道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

旧古河庭園・春のバラフェスティバル

2014年05月28日 | 風流道楽
北区西ヶ原にある旧古河庭園に久しぶりに行って参りました。
この時期は春のバラフェスティバルにあたっています。
旧古河庭園では、春と秋の年に2回バラフェスティバルを開催しています。

様々なバラが開花時期をずらしながら咲くので、毎年多くの観光客が訪れます。
私が訪れた先週末も、普段の旧古河庭園では考えられないような混雑ぶりでした。
ジョサイア・コンドル設計の洋館も素晴らしく、花を見ていると、いい気分転換になります。

コンラット・ヘンケル


ジャーマン・アイリス


ARABELLA(新国立劇場)

2014年05月25日 | オペラ道楽
新国立劇場でオペラ・アラベッラを見て来ました。
以前、このブログでも紹介をしましたが、2010年10月に見たのと同じ演出です。

アラベッラとマンドリカ、ズデンカとマッテオの2組のカップル(アラベッラとズデンカは姉妹だが、ズデンカは男装してズデンコという男の子になっている。)の恋愛の話といいますか、内容面ではドタバタ劇に近いものです。

さしたるあらすじではありませんが、このオペラの良さは、音楽、歌手の歌い、そして華やかな舞台です。衣装は森英恵によるものです。
青がトーンの舞台で繰り広げられる華やかな場面、美しい音楽と歌声を聞いていればそれだけで満足することができます。
4年ぶりに見て、忘れていたのでしたが、第3幕目で全ての謎解きがされた後、大団円になるのですが、そこですぐに幕は下りません。最後の場面では、アラベッラとマンドリンか2人が残って、内省的な要素を含んだ歌を歌って終わります。
確かにすぐに大団円でおしまいでは、そこまでこじれていてそれはないだろう、どうしてアラベッラのストーカーをしていたマッテオがいきなりズデンカとひっつくのかとか、あれだけマンドリンカにののしられたアラベッラがそのままマンドリカを許すかといったツッコミをいれたくなります。ここに、最後の場面を入れることで、ドタバタのオペレッタの世界とはやや異なるオペラに仕上げられているような気がします。

このオペラを見て、久しぶりに楽しいと思うことができました。
ここのところしばらくは、何を見ても情報が頭に入らず、何の味も感じられないような状態でしたが、今日のオペラを見て、最近しばらく感じたことのない楽しいという気持ちになることができました。

バルテュス展(東京都美術館)

2014年05月24日 | 美術道楽

上野の東京都美術館で開催中のバルテュス展に出かけてきました。
これに先立ち、新宿歴史博物館で開催されました、河本真理先生(日本女子大学教授)の「バルテュス展~20世紀最後の巨匠の軌跡~」と題する講演会にも参加して、お話をうかがって予習をしておきました。

まずはバルテュス展のHPからの引用です。
(引用初め)ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001)。時が止まったように静謐な風景画や、バルテュス曰く「この上なく完璧な美の象徴」である少女のいる室内画など、どこか神秘的で緊張感に満ちた独特の世界観は、多くの人々に愛され続けています。
その世界的な人気ゆえ、作品の所蔵先は世界中に広がっており、彼が愛したこの日本で我々の目に触れる機会は極めて限定的でした。
没後初の大回顧展が、ついに実現。世界中から集う40点以上の油彩画に加えて、素描や愛用品など100点以上を紹介します。(引用終わり)

バルテュスは、芸術に親しむ環境に育ち、母親の恋人であるリルケが父親がわりであったこともあるようです。バルテュスは11歳の時には、もうネコと少年の関わりを描いた絵本(ミツ)まで書いたそうで、その絵本の絵も展示されています(リルケが序文を書いているとのことです。)。バルテュスは子供のころからネコが好きだったようです。

バルテュスは、また、ルネッサンス期に活躍したピエロ・デッラ・フランチェスカの絵に影響を受け、ピエロの聖十字架伝説の模写も描いています(正確には、バルテュスが再構成をし、興味のないところはそぎ落とされており、完全な模写ではありません。)。聖十字架伝説の絵は、トスカーナ州のアレッツォの聖フランチェスコ聖堂にあり、昔自分も見たことがあります。
また、クールベの影響も受けているということです。

