道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

秋の特別公開(東京国立博物館)

2013年09月30日 | 美術道楽
東京国立博物館の秋の特別公開に行って参りました。9月18日から29日までという短い期間ですが,二菩薩立像図,和漢朗詠集下(益田本),国宝竹斎読書図,酒井抱一「夏秋草図屏風」などが展示されていました。それと,同じ時期の公開として国宝 華厳宗祖師絵伝 元暁絵 巻上も展示されていました。

酒井抱一の「夏秋草図屏風」の前はいつも人だかりです。

短い公開期間でしたが,何とか訪問できてよかったです。

和漢朗詠集下(益田本)



国宝竹斎読書図



酒井抱一「夏秋草図屏風」


西洋絵画の流れ-ブリューゲルからピカソまで 特別展示ジゼル・ツェラン=レトランジュ

2013年09月29日 | 美術道楽
神奈川県立近代美術館の鎌倉別館で開催中の「西洋絵画の流れ」と題する版画の展覧会に行きました。

ブリューゲルから始まり、ゴヤ、ブレイク、マックス・クリンガー、ルオー、ムンク、シャガール、オットー・ディクス、ピカソなどの神奈川県立近代美術館の所蔵する版画コレクションを見ることができます。
ブリューゲルの版画はもちろん有名ですが、それ以外のものもとても素晴らしいです。特に7月の旅行で、ライプツィヒでマックス・クリンガー(ライプツィヒ出身)の作品を、ベルリンのSammlung Sharf-Gerstenberg(シャルフ・ゲルステンベルク・コレクション)でゴヤの作品を見て間もなかったので、よい復習となりました。
そういえば、まだシャルフ・ゲルステンベルク・コレクションのこともベルクグリュン美術館のこともこのブログで紹介していませんでした。


今回の展覧会では、ジゼル・ツェラン=レトランジュの版画展も開催されていました。ジゼルは詩人パウル・ツェランの妻です。パウル・ツェランはユダヤ人で、強制収容所に収容されていた経歴を有し、戦後はナチスによるユダヤ人虐殺をモチーフにした代表作「死のフーガ」などの作品を残しています(因みに、「死のフーガ」が収録されているのが、詩集「ケシと記憶」であり、それと同じタイトルの作品を残しているのがアンゼルム・キーファーであり、その作品はベルリンのハンブルグ駅現代美術館に展示されています。)。ジゼル・ツェランの作品がまとまって公開されるのは日本では初めてということです。パウルの詩とジゼルの版画がセットになった作品(例えばSchwarzmaut(闇の通行料)やAtemkristall(息の水晶)なども展示されていました。

今回の企画展、小規模ではありますが、とても気に入りましたので、久しぶりに図録まで買いました。12月1日まで開催予定なので、もう一度行きたいところです。

トスカーナと近代絵画(損保ジャパン東郷青児美術館)

2013年09月25日 | 美術道楽
ベルリン編の途中ですが、ベルクグリュン美術館を初めとするシャルロッテンブルクの3つの美術館の話は後にしまして、東京の秋の美術展の話にします。

損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「トスカーナと近代絵画」展に行って参りました。これは、フィレンツェのピッティ宮殿は、なんといっても2階部分のパラティーナ美術館のラファエロのコレクションで有名ですが、ルネッサンス期の絵画を収蔵したパラティーナ美術館だけではなく、3階には近代美術館があり、そこには、主にトスカーナの18~20世紀の絵画と彫刻群を収蔵しているとのことです。私も、ピッティ宮殿はいったことがありますが、近代美術館の存在は知りませんでした。
このフィレンツェ近代美術館は特にマッキアイオーリに属する絵画で有名とのことです。マッキアイオーリとは、1850年ころ、イタリアのリソルジメント(国家統一運動)を背景にトスカーナ地方で生まれた絵画の流派のことでありまして、自然の光を生き生きとした状態で定着させるべく色斑で描写した絵画のことでして、イタリア語で「しみ」「斑点」を意味する「マッキア(macchia)」に由来するということです。イタリアの印象派とも言われるようです

