愚陀仏庵(松山市)の写真のつもりが・・・

どうも写真とっていなかったようです(室内と室外をうまく収まるように構図が取れず、写真を諦めたことを思い出しました。)

代わりに道後温泉の写真を載せます。


 


私は、漱石を招くために八雲は五高から追い出されたとどこかで聞いたように記憶していたのですが、今回改めて年表を見ると八雲が事情があって神戸に飛び出し、空いたポストの補充のために漱石が招かれたようです。

完全に誤解していました。

→ すみません。この記述の方が誤解でした。八雲が帝国大学を去って、その後に漱石が帝国大学の教職に就いた件と混同していました。

Moritzさん有難うございました。




伝説の洋画家たち(東京都美術館)

2015年08月22日 | 美術道楽

突然ですが、ここで再び東京生活に戻ります。

いくつか美術展を紹介した後、ローマ編に移ります。

東京生活編の方が退屈な記事とは思いますが、ご容赦ください。

 

 

東京都美術館で開催中の「伝説の洋画家たち」展に行きました。

二科会100年の歴史をたどる絵画展です。

 

正直名前すら知らない画家の作品もたくさんありました。

二科会は在野をスローガンとしていたのですから、知られていない画家もたくさんいたのでしょう。

 

今回通史的に二科会の活動を見ますと、ずいぶんとさまざまな人物が二科展にかかわっていたことに驚きます。

安井曾太郎、藤田嗣治や岡本太郎、さらにはマティスまで参加していたとは驚きました。

 

パリに留学したり、留学まではしなくてもパリを初めとするヨーロッパの画風に強く影響を受けたりした絵画も多数見ることができました。

 

パリで活躍した藤田嗣治や佐伯祐三、アメリカで活躍した国吉康雄のほか、古賀春江、岡本太郎などの作品がよいと思いました。

イタリアにも留学した有島生馬 《鬼》は、この間ヴァチカン美術館でみたレオナルドの作品から着想を得ているのではないかなどと考えました。

ローマ旅行編の中でヴァチカン美術館も追って紹介します。


ローマ出発

2015年08月21日 | 旅道楽

ミラノを立ち、いったんローマに向かいます。

帰路もミラノ発成田行きの飛行機にしたので、再びミラノに戻るのですが、いったんローマにいきます。

 

Trenitalia(イタリア鉄道)のFrecciarossa(高速鉄道) 9615号に乗ります。

始発はトリノであったようで、出発直前になって初めてミラノ中央駅に姿を現しました。

何番線から出発するのか、自分の乗る車両はどのあたりで待てばよいかなどの情報は入線直前までなく、あわててホームに向かいます。このあたりは、緻密な出発・到着時刻表と車両の停止位置に関する詳細な情報を提供しているドイツのDBとはだいぶ違います。

 

Frecciarossaはイタリア版新幹線で、3時間弱でミラノとローマを結び、なんとその間、停車駅はありません。

日本からインターネットで事前に乗車券を購入し、座席も指定していきました。

早期の購入により割引もあったようなので、今回は1等車に乗りました。

飲み物サービスとスナックがついていました。トイレもイタリアとしてはきれいな部類であったようです。



車内にあったパンフレット

Expo向けに時刻表等を掲載しています。

最初の画像が表紙で、後の画像は冊子の中の一部です。

 

 

 


 

 

 

 

以下はクレジットカードを用いてインターネット上で購入した乗車券兼指定券です。

Trenitaliaからメールで送られたPDFファイルを自分で印刷すれば完成です。

なお、Trenitaliaのインターネットを経由したチケット購入サービスは、イタリア語、英語のほかは、なんと中国語のみです。

ドイツ語があれば楽なのですが、ないのが残念です。それは仕方ないとしても、フランス語さえもないのに中国語だけはあります。

いかに中国人観光客が多い(爆買いはありがたいが、乗り物関係を含めてトラブルが多い)かわかるような気がしました。

 




ポルディ・ペッツォーリ美術館

2015年08月20日 | 美術道楽

osso bucoを食べた後は、ポルディ・ペッツォーリ美術館です。

この美術館は、ミラノの貴族ジャン・ジャコモ・ポルディの屋敷を没後に美術館として公開したものです。

 

この美術館のコレクションで最も有名なものは、ピエロ・デル・ボッライオーロ作といわれる《若い貴婦人の肖像画》です。この絵ののもまた、日本に来ており、渋谷のbunkamuraの「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なるコレクション展」において公開されました。

このほか、ボッティチェリの《聖母子》、ピエロ・デッラ・フランチェスカの《トレンティーノの聖ニコラ》とともに同じ部屋にあります。



ピエロ・デル・ボッライオーロ《若い貴婦人の肖像画》

 

