道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

あわれ彼女は娼婦(新国立劇場)

2016年06月12日 | 演劇道楽

新国立劇場で上演中の「あわれ彼女は娼婦」のゲネプロにお招きに預かりました。

ジョン・フォード作の戯曲で、小田島雄志先生の訳ということです。

 

ストーリーはとても陰惨で、いささかも明るいところのない、救いようのないお話です。

 

近親相姦になる兄ジョバンニと妹アナベラを中心に、妹への複数の求婚者、求婚者の中の一人で最終的に妹の夫となる男と不倫関係にあった女性の話などさまざまな話が錯綜します。

最終的に登場人物の大半が非業の死を遂げることになります。

アナベラの夫ソランゾへの復讐に燃えるヒポリタの断末魔の呪いが、ことごとく的中し、アナベラ夫婦が破滅するのが恐ろしいようです。

 

 

非常に重い話ですし、共感を持てる登場人物は誰もいません。

ジョバンニは、神の話をしながら、自分の業の深さを弁解しているようにしか見えませんし、そもそも怒鳴っているだけです。唯一まともなのは、修道女になるフィロティスですが、普通そこで修道女になるということになるかなと疑問に思ってしまいます。

 

後味のよくないストーリですが、アナベラを演じた蒼井優は大活躍でした。


Passion(新国立劇場)

2015年10月20日 | 演劇道楽

新国立劇場で上演中のミュージカル「パッション」のゲネプロにお招きいただきました。

 

「パッション」は、1980年制作のイタリア映画『パッション・ダモーレ』をもとに、スティーブン・ソンドハイムによってミュージカル化され、94年にブロードウェイで初演され、その年のトニー賞4部門(最優秀ミュージカル作品賞、主演女優賞、脚本賞、楽曲賞)に輝いた作品ということです。

 

まずはあらすじです。

HPからの引用です

(引用はじめ)19世紀のイタリア、ミラノ。騎兵隊の兵士ジョルジオは、美しいクララとの情熱的な逢瀬に夢中になっている。しかし、ほどなくして彼は、ミラノから辺鄙な田舎への転勤を命じられ、その地で上官リッチ大佐の従妹フォスカに出会う。病に冒されているフォスカは、ジョルジオを一目見て恋に落ち、執拗なまでに彼を追いかけるようになる。クララへの愛に忠誠を誓い、フォスカの愛を受け入れないばかりか、冷たくあしらうジョルジオだったが、やがて......(引用終わり)

 

このあらすじだけですとわからないのですが、実はクララには夫どころか息子までいます。

これに加えてフォスカ(私はトスカと間違って聞いていました。)がストーカー女とくれば、おおよそのストーリーの展開は予想がつきます。このミュージカルの最終的な結末は、私の予想をそう大きく異なるものではありませんでした。

ただ、フォスカは私が思っていたほど、悪い女ではなかったようで、第1幕目のおしまいで張られた伏線が、第2幕目で自分の思ったような展開にはならかったのが意外でした。ちなみに第1幕目が終わった段階では、女性同士で見に来ている人たちは一様に苦笑していました。フォスカの余りの不気味さに気持ちが悪くなり、笑ってその不快感をぬぐうしかなかったのだと思います。

 

基本的にはストーカーで、痛い女性の話なので、あまり見ていて楽しいものではありませんが、興味深いミュージカルではありました。本来その場には居合わせないはずの人物が、御簾の後ろであたかも垂簾朝政のように歌を歌う演出も面白く思われました。新国立のオペラ研修所OBの伊藤達人が脇役ながらもオペラ歌手としての能力をいかんなく発揮して、大活躍していました。


三文オペラ(新国立劇場・渋谷区本町)

2014年09月13日 | 演劇道楽
新国立劇場で開催中の「三文オペラ」のゲネプロに行って参りました。
[作]ベルトルト・ブレヒト
[曲]クルト・ヴァイル
[翻訳]谷川道子
[演出]宮田慶子
[出演]池内博之 / ソニン / 石井一孝 / 大塚千弘 / あめくみちこ / 島田歌穂 / 山路和弘 / 他

といった内容です。

この演目は演劇として上演されるのですが、やはり歌の占める割合が大きいので、役者の皆さんは演劇の能力だけではなく、歌も求められるので大変です。特にドイツ語の台詞で作曲された歌に割り付けられた日本語のとおりに歌わなければならないので、(ドイツ語の台詞は不要になるとはいえ)日本語の字余りのような歌を歌わされて大変です。
主役の池内博之は、やはり歌はあまり得意ではないようです。この劇の最後にはメッキ―の歌が続くのですが、歌い続けるのが苦しそうでした。これに比べポリー役のソニンは演技も歌もうまく感心します。ルーシー役の大塚千弘、ジェニー役の島田歌穂も頑張っていた(役柄上特に歌の場面で)ように思います。ピーチャム役の山路和弘はしぶい声と演技で大活躍でしたが、歌では苦労が多かったようです。山路和弘といえば、現在の大河ドラマでは安国寺恵瓊を演じています。この声を聞くと「官兵衛殿」などという台詞が出てくるのではないかと思ってしまいます。