構成は4章建てであり、1章では19世紀前半からイタリア統一までのトスカーナの美術を概観し、2章ではリソルジメントが生んだフィレンツェの美術運動マッキアイオーリの革新性を象徴する小品群をクローズアップ、3章では統一後の様々なトスカーナ絵画を、4章では統一後のイタリア絵画の主な画家たちを紹介する内容でした。
第1章 トスカーナのロマン主義絵画にみる歴史と同時代性
ジュゼッペ・ベッツォーリ、エンリコ・ポッラストリーニ、アンドレア・ピエリーニ、アントニオ・フォンタネージ、アントニオ・チーゼリ、ドメニコ・モレッリ
第2章 新たなる絵画 マッキアイオーリ
ジョヴァンニ・ファットーリ、ジュゼッペ・アッバーティ、ラファエッロ・セルネージ、ヴィンチェンツォ・カビアンカ、テレマコ・シニョリーニ
第3章 トスカーナにおける19世紀と20世紀絵画の諸相
プリニオ・ノメッリーニ、フランチェスコ・ジョーリ、ヴィットリオ・コルコス、ガリレオ・キーニ、オットーネ・ロザイ、プリモ・コンティ
第4章 20世紀の画家たち: イタリア絵画の立役者たちとその傾向
ジョルジョ・デ・キリコ、フィリッポ・デ・ピシス、ジュゼッペ・カポグロッシ、カルロ・カッラ、マリオ・シローニ、アルベルト・サヴィーニオ

「チマブーエとジョット」(サバテッリ)や「ダンテとベアトリーチェの出会い」(ピエリーニ)というルネッサンスのテーマの絵画から始まり、「従姉妹アルジアの肖像」(ファトーリ)、「フィレンツェ旧市街の通り」(シニョリーニ)などのマッキアイオーリ風の作品(ファトーリのイタリア統一戦争をテーマにした作品も興味深く思われました。)、さらにはその後の時代に属する「聖アントニウスの誘惑」(モレッリ)、「南イタリアの歌」(ジョルジュ・キリコ)に至るまで様々な作品を見ることができました。

Kleine Oragerie(Schloss Charlottenburg)

2013年09月24日 | 食道楽
シャルロッテンブルク宮殿の敷地内にあるクライネ・オランジェリーという店で昼食を食べました。
建物の内部のほかにオープンテラスでも食事ができるので,オープンテラスで食べました。
昼だったので,簡単に済まそうとしまして,ベルリン名物カレーソーセージにしました。
カレー粉のアクセントの他に,トマトソースも工夫してあり,美味しくいただきました。



ゾフィー・シャルロッテの肖像とシャルロッテンブルク宮殿の絵の印刷されたナフキン



冒頭の写真はクライネ・オランジェリーのHPからお借りしました。



シャルロッテンブルク宮殿(ベルリン)

2013年09月23日 | 美術道楽
久しぶりにベルリンのシャルロッテンブルク宮殿に行きました。私も昔,シャルロッテンブルク地区に住んでいたこともあり,懐かしいスポットのい1つです。

昔は,ベルリンの観光地といえば,シャルロッテンブルク宮殿+その近くのエジプト美術館とダーレムの美術館でありまして,旧東ドイツには1日だけ滞在してブランデンブルク門の正面,テレビ塔,美術館島を簡単に見る程度でした。何せ昔はKultur Forumもなく,ハッケッシャー・ヘーフェも廃墟のような状態であり,美術館島も現在のように完成した形ではありませんでしたから。
現在ではベルリンの観光名所が増えて,シャルロッテンブルク宮殿もかつてほどはメジャーな存在ではないかも知れません。

シャルロッテンブルク宮殿は,プロイセン王フリードリヒ1世が1699年に妃ゾフィー・シャルロッテのために建設した宮殿で,当初は「リーツェンブルク宮殿」(Schloss Lietzenburg)および「夏の館」と呼ばれていましたが,ゾフィー・シャルロッテの死後に彼女を因んでシャルロッテンブルク宮殿と名前が改められたそうです。地下鉄の駅にゾフィー・シャルロッテプラッツという私にはとても馴染みの駅がありますが,この駅の名前は言うまでもなく,シャルロッテンブルクという地名自体もゾフィーに因んだ名前です。