ボッティチェリの《聖母子》

 

ピエロ・デッラ・フランチェスカの《トレンティーノの聖ニコラ》

 

このほか、若き日のラファエロの作というせつもある十字架も展示されています(これも日本に来ました。)。

 

ほかにも、ティエポロ、フォッバ、ベッリーニの作品も展示されています。




この美術館は、あくまでも個人のコレクションをもとにしたもので、ピナコテーク(絵画館)ではないので、ほかにも金細工、日時計、磁器、武具まで展示されています。


 

日本で公開されたことがあるせいか、日本人の個人観光客が目立ったようです。

皆、暑い午後の一時を、ボッティチェリやピエロ・デッラ・フランチェスカの作品を見ながら涼んでいました。


美術館内の様子


入場券


パンフレットは日本語のものもありました。とても珍しいことです。




Ristorante Nabucco

2015年08月19日 | 食道楽

ミラノでどうしても食べたかったものがあります。

Ossobuco alla milanese

ミラノ風オッソ・ブーコです。

 

wikiによりますと、「オッソ・ブーコ: Osso buco)とは、仔牛すね肉煮込み ミラノ風:Ossobuco alla milanese とはミラノおよびロンバルディア州を代表する料理のひとつで、仔牛の骨付きスネ肉を厚さ4cmの輪切りにしトマト、白ワインブイヨン、香味野菜などと煮込んで、グレモラー]を加える。名称を直訳すると「穴の開いた骨」または「空ろな骨」となるのは、調理中に骨の中央の骨髄が縮んで穴ができるためである。」と紹介されています。

要するに、子牛の骨髄付きスネ肉で、骨髄の中身まで穿り出して食べます。骨髄の独特な脂っぽさが特徴的です。

 

ドイツ人の中にはOsso bucoが大好きな方がたくさんいるようです。

昔、ハンブルクのアルスター湖に浮かぶレストランで会食した際をはじめ、多くの機会に会食相手のドイツ人はosso bucoを注文していた記憶です。ちなみに、私がドイツで暮らした時期は、ちょうどヨーロッパで狂牛病が最も危なかった時期です(この時期にヨーロッパで過ごした私は献血をすることが許されていません。)。

 

今回、メニューのSPECIALITÀ MILANESIという項目にあった

Ossobuco in gremolada con risottino alla milanese

というのを注文しました。

付け合せがリゾットです。というか、Osso bucoの肉はあまり多くないので、ひたすらリゾットでおなか一杯というところです。


 

私の写真もよくないので、ひたすら黄色いサフランのリゾットという感じがします。

見た目も正直、ぐしゃぐしゃなご飯のテンコ盛り状態で、見た感じが食欲わきません。

肉と骨髄だけだったらよかったのにとも思いました。

食後に残ったのはひたすらリゾットを食べたという妙な満足感でして、その後に汗等で身体から排出される水分にはなぜかみなリゾットの匂いがついていました。

 

相方ねずみはミラノ風カツレツを注文しました。

こちらのほうが見た目的にも味的にも正解だったかもしれません。

 

Nabuccoというタイトルからも明らかなように、店内はオペラがテーマです。

ミラノ・スカラ座からも近いところにあります。

]



 



ミラノ・ブレラ美術館

2015年08月18日 | 美術道楽

ミラノ3日目、朝からブレラ美術館です。

予約するほどは多分混まないと思いつつも、どうせローマのボルゲーゼ美術館の予約をする必要になるので、インターネットで一緒に予約をしていきました。

 

予約した時間は開館と同時に8時30分。バウチャーを提示して入場券と交換する時間は8時15分とあります。ところが8時30分になっても40分になっても誰も来ません。来るのは作業員のような人か内部の職員らしき人ばかり。入口を間違えたかと心配になっていたところ、8時45分になってようやくopenです。

 

 

改修等の都合でしょうか。部屋の番号の大きい順から遡るような順番で見ることになりました。最初が18、19世紀のイタリア絵画です。

 

さすが著名なブレラ美術館です。

そのコレクションの質、量とも半端ではありません。

写真撮影は不可と思っていましたが、意外にもオーケーということでしたので、傑作選を写真で紹介します。

 

マンテーニャ《死せるキリスト》

色が暗いという印象でした。

 

 

ジョヴァンニ・ベッリーニ《ピエタ》

シエンティーレおよびジョヴァンニ・ベッリーニ《アレッサンドリアの聖マルコの説教》

 

ティントレット《聖マルコの遺体の発見》

 

 

ピエロ・デッラ・フランテェスカ《ウルビーノ公モンテフェルトロの聖母子と聖人の祭壇画》

遠近法の強調はよくわかります。

しかし人物の動きはとても静かです。

 