バルテュスは「嵐が丘」の挿絵も描いています。これは登場人物の境遇に自分の境遇を重ねていたとのことです。

しかし、それ以降の絵は、何と評したらよいのでしょうか、人物の動きが止まってしまったような、アンニュイなような、それでいて不穏な雰囲気をたたえた何とも変わった絵が多く残されています。多くが少女の肖像で、中にはスカートの中を見えるように膝を立ててまどろんでいたり、果ては性器を露出させて髪をといでいたりと、あまりいい絵とはいえないように感じてしまいます。
これらの絵を見ていると、やはりナボコフの「ロリータ」のような趣味なのかなと考えてしまいます。

バルテュスはロリコン疑惑を否定しているようですが、他方で少女という存在を「これから何かになろうとしているが、まだなりきってはいない。この上なく完璧な美」と位置づけていると聞きましたが、それってやはりロリコンなのではと短絡的に道楽ねずみは考えてしまいます。そもそも、結婚も50をすぎてから日本の女子大生と知り合って、そのまま結婚しているしなどとも考えてしまいます。

その中で、私の関心をひいたのは「地中海の猫」という絵です。頭から上だけ猫(今回はキトラの話ではありませんが)になっている人物(猫物?)が今まさしく虹から回り込んで食卓に飛び込んでくる魚を食べようとしている絵です。
これも、不思議で、やはり不安定な感じのする絵でしたが、海辺のレストランに描かれた絵と聞き納得しました。猫の出入りするようなレストランは料理がおいしいというような俗説も聞いたことがありましたから。

新宿御苑のバラ

2014年05月19日 | 風流道楽
新宿御苑はいまちょうどバラの花が見頃です。
梅、桜、ツツジ、サツキといった花の時期はあっという間に過ぎ去りますが、まだまだ花を楽しむことができます。
週末の余暇の過ごし方は、本当はこれが一番です。

フリージア


中村一美展(国立新美術館)

2014年05月18日 | 美術道楽
国立新美術館で開催中の中村一美展を見に行きました。
地下鉄の広告で見て、その抽象絵画は自分のセンスに合いそうと思い、関心を持ちながらなかなか行くことができませんでした。

まずはHPから企画展概要を引用します。
(引用初め)1980年代初頭に本格的な絵画制作を開始した中村一美(1956生)は、同世代の中でも、もっとも精力的な活動を展開してきた現代美術作家・画家の一人です。
―絵画は何のために存するのか。絵画とは何なのか。中村は、この疑問に答えるために、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンなど、西欧のモダニズム絵画の到達点とみなされていた戦後アメリカの抽象表現主義絵画の研究から出発し、彼らの芸術を乗り越える新たな絵画・絵画理論を探求します。中村が特に参照したのは、日本の古代・中世絵画、中国宋代の山水画、朝鮮の民画など、東アジアの伝統的な絵画における空間表現や、形象の記号的・象徴的作用でした。また中村は、絵画の意味は別の絵画との差異の中にしか存在しえないという認識に基づく「示差性の絵画」という概念を、すでに1980年代に提出しています。それゆえその絵画は、同じモティーフに拠りながらも、つねに複数の作品が差異を示しながら展開する連作として制作されてきました。「存在の鳥」連作に代表される近年の絵画では、象形文字を思わせるマトリクスに基づきながら、多様な色彩や筆触や描法を駆使することで、抽象とも具象とも分類できない、新しいタイプの絵画の創造に取り組んでいます。
展覧会では、学生時代の習作から最新作「聖」まで、およそ150点の作品によって中村一美の絵画実践の全貌を紹介するとともに、2010年に構想されながら実現を見ていない、斜行グリッドによるウォール・ペインティングを初めて公開いたします。日本の現代絵画・現代美術の、到達点の一つを確認する絶好の機会となることでしょう。(引用終わり)


初期の作品もあるので、具象画から抽象画に変遷していく過程も一部窺い知ることができました。
展示は、テーマごと、それも「Y型」、「斜行グリッド」、「破庵(Broken Hermitage)」、「連差―破房(Ranging Difference― Broken Shelter)」,「存在の鳥」、「聖」などのよく中身の分からないテーマごとに分かれています(日本語だと全く訳の分からないものもあり、英語の方がかえって分かりやすくなっています。)。

カンディンスキーのような抽象絵画がスケールの大きな画面に描かれ、しかも時にきつい原色の色使いがされ、絵の具も飛び出さんばかり厚塗りでした。そして個々の絵の一部には、日本や中国の伝統的なテーマの画題が付けられていて、何だか訳の分からないと言うが煙に巻かれたような感も否めません。