新国立劇場は、まずオペラ劇場であるおかげでしょうか、皆さん歌も健闘していたと思います。このブログを始める以前にも、世田谷パブリックシアターで吉田栄作主演の三文オペラを見たことがありましたが、その際の上演よりも平均すると歌は良かったように思います。皆で合唱する場面で、ドイツ語の台詞のまま極めて綺麗な発音で歌う歌手も紛れこませるなど、新国立ならではの「伏兵」といいますか強力な助っ人まで用意していました。

それでも、勝手なことを言いますと、この劇は原語であるドイツ語の歌がとてもよいので,やはりドイツ語の歌を聴きたくなります。日本語の歌を聴きながらも、
Anstatt daß, anstatt daß

Machen Sie Spaß, machen Sie Spaß

とか

Und ein Schiff mit acht Segeln
Und mit fünfzig Kanonen
・・・
とかいったサビの部分は自分でも覚えているので口ずさみたくなりますし、ルーシーとポリーの「焼きもちの二重奏」やジェニーのソロモン・ソングなどもどちらかといえばドイツ語で聞きたくなります。
ドイツで三文オペラを見たくなりました。

アルトナの幽閉者(新国立劇場・渋谷区本町)

2014年03月07日 | 演劇道楽
ここのところ新国立劇場ネタです。
今度は、新国立劇場の小劇場で演劇「アルトナの幽閉者」(Les Séquestrés d'Altona)を見ました。サルトル原作の戯曲です。この戯曲は知らず、単に昔ハンブルクに住んでいた時に、しばしばハンブルク・アルトナ駅で電車に乗っており、地名の懐かしさに惹かれて見に行きました。
この劇の主人公の名はフランツ。私の昔のコード名(フランツ・ビーバコップ)と同じ名前です。

あらすじ
(引用初め)1959 年、ドイツ。喉頭癌に侵され余命 6 ヶ月と宣告された父親は、自らが営む造船業の後継者を決めるために家族会議を開く。次男で弁護士のヴェルナーとその妻ヨハンナ、長女レニが参加する中、父親はヴェルナーに会社を継がせ、更に自宅に住まわせようとするが、ヨハンナに猛反発される。一同の心に重くもしかかっているのは、長男フランツの存在であった。
彼は 13 年前にアルゼンチンへと出奔、3 年前に彼の地で死んだことになっていたが、実は第二次世界大戦中に、あることから心に深い傷を負い、以来、妹のレニの世話のもと、ずっと家の 2 階にひきこもったまま狂気の生活を送っていた。フランツを愛する父親の最後の望みは、長男との対面と、彼の世話を次男夫婦がすることであった。ヨハンナの説得により、13 年ぶりに待望の対面を果たした父親とフランツ。はたして一家の辿る運命は……。(引用終わり)

 引用したあらすじだけではわからないので、もう少し書きますと、フランツが心を病むに至った事件とは以下の2つの事件です。
フランツは戦前、ナチに協力する父親に反発し、収容所を脱走してきたポーランド人のユダヤ人牧師を自宅に匿ったものの、密告され、父親がナチの幹部に働きかけたことにより辛くも救われますが、軍人としソビエト戦線に赴くことになります。他方で、フランツの助けたユダヤ人牧師は結局ナチスに引き渡されてしまいます。
 そして、フランツは中尉となって赴いたソビエト戦線で、敵兵の疑いのある二人の農民を捕らえ、最終的には農民を解放しますが、フランツが解放した二人のパルチザンは戦後アルトナを訪れ、フランツの軍務違反につき口止め料を要求し、これもまた父親が解決することになります。