さて,シャルロッテンブルク宮殿ですが,Zoo駅からテーゲル刑務所,ではなくテーゲル空港行きのバス(109番。特急のX9は止まりません。)に乗って行きました。地下鉄から歩くのは少し大変ですので。
着いてみますと,開館前というのに,これまた高校生と思わしく集団が先頭にいて,その後も外国人が並び,意外に込んでいます。しかも,荷物を預けて入館しようとすると,入り口のおばさんに音声ガイドを勧められます。もうシャルロッテンブルク宮殿を訪れるのももう3回目でもありますし,音声ガイドはいいと断ったのですが,係のおばあさん,借りていけ,お金はかからないとしつこいです。結局,前に並んでいた高校生のグループも含め,全員がもういちど入り口から引き返して音声ガイドを借りることになり,随分と手間取ってしまいました。

陶器の間:ここが一番有名です。



宮殿内の写真





庭園が綺麗です。





何故かラファエロの作品?が展示されています。ここはドレスデンかフィレンツェか(模写です)

システィーナのマドンナ(ドレスデン・アルテマイスター絵画館)の模写



大公の聖母(ピッティ宮殿)の模写




シャルロッテンブルク城の本館だけではなく,別館の絵画の展示室Neuer Pavillonにも行きました。
Neuer Pavillonは,プロイセン王フリードリヒ3世がナポリの海岸に面したChiatamone別邸を訪れたことに触発され,1824年から25年にかけてカール・フリードリヒ・シンケルに命じて,シャルロッテンブルク宮殿の新翼(Neuer Flügel)の隣に建設させた建物で,フリードリヒ3世は2番目の妃と暮らしたそうです。

Neuer Pavillonにあった絵画:メモがなくなって分からなくなりまして,シャルロッテンブルク宮殿のHP上でも確認することができませんが,確かカスパー・ダヴィッド・フリードリヒの絵が多かったようです。





BelvedereベルベデーレやMausoleumマウソレウム(霊廟)には行きませんでした。
MausoleumはDie Mausとは関係ありませんが,マウスのホームページにもMausoleumというコーナーが昔ありましたし,どうしても反応してしまいます。

Maximilians(Berlin Stadtmitte)

2013年09月19日 | 食道楽
ベルリンで宿泊したホテルの1階にあったMaximiliansというレストランで食事をしました。
ベルリンにいるのに,バイエルン料理というのもどうかという気もしましたが,ベルリンの名物レストランはZur letzten Instanzも初めそこそこ行きましたし,何せ余りの暑さでなかなか出かけるのもおっくうになったこともあり,近場のレストランでということで,このレストランになりました。
結局,ここでは3回ほど食事をしましたが,最初に紹介しますのは,バイエルン名物の白ソーセージです。昔,相方ねずみとミュンヘンのケーニヒスホーフというそこそこセレブなホテルに新婚旅行で泊まったときにも食べた料理です。バイエルン名物をベルリンで食べるというのも不思議な気もしましたが,おいしくいただきました。マスタードが甘みのある不思議な味です。


KaDeWe,オーストリア投資グループの手へ

2013年09月18日 | ドイツ語
ベルリンのヴィッテンベルク広場駅の近くにあるKaDeWe(カー・デ・ヴェー)はドイツでも屈指のデパートです。道楽ねずみもベルリンに行けば,いつもここでお買い物と決まっておりまして,今回のドイツ旅行でも相方ねずみと一緒に随分買い物をしました。KaDeWeはいつ行ってもわくわくするデパートです。
いずれKaDeWeでの買い物のこともブログで紹介しようと思っておりましたところ,昨日のBerliner Zeitungの電子版を読んでおりましたら,何とKaDeWeがオーストリアの投資会社に譲渡されるとのこと。

ブログの以前の記事でも紹介しましたが,KaDeWeはKarstadtというデパートグループの一員でありましたが,Karstadtの持株会社は倒産手続開始決定がされております。そして,最終的にはKarstadtの店舗はすべて持株会社から個人投資家ニクラス・ベルクグリュン氏に売却され,Karstadtの店舗は一体としてベルクグリュンの経営に委ねられることになっておりました。ところが,ここにきて,やはりKarstadtの各店舗の経営が良くないのか,ベルクグリュンはKarstadtの各店舗のうち,最も経営状況のよい3つの高級店舗,つまりベルリンのKaDeWe,ハンブルクのAlstershausのほかミュンヘンの店舗,それとスポーツ関連の部門の約4分の3の出資口をオーストリアの投資グループSignaに譲渡することを決めました。これによって,とうとうKarstadtの全店舗の中から高級店舗だけが違う経営主体となる見込みとなりました。
経営主体が変わるだけで,しかもオーストリアの投資グループが経営主体となるのであって,アジアの金満なだけのいかがわしい資本の手に落ちるのではないのですから,KaDeWeもブランド力が落ちることもなく,セレブなイメージは維持されたままでしょう。