ライプツィヒの造形美術館でみたような現代的な抽象絵画ではあります。それがアジアの伝統的なイメージがうまく融合しているのかどうか正直私には図りかねます。あまり深いことは考えずに、絵画を純粋に楽しむことができました。

展示室の中で壁一面がオレンジ色に塗られ、そこに斜線の描かれた部屋に「存在の鳥」の絵が何枚も掲げられている部屋は正直、目がチカチカしそうで、余り落ち着くことはできませんでしたが、「北奥千丈」や「存在の鳥107《キジ》」などはなかなか良いと思いました。

カヴァレリア・ルスティカーナ(新国立劇場)

2014年05月14日 | オペラ道楽
先日、新国立劇場でオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」のゲネプロに行って参りました。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」、「道化師」それぞれ独立した別のオペラなのですが、上演時間がいずれも75分と短めのため、2つセットで上演されます。これは新国立だけがそうしているのではなく、一般的な上演の仕方です。

ゲネプロですと、オーケストラの演奏者も私服で来るので、驚きました。これではオペラ歌手まで私服だったらどうしようかと心配しましたが、さすがにこちらはステージ衣装でした。
小型オペラの上演でしたが、オーケストラの編成も充実しており、美しい音楽を楽しめました。
演出も奇をてらうことなく正当派のものだったようです(この演目で変わった演出は無理があるかも知れません。)。

ただ、道楽ねずみは、現在いささか心身に不具合を抱えており、今回のゲネプロ見学の予習のためにCDを図書館から借り出していたものの、直前までいけるかどうか危ないところでしたので、全く予習なしに行ってしまいました。というような状況でしたので、予備知識もなく、朦朧とした状態で行きました上(風邪等うつる病気ではないので、他の人には迷惑をかけていません。)、ゲネプロなのでパンフレットもなく、十分にあらすじを理解しないまま、有名な間奏曲の素敵な調べを味わって帰りました。

「道化師」も見たかったのですが、さらに75分のオペラ鑑賞には耐えられそうにもなかったので、こちらは見ないで帰りました。つくづく惜しいことをしたものです。
いい席を確保するために長時間並んでくれた相方ねずみに申し訳ない気持ちで一杯になりました。

おっと明るい話にしなければと思います。

また、心身をリフレッシュして、また別の機会にオペラを楽しみたいと思います。

「ワレサ連帯の男」(岩波ホール)

2014年05月09日 | 映画道楽
岩波ホールで開催中のアンジェイ・ワイダの「ワレサ連帯の男」を見に行きました。
ワイダは、以前にも「鉄の男」で連帯やレフ・ワレサをテーマにした作品を製作しています。「鉄の男」でも本作品でも、ワレサが労働者の仲間の肩車に乗って登場する場面があります。

さて、「ワレサ連帯の男」ですが、1980年代初頭のグダンスクのレーニン造船所で電気工として働くレフ・ワレサの家をイタリア人ジャーナリストが訪問し、インタビューを受けるという場面から始まります。時期は特定されていませんが、まだ秘密警察の監視が続けられていますので、ブレジネフが死亡し、ワレサが監禁を解かれ、ノーベル平和賞を受賞したころなのでしょう。
そこからインタビューを受けながらのワレサの回想として、1970年の暴動、1980年の独立自主管理労働組合「連帯」の創設とストライキの勃発、1981年のヤルゼルスキ将軍による戒厳令布告とワレサの拘束、そして前記のようにブレジネフの死亡とワレサの解放、そしてノーベル平和賞の受賞へと話がつながります。最後は、インタビュー終了後の出来事として、円卓会議、選挙での連帯の勝利、ベルリンの壁の崩壊、ワレサのアメリカ議会における演説で終わります。

ストーリーは史実に従い、ドキュメンタリーのように展開するので、とても分かりやすいと思います。もっとも私のような老人、否、老鼠には、すべてストーリーが現代の出来事として知っているからなのかもしれません。
印象的でしたのは、ワレサの家庭人としての様子などを描いていたことです。そして、インタビューの場面を見ても、ワレサのいささか傲慢でわがままな感じ、思い込みの強さやしたたかなところ等人間的に必ずしも良いともいえない面も描かれていたことです。

「時代が自分を必要としていた。」、「インテリが5時間かけて議論して決めることを自分なら5秒で決める」といった発言など、風貌も相まって本物のワレサの発言かと思ってしまいます。