 かくして何とか家に戻ったフランツですが、復員した翌年の1947年には妹レーニを乱暴しようとしたアメリカ兵に傷害を負わせる事件を起こし、今度も父親が解決することになります。父親はフランツをアルゼンチンに行かせるという形を取って、事件をもみ消すことになります。フランツはもうアルゼンチンにはいかず、二階に閉じこもってしまい、父親はフランツの死亡証明書を偽造し、フランツは死んだことにされたまま、こうして13年もの歳月が過ぎていきます。
  ところが家族会議で、フランツの弟ヴェルナーの妻ヨハンナがフランツの存在を知ることとなり、父親の依頼を受けて2階にフランツを訪ねるようになります。そこで見たフランツとは、2階を時折訪れる妹レーニと近親相姦を重ねる一方で、戦争の罪のため虐殺されるドイツ人を、被告側証人として「蟹たち」と称する30世紀の裁判官に向かって弁護するというおかしな妄想に囚われた姿でした。他方で、ヨハンナも、フランツの妄想のなかに、かつて女優であった自分、つまり観客の賛嘆の中で自分を正当化していた自分自身との共通点を見出し、自分も幽閉されていた境遇にあったことに気付くのでした。

 最終的に、父親とフランツは13年ぶりに出かけ、残されたレーニがフランツの部屋に閉じこもることになります。明るく出かけた父親とフランツでしたが、その行先は奈落。つまり、自殺です。そして、フランツの部屋からは、フランツが残した録音機から、20世紀を弁護しようとする訳のわからないフランツの演説が流れます。


「アルトナの幽閉者」のフランス語タイトルLes séquestrés d'Altonaですが、ここで気を付けたいのは定冠詞が複数形のlesであり、séquestrésの語尾にもs(ただし、発音されないs)がついていることです。つまり、幽閉されているのはフランツだけではないのです。この登場人物が皆(ではないかもしれませんが)ほとんどが何らかの形で幽閉されているということです。

 サルトルがこの戯曲を書いたのは1959年で、アルジェリア戦争の真っ最中のようです。この中ではユダヤ人迫害の問題やドイツの戦争責任の問題も垣間見えますが、何といってもテーマは「幽閉」されたというか、自らを追い詰めて幽閉された状況に追い込んだ人々の、救いのない窒息感というようなもののように思われます。
 何せサルトル作なので、とても劇を見て、直ちに理解することができるような代物ではありません。図書館で本を借りましたので、もう少し研究してみたいと思います。

ピグマリオン(新国立劇場)

2013年12月04日 | 演劇道楽
だいぶ前のことになりますが、新国立劇場から劇「ピグマリオン」のゲネプロに招待をいただきました。
オペラはかなり好きなのですが、普段は演劇はあまりみない道楽ねずみも有り難くご招待をお受けして、出かけて参りました。

まずはwikiから「ピグマリオン」の紹介です。
(引用はじめ)『ピグマリオン』(Pygmalion )は、ジョージ・バーナード・ショーによる戯曲。舞台、映画の「マイ・フェア・レディ」の原作にもなった。『マイ・フェア・レディ・イライザ』という日本語の訳題も存在する。1913年初演。英語の発音は「ピグメイリオン」なので注意。
教育によって淑女や「いい女」をというプロットは映画『シーズ・オール・ザット』『プリティ・ウーマン』などにも影響を与えていると言われたり、引き合いに出されたりすることが多い。(引用終わり)

それとHPからの引用です。
翻訳:小田島恒志
演出:宮田慶子
出演:石原さとみ 平 岳大 小堺一機
綱島郷太郎 増子倭文江 橋本 淳 春風ひとみ 倉野章子
佐藤 誓 櫻井章喜 橋幸子 三宅克幸 林 英世 水野龍司
中尾和彦 東山竜彦 柏木ナオミ 一倉千夏 竹内晶美 千田真司
五十嵐耕司 窪田壮史 川口高志 林田航平 井上沙耶香 森川由樹


花売り娘イライサの石原さとみの声はどうも聞き取りにくいと最初思いましたが、これはなまりのある役設定のためとのこと。後でわかりました。ビギンズ役の平岳大は嫌な人間の役にぴったりです。それと、イライザの父親役の小堺一機の演技はなかなかリアルで、浮浪者の役なのですが、演技で臭いが伝わってきそうな感じでした。それとビギンズの母親役も、おちついてとてもいい演技で、脇からしっかりと主役達を支えているという印象を受けました。
劇の冒頭の場面で、主立った登場人物が雨宿りの場で顔合わせをするのですが、その場の音響効果もとてもよく、自分までもオペラの帰りに雨に遭ってしまったかのような感覚を覚えました。
時々は新国立劇場に演劇も見に行こうかと思いました。

それと、本筋とは関係のない話ですが、翻訳:小田島・・というのを見て、自分が学生時代に現役の教授だった小田島先生まだご活躍なのかと思いましたら、あれま下のお名前が違うようで、どうも息子さんのようです。学者の世界ではこのようなことも珍しくないようです。

中劇場の様子





「ピグマリオン」11/12のゲネプロでみました。
上演期間は11/13から12/1まででした。