ヴィッテンベルク広場駅



ベルクグリュン美術館(ニクラス・ベルクグリュンの父親ハインツのコレクション)も7月に行きましたので,別途,後で紹介します。

クンスト・ハレ(Kunst Halleベルリン)

2013年09月15日 | 美術道楽
思いがけぬ出来事があり,ブログの更新を怠っていました。
本日,開催されるミラノ・スカラ座のリゴレットにも行けなくなりました。以前にもミラノ・スカラ座の来日公演には突然,行けなくなったことがあり,よくよく,縁がないのだと思います(今まで突然行けなくなったことなど2回しかないのに,いずれもミラノ・スカラ座のオペラでした。)。

さて,またベルリン旅行に戻ります。
ベルリンでHamburger Bahnhof Museumに行った後,ウンター・デン・リンデンにあるクンスト・ハレに行きました。
ここは昔,ドイツ・グッゲンハイム美術館があったところです。グッゲンハイム美術館は2012年で閉館し,代わりにできたのが,クンスト・ハレです。スポンサーがドイツ銀行ということは変わっていないようです。

クンスト・ハレでは,企画展としてImran Querashiの個展が開催されていました。



イムラン・ケラシといっても私は名前すら知らなかったのですが,1972年生まれのパキスタンの芸術家で,ドイツ銀行の選ぶ2013年の芸術家に選出された人なのだそうです。
作品は赤い物が多かったようです。

特にこちらは血のモチーフで作られているようです。「血」というモチーフが明示されている作品はこの作品くらいでしたが,ほかにも金地に赤の作品もあり,どうも血のイメージが強くなりました。



別の作品





Hamburger Bahhof Museum(ベルリン・ミッテ地区)

2013年09月10日 | 美術道楽
今回,Hamburger Bahhof Museumに再訪しました

ベルリン中央駅の近くにある現代アート専門の美術館です。もともとは駅舎を利用した美術館なので,建物内には駅の表示もあります。



駅の中の落書きのような作品もあります(正式展示物ではないと思いますが。)




企画展と常設展があるのですが,美術館自体が複雑な構造になっていて,もう見終わったかと思ってミュージアムショップに行くと,その向こうにさらに企画展があったりするので,要注意です。前回訪れたときには,失敗して途中で力尽きたので,今回はとにかく軽く一周して,気に入ったものはもう一回見に行くというつもりで回りました。


企画展その1はHILMA AF KLINTの作品展です。こちらは,花のような抽象画です。スウェーデン出身の芸術家のようですが,私は全く知りませんでした。それでも何も考えずに見ても,楽しむことができました。



エロス・シリーズ



企画展その2は,BODY PRESSUREというタイトルで,1960年代以降の彫像がテーマでした。「彫像」というテーマではありましたが,レームブルックの作品のようないわゆる彫像もあれば,普通「彫像」とはいわないようなリアルな人物の模型あり,映像ありで様々です。ゲオルグ・バゼリッツの木に倒立した人物が描かれた作品やナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)のよくわからない作品もありました。

バゼリッツ:倒立したというのは思い込みだったかもしれません。



このほか企画展なのか常設展なのかよくわかりませんが,マルティン・キッペンベルガーの「非常によい」という作品も展示されていました。


そして,常設展です。実は今回も失敗しました。クロークの向こうにさらに常設展があるのに気づかず,最後になって気づきました。しかし,見落としたのはカフェ・レストランSarah Wienerに隣接した空間だけでしたので,それほど疲れずに見ることができました。常設展でも,アンゼルム・キーファー,リキテンシュタイン,アンディ・ウォーホルなど様々な作品が展示されています。今,東京で個展が開催されているアンドレアス・グルスキーの写真もありました(こちらの美術館で見た後,東京の国立新美術館を再訪しました。)。

リキテンシュタイン「不完全なペインティング」



ウォーホル「カモフラージュ」



グルスキー「シンガポール証券取引所」:東京で知りました。「証券取引所シリーズ」の1つです。




アンゼルム・キーファーの「ケシと記憶」(飛行機のような作品の方です。詩人パウル・ツェランの詩集のタイトルにちなんでつけられたタイトルで,この詩集にはナチスによるユダヤ人虐殺をモチーフにした「死のフーガ」が収められています。キーファーの作品もナチズムとホロコースト(ショアー)に関連して作成されたものであります。):以前は旧博物館で見ました。
なお,遠景にあるのは「紅海のリリス」Lilith am Roten Meer


Neues Museum(ベルリン博物館島)

2013年09月09日 | 美術道楽
ベルリン観光のスタートは博物館島のNeues Museum(新博物館)です。
2009年の正月にベルリンに行った際には,まだ開館していなかった美術館で,今回ベルリンでどうしても行きたかった場所です。

ネフェルティティ像を初めとするエジプト考古学のコレクションや先史の時代にかかわるものなど古い時代のコレクションを収蔵しています。そのコレクションもさることながら,戦前の古い建物を残しながら再建された新博物館の建物そのものも見所です。
新博物館は,1843年から1855年にかけて,建築された建物で,博物館島では旧博物館に次いで古い建物です。その設計はカルル・フリードリッヒ・シンケルの弟子であるフリードリッヒ・アウグスト・シュテューラーが担当したとのことです。新博物館は,第2次世界大戦によって徹底的に破壊され,再建しようにも,容易には再建できないほどひどい状態であったため,旧東独時代,そして統一後とそのまま放置されてきました。その再建は,ベルリンの最後の復興とも言われましたが,とうとう2009年10月に再建され,公開されております。
内部も写真のように,古いままの状態です。



ボロボロの柱もあります。





何故かフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会のサン・ジョヴァンニ洗礼堂にあるギベルティ作「天国の門」までありました。



この新博物館のコレクションといえば,何と行ってもネフェルティティです。このネフェルティティ像も昔は,シャルロッテンブルクのエジプト博物館にあり,その後,博物館島に移って一時期は旧博物館にありました。前回訪れた2009年1月の時点ではまだ旧博物館島にありましたが,とうとう新博物館の完成と共にここに移り,ネフェルティティもようやくこれで居場所が定まったようです(エジプトに返還されるというようなことがあれば別ですが,そのようなことはないでしょう。)。

今はネフェルティティの写真は撮影できませんので,これに替えます。



それとネフェルティティのテーマの現代アートです。





余談:今回は博物館島の観光は新博物館だけにしました。7月中だったのですが,博物館島はどこも高校生から大学生くらいの若い人たちで一杯であり,どこにいっても混雑していて大変です(露出度の高い服を着ている人が多かったので,目のやり場にも困ります。)。ペルガモン美術館やボーデ美術館は何度も出かけているので,今回は他の観光にしました。
余談その2:今回,何とうかつにも新博物館のクロークの荷物を取った直後に,財布を落としてしまいましたが,すぐに気づいたのと場所がクロークの前だったことが幸いして,そのまま戻ってきました。ドイツはやはり治安のいいところです。

ジャンダルメン・マルクト(ベルリン)

2013年09月08日 | ドイツ語
ドイツ旅行編やっとベルリン到着です。
ライプツィヒからICE1510に乗り,Lutherstadt Wittenberg(ヴィッテンベルク)などを経由して,ベルリン中央駅に着きました。

中央駅は新しい駅で,地下鉄との接続もよくないこともあり,まずはホテルに行くため,フリードリッヒシュトラーセ駅に向かいました。昔,この駅は東西両ドイツの国境駅でしたが,今ではその痕跡をとどめるものはほとんどありません。やたらと細長い駅の構造が往事を偲ばせるともいえなくもない程度です。という私も,国境駅の当時のことは知らず,1994年に行った際に,昔の駅の痕跡を見た程度です(ボロボロのWechsel両替という表示もありました。)。1998年に滞在した際には,この駅を使って何度もStaats Oper unter den LindenやKomishe Operに出かけましたので,深夜のフリードリッヒシュトラーセ駅から何度も乗車したことがあります。
そして,地下鉄U6に乗り換えて,Stadtmitteで降りればよいからホテルまで簡単に行けると思いきや,何とU6はFriedrichstrasse からFranzösische Strasseの駅まで封鎖中です。地面には封鎖区間を通るバスのバス停までの道筋が足跡マークでついています。バスにわざわざ乗る距離でもないので歩きましたが,スーツケースを持つと意外に距離を感じてしまいます。Unter den Lindenの通りも,工事中でとても汚らしくなっていました。この通りがこんなに見苦しい姿になっていたのは,今回が初めてです。
ということで,歩いてようやくホテルにたどり着きました。


そして,最初の観光スポットはジャンダルメン・マルクトです。
昔,ルイ14世に弾圧されたユグノーたちがベルリンに移り住み,この地区に集まったことからフランス大聖堂(Französischer Dom)があり,その向かいにはドイツ大聖堂(Deutscher Dom)があり,その間にコンツェルトハウス・ベルリン(Konzerthaus Berlin)があります。そして,この広場はジャンダルメン・マルクトと呼ばれ,ドイツでも有数の美しい広場と呼ばれています。映画「ラン・ローラ・ラン」でローラが疾走していたこの広場で,この広場を上空から撮影した映像が映っていました。
冒頭の写真はフランス大聖堂の方です。

アートがあれば2(東京オペラシティ・アートギャラリー)

2013年09月07日 | 美術道楽
東京オペラシティのアートギャラリーで開催中の「アートがあれば2」に行って参りました。

個人コレクターによる現代アートのコレクションの展覧会です。
現代アートの作品には私も関心があり,個人でどの程度のものが買えるのか参考にする意味もあって行きました(私の場合は資産,時間,意欲,収納スペースなどすべての面において乏しく,今後もたいしたものは買えないことは間違いないのですが。)。

コレクターの趣味にもよりますから,当然,様々な内容でした。映像作品では,渋谷でネズミを捕まえようとする若い男女の様子を映像にした作品など面白く思われました。剥製にされ,黄色に塗られたネズミまで置かれていました。静かな会場には,この映像の中に出てくる女の子が,ネズミを入れた網にフタをしないとネズミが飛んでしまうという意味で「飛ぶから。」,「飛ぶから。」と叫んでいる声が響き渡り,不思議な空間を演出していました。この映像作品を見た人はかなり受けていました。それにしても,やはりねずみ属は嫌われ者のようです。
このほかにも,2011年の横浜トリエンナーレにも出品されていた,田中功起の作品も展示されていましたし,また,マイク・ケリーという,これまた横浜トリエンナーレの常連のような芸術家の作品も展示されていました。

レオナール・フジタ展(Bunkamuraザ・ミュージアム)

2013年09月02日 | 美術道楽
ドイツ旅行ベルリン編に入る前に,帰国後の美術館巡りの話を1つ。
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中のレオナール・フジタ展に行って参りました。今回の企画は,箱根のポーラ美術館の収蔵品を中心とした企画展とのことです。
レオナール・フジタが,戦前のパリ・モンパルナスの寵児,藤田嗣治であった時代から,日本で戦争協力者呼ばわりされ,失意のうちに日本を追われるようにパリへと再度渡り,レオナール・フジタと名前を変えた時代の両方の作品が展示されています。

1923年ころの作品は,白い女性像など,我々が藤田嗣治の作品としてイメージするものにあった作品が展示されています。藤田の作品のうち,「仰臥(裸婦)」という作品は,最初に素描で描いたときには,3番目の夫人の絵だったのに,完成した作品では4番目の夫人の絵となり,顔が変わってしまったというのは面白く思われました。藤田嗣治の作品だけではなく,アンリ・ルソー,モディリアーニ,スーチン,パスキンといった画家の作品も展示されていました。アンリ・ルソーの《「モンスーリ公園」のための習作(あずまや)》は,昔,パリのモンスーリ公園の近くに宿泊したことなど,懐かしく思い出しながら,見ました。さらには,土門拳が日本に帰国していた際の藤田嗣治のアトリエを撮影した写真なども興味深く見ることができました(その写真の中に藤田の絵の技法の秘密が一部写ってしまっていたのだそうです。)。

そして,戦後の絵です。子供や動物の絵が多くなります。この企画展のポスターにもなっている子供たちの会食の絵も,このころの作品ですが,大人のような子供のような不思議な雰囲気を漂わせています。タイルのような狭い空間にさまざま職業の人物を1枚1枚描いた作品も味わいがあります。フジタの絵よりも,むしろフジタの精神世界に興味を持ちながら作品を見ることができました。

ここからは企画展の絵とは,直接関係のない感想ですが,それにしても,いくらフジタが戦争中,凄惨な戦争画を描いたからといって,どうしてフジタばかり糾弾されたのでしょうか。フジタの父親は軍医として位人臣を極めているので,フジタ自身も戦争絵画への強力を拒みにくい立場にあったことは否定できないでしょうが,それだけではなく,やはりパリにいて日本画壇との縁が薄かったので,スケープゴートにされたのかもしれません。日本には,専ら戦費調達のためだけに描かれたファシズム一色の絵画さえあるのに,こちらの作品群はコレクターの手によって一箇所に集められ,今でも日本国内だけではなく,多くの外国人観光客の目に触れています。私も訪れたことのある美術館に収蔵されているのですが,フジタの戦争協力への批判の話になるたびに,その美術館のことを思い出してしまいます。

Zum Arabischen Coffe Baum(カフェ・バウム・ライプツィヒ)

2013年09月01日 | 食道楽
ライプツィヒ2日目の昼食は,有名なCoffe Baum で取りました。
バッハ,ゲーテ,ワーグナーなどライプツィヒにゆかりのあることで有名な人物はもちろんのこと,シューマンやリスト,さらには昨日のブログにも登場するマックス・クリンガーもなじみ客だったそうです。

Caffe Baumでは1711年からコーヒーが提供されており,ドイツ最古のコーヒー店と言われているそうです。意外に新しい感じもしましたが,オスマントルコの第2次ウィーン包囲の影響で,ウィーンにコーヒーが伝わったのですから,不思議はないかも知れません。
Coffe Baumの表札像には,アラビア風の男性とキューピッドが描かれて,コーヒーが当時イスラム伝来の異国情緒にあふれた飲み物であったことを伝えているそうです。「そうです。」と伝聞形式で書きましたのは,行ったときには,店の前面がオープンテラスの机と日傘で覆い尽くされており,気づかなかったからです。夏なので,オープンテラスなのですが,余りにも暑くて日差しが強いので,皆,日傘に覆われていました。

Coffe Baumの店内ですが,3,4階はザクセン州のコーヒーにちなんだ博物館となっていて,300年にわたるザクセンのコーヒー文化の歴史が紹介されているそうです。このことは,先日,テレビ・ドイツ語講座でも紹介されていました。
そして,2階はRESTAURANT LUSATIAというレストランで,1階はRUSTIKALE STUBEN(田舎風酒場)となっています。1階も酒場という名前ですが,気楽に入れるレストラン兼Caféというのが実態です。テレビ・ドイツ語講座でも,出演しているドイツ人が昔,ライプツィヒ大学の学生だったときによく通ったなどと話をしていましたが,実際,有名店ではありますが,入りやすい店です。1階にはオープンテラスのほか,屋内には入って右側にレーマン酒場(LEHMANNSCHE STUBE),左側にシューマンの間(SCHUMANNZIMMER)があります。レーマンは1718年から19年にかけてこの建物をカフェハウスに作り替えた人物ですが,オープン時には既に亡くなっていたそうです。また,シューマンは1828年から44年までここに定期的に通っていたそうです。
1階の店で昼食を取ったのですが,その際には,あまりに暑いので,テラス席はやめ,室内に入りました。レーマン酒場は閉まっていたので,シューマンの間に通されました。室内には,ワーグナーやシューマンにゆかりの品も展示されていました。

ここで食べましたのは
Hausgemachte Rindsroulade "Nach Hausfrauen Art"mit Apfel-Rotkraut und Kartoffelklößen(主婦風の自家製牛肉薄切り巻きのりんご・ムラサキキャベツとじゃがいも団子添え)です。
店の人に何がお勧めかと尋ねましたところ,Sauerbratenという,前日,アウエルバッハス・ケラーで食べたのと同じ料理を勧められましたので,2日続けて同じ物は食べられないので,こちらの料理にしたわけです。残念ながら,その量に圧倒されて,さあ食べなければとモチヴェーションを高めているうちに,写真を撮るのを忘れました。

シューマンの間の様子

ワーグナーの肖像があります。


こちらはシューマン


さあ,食事をしたので,いよいよベルリンに旅立ちます。