ワレサを語るには、「時代が必要としていた。」というこの発言に尽きるように思います。

他方で、ワレサはインタビューの場面でもしソ連軍が攻めてきたら、という質問に、曖昧な答えに終始しています。実際、あの当時、東ヨーロッパでは「ブレジネフ・ドクトリン」がまかり通っていたのですから、いつハンガリーやチェコ・スロヴァキアのようにワルシャワ条約機構軍が侵入してきてもおかしくなかったはずです。そのあたりの状況についてのワレサの認識などもここに描かれたとおりだったのだろうなと思いながら見ました。
時代はワレサと同時に、連帯を押さえ込むことによってかろうじてソ連軍の侵攻を食い止めたヤルゼルスキ将軍をも必要としていた筈です。

この映画の最後の場面が1989年11月15日のアメリカ議会における演説の場面というのも非常にいいタイミングのエンディングです。何せその後、レーニン造船所自体が閉鎖されているのですから。
そして、実際は、その後、ワレサはポーランドの大統領に就任しますが、政治家としての見識は正直どうかというところでしたし、その演説も旧東ヨーロッパの体制を非難するだけで、あまり深みがなかったような記憶です。実際1995年の選挙では大統領に再選されませんでした。このあたりが全国的なストライキという危機的な状況では、活躍しつつも、平時には所詮もともとは電気工だからと受け止められてしまう彼の個性を見事に表しています(その後、むしろヤルゼルスキ将軍の方が再評価されていたような記憶です。)。

チェコ・スロヴァキアのアレクサンデル・ドゥプチェク(元チェコスロヴァキア党第一書記・プラハの春の指導者)がビロード革命の後、連邦議会議長となり、「プラハの春」の頃と同じように2階から広場に向かって独特の人を抱きしめるような仕草をいつも示して、市民から愛され、交通事故によって死亡するまで市民から慕われたのとは、似ているようで異なる気がします。


なお、この映画ではワレサ以外に隠れた重要な登場人物がいます。それは、当時の教皇ヨハネス・パウロ2世です。映画には教皇の映像や肖像画がしばしば出てきます。あの当時、ポーランド出身の教皇がいるということが、ポーランドの人々を精神的に支えてくれたのでしょう。


栄西と建仁寺展再訪(東京国立博物館)

2014年05月08日 | 美術道楽
キトラ古墳展をみにいったついでに「栄西と建仁寺展」を見に行きました。
平成館での企画展の方がついでなので、不思議です。

展示換えがある企画展で、ゴールデンウィークの時期だけには海北友松の「雲龍図」が全てそろいます。この企画展はさながら海北友松の個展という感もあります。
前期で一部見た十六羅漢図もメンバーを交代して展示されていましたが、もう前期の作品を記憶しておりません。

そして、企画展ではなく常設展には尾形光琳の風神雷神図が展示されています。
宗達と光琳の2つの風神雷神図、残念ながら並べられてはいませんが、同一の機会に鑑賞することができます。

尾形光琳の風神雷神図







燕子花図と藤花図(根津美術館・港区南青山6丁目)

2014年05月07日 | 美術道楽
毎年、根津美術館でこの時期は尾形光琳の燕子花図屏風を展示しています。今年は、円山応挙の藤花図屏風も展示されています。
円山応挙の藤花図屏風は余白がタップリととられており、それがとても素晴らしく思われました。


5月の初めには根津美術館の庭園のカキツバタも満開ですし、藤の花もいささかしおれてきたとはいえ、まだ残っており、いいコラボレーションを見ることができました。

根津美術館はこの時期に行くこともあるという程度の訪問回数ですが、こんなに満開のカキツバタを見ることができたのは初めてです。

藤棚


キトラ古墳壁画展(東京国立博物館)

2014年05月05日 | 美術道楽
4月22日から5月18日までという短期間ではありますが、東京国立博物館でキトラ古墳壁画展を上野の東京国立博物館で開催中です。
オープニングセレモニーには安倍首相や高市早苗政務調査会長まで出席したという力の入った展覧会です。

まずはHPから企画の趣旨を引用します
(引用初め)奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画を、特別公開します。「四神(しじん)」のうち白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)・朱雀(すざく)、「十二支」のうち、獣の頭に人の体を持つ子(ね)・丑(うし)を展示します。
壁画は、2016年度を目処に、国土交通省が国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区内に新設する予定の「体験学習館(仮称)」の「壁画保存管理施設」(当該部分は文化庁による設計・施工)における保存公開を目指して修理が行われていますが、修理(再構成)が完了した後では、壁画を遠方へ移動して公開することは技術的に困難になります。
そこで、壁画の再構成作業が本格化する直前に、東京国立博物館で特別に公開し、これまで進めてきたキトラ古墳壁画の修理と、今後の保存活用の展開を紹介いたします。キトラ古墳壁画が、村外で公開されるのは今回が初めての機会となります。(引用終わり)

オープニングの内覧会には、描かれたねずみ属の代表として我が家も招待されたので、相方ねずみに行ってもらいました。

さて、この古墳展ですが常設展の展示されている本館の特別5室という小さなスペースを使って展示されています。さしたる規模でもないのに、企画展扱いなので、企画展用の特別チケットが必要になります。
しかも、目下平成館で開催中の企画展「栄西と建仁寺展」を上回る長蛇の列です。混雑状況はTwitterで随時公開されており、また延べの入場者数も5月2日時点で5万人とのこと。

展示内容ですが、古墳の壁画を再現した陶板や刀などの埋葬品の解説のほか、本物の古墳壁画も公開されています。入場までに私は30分待ちでしたし、入場した後も陶板を見るだけでも動きの極めて遅い列に並び、辛抱強く待って見ることになります。そして、本物の壁画のコーナーの長蛇の列に並んで見るときはさっと見終えることになります(このほか高松塚古墳の壁画の模写製もあります。)。
正直、陶板はともかく、本物の壁画は何が描いてあったのか分からないまま出てきたというのが実態です。
北壁のコーナーにはねずみが描かれていた筈なのですが、それもわからず、前に並んでいた夫婦の方も、
「ねずみいるかな」「ねずみはどこ?」とねずみを一生懸命探していました。
道楽ねずみなら列の後ろに並んでいますともいえずに、こちらも仲間のねずみを発見することができないまま美術館を後にしました。

何が描かれているのか誰もよく見えないのに、みんなが列をなして、見に行く。不思議な世界です。シュルレアリズムの芸術を見に行ったような気分です。本当にこの壁画をよくみたいのであれば、図録を丹念に見るのがいいのでしょうし、またテレビの番組(例えばぶらぶら美術館)ででも紹介してくれるといいなと思いました。

この規模の企画展では信じ難いほどの長蛇の列



白貂を抱く貴婦人

2014年05月04日 | 美術道楽
5月2日に静養先から帰宅しましたが美術カレンダーはレオナルドの「白貂を抱く貴婦人」でした。

私はこの絵を2回見たことがあります。
初めに見たのは1995年にクラクフを訪れたときのことです。
チャリトルスキ美術館という、昔の貴族の館をそのまま美術館にした建物にありました。
チャリトルスキ美術館自体は種々雑多なコレクションですが、その中の至宝中の至宝がこの絵なのです。
何でもこの絵を見るためだけのためにこの美術館を訪れる観光客もいるとか。

・・・ここまで書いて急に思い出しました。
この話はもう一度ブログに書いたことがありました。
段々ボケが始まっているのかも知れません。


さて、件のレオナルドの絵ですが、2001年か2002年に横浜美術館に来たことがありました。
レオナルドの絵というだけでも貴重な上、世界的にも有名な絵画な割にはなぜか美術館の入館者が少なく、ゆっくりとこの絵と再開することができました。日本では知名度が低いのだろうか、横浜美術館の宣伝が不十分だったのだろうかと不思議に思いながら見た記憶です。

支倉常長像と南蛮美術展(東京国立博物館)

2014年05月01日 | 美術道楽
今年に入ってから異常なほど忙しくなり、少し変調を来し、そのままブログに紹介するのを忘れたものがあるのを思い出しました。
東京国立博物館では3月23日まで「支倉常長と南蛮美術展」という企画展をやっていました。といいましても常設展のスペースで常設展の料金の範囲内で見ることができました。
個人所蔵の支倉常長像と南蛮図屏風、世界図屏風程度のこじんまりとした企画でした。

支倉常長像の頭の上には何と逆まんじ(つまり卍を左右対称にしたもの。卍の上の部分が右の方向を向いたあの鉤十字のデザイン)が描かれています。これが支倉家の家紋と言うことでしたが、ドイツだったらこの肖像画展示することができるのでしょうか?