ラファエロ《聖母の婚姻》

杖に花が咲いた男、残念がる男が描かれていますが、さっと見ただけでは、わかりにくい感じがしました。花は小さくしか描かれていません。

杖に花が咲くといえば、タンホイザーの話にも出てくる話ですが、ラファエロがテーマとしたこの逸話からワーグナーは着想を得たのでしょうか。

 

 

 

カラヴァッジョ《エマオの晩餐》

人物がいきいきとしていて躍動感を感じます。

この美術館の作品の中で、やはりアピール度は一番のように思います。この作品、来年日本に来るようですので、再会が楽しみです。

 

グエルチーノ《ハガルとイシュマールを追放するアブラハム》

 

ルーベンスほか《最後の晩餐》

ユダともう一人がキリストとはテーブルの反対側に描かれています。

 

アイエツ《接吻》

 

ベリッツァ・ダ・ヴォルペート《洪水》

 

セガンティーニ《春の牧場》

 

 

モディリアーニ《若い女性の肖像》

この絵も暗いという印象を受けました。

 

このほかモディリアーニ、アルベルト・ジャコメッティ、ジョルジュ・キリコなど新しい作品もありました。

さらに新しくはモランディの作品もあります。

以下はすべてモランディの作品(タイトルはいずれも《静物》)です。

 

 

 

 

また、ここには掲げていませんが、ウフッツィにあるピエロ・デッラ・フランチェスカの《ウルビーノ公夫妻の肖像》に似た絵で、ロンバルディア地方の画家による《フランチェスカ・スフォルツァ及びビアンカ・マリア・ヴィスコンティの没後肖像》もありました。

この絵は、2005年に千葉市美術館で開催されたミラノ展に展示された絵です。

 

 

中庭の様子

 

ブレラ美術館には、植物園が併設されています。

絵画館で見た絵に写っている植物を解説するとともに、併設の植物園を解説するパンフレットもありました。

 

 

 

 

ブレラ美術館(絵画館)には、日本語のパンフレットもありました。

 

 

 

 

 

冒頭に書きましたように入場券と時間予約権はインターネットで購入しました。

こちらがそのバウチャーです。

 

 


アンブロジアーナ絵画館

2015年08月17日 | 美術道楽

ミラノ2日目午後から本格的な美術館めぐりです。

最初にアンブロジアーナ絵画館に行きました。

1607年に枢機卿フェデリッコ・ボッロメーオによって設立された図書館に併設された絵画館です。

レオナルド・ダ・ヴィンチによる手書きの原稿「アトランティコ手稿」が有名ですが、このほかにもヴェネチア派を中心とする絵画コレクションが充実しています。

 

館内の作品はすべて写真撮影不可なので、写真はありませんが、レオナルドの《楽師の肖像》とカラヴァッジョの《果物籠》、それとヴァチカンにあるラファエロ《アテネの学堂》の下絵が有名です。

レオナルドの作品は、一昨年日本にも来ました。あまり感銘力のない作品ですが、レオナルドの作品なので貴重です。最初に行った時には、ミラノの王宮で開催されていたレオナルド・ダ・ヴィンチ展(残念ながらミラノ到着直前に終了していました。)に貸し出されていて不在でしたが、ミラノから帰国する直前に再び訪れ、見ることができました。レオナルドの真筆の可能性も指摘されている《ミラノ公爵夫人の肖像画》もみました。あくまでも可能性ではありますが。

 

カラヴァッジョの《果物籠》は、静物画であるにもかかわらず、カラヴァッジョの表現力が如何なく示されています。人物と光の画家と思っていましたが、うまい画家は何を描いてもすごいようです。

残念ながら《アテネの学堂》の下絵は修復中で、画像でしか見ることができませんでした。

 

このほかボッティチェリ《天蓋の聖母子》が印象的です。人物の表情は不安げですが、天蓋の赤は華やかです。これはサヴォナローラ以前か以後かどちらの作品かと考えながら見ました。

このほかティツアーノの作品を多数所蔵しています。ブリューゲルの作品もあります。ブリューゲルのねずみの絵はだいぶ太ったねずみでした。

グイド・レーニの絵もあります。

誰の絵かは忘れましたが、自害するルクレチアを描いた絵もあるのですが、凄惨すぎてどうも好きにはなれません。

このほか、中国の現代作家による現代アートも展示されています。

 

この絵画館は建物が複雑ですが、中庭や建物の内装もきれいです。

建物の内部の階段などとてもよいのですが、写真撮影ができなかったので、写真の許された中庭だけ紹介します。

 

パンフレット

 

 

入場券:2枚のチケットが2度訪れた証拠